#29 七色の光の下で

 後から乗り込んだ僕と白滝、それに阿倍野はシートには座れず、少し離れたドアの前に、三人でたむろしていた。トンネル内に並んだ蛍光灯が、ガラスの向こうをすっ飛んでいく。


「曜子さん今日ちょっと、様子がいつもと違いませんか?」

 阿倍野が小声で、僕に訊ねた。

「確かに、酔っ払い方がひどいような気がするな。どうしたんだろう」

 僕は首をひねった。

「実はあれは、酔っぱらってるんじゃないんですよ」

 白滝が、さらに小声でそう言った。

「心ここにあらず、って奴です。ちょっと、事情があるらしいですよ」

「え? そうなん?」

「何だ、その事情ってのは」

 曜子さんのほうを絶対に見ないようにしながら、阿倍野と僕が身を乗り出したその時。

「ちょっと、白滝君」

 背後から、曜子さんの声がした。思わず、飛び上がりそうになる。


「は、はい」

 慌てたように白滝は、彼女のところへと向かう。

 奴を呼びつけた曜子さんは、携帯の画面を見つめていた。

「白滝君、確かこの前、臨時で鉢中店のほうに応援に行かされてたよね」

「それは……」

 今のひそひそ話を聞かれたわけではなく、どうやら仕事の件らしかったが、なぜか白滝は棒を呑んだように直立不動になった。

「鉢中ってどんなところ? やっぱり遠い?」

 東区の鉢中は、一応波丘の市内ではあるが、山を越えた向こう側の盆地のような場所である。

 近年の大合併で波丘市の一部になったのだが、昔からの市民の感覚としては、とんでもなく遠いところというイメージだろう。


「いや、以外にそうでも……車で送ってもらったんで。そんな時間かかんなかったです。本社から三十分くらいでしょうか。山さえ越えれば、すぐでしたので」

 白滝は背筋を伸ばしたままで、報告した。

「そうなんだ。そんなに遠くないんだね」

 曜子さんは、優し気な表情になった。

「もしかして、曜子さんも鉢中店の応援を頼まれたんですか?」

 おずおずと、白滝は訊ねる。

「ううん、違うんだけどね。ちょっと気になってさ。ありがとう」

「お役に立てて良かったです」

 彼はくるりとこちらへと振り返ると、強張った顔のまま、行進でもするような足取りで戻って来た。

「何だ? どうしたんだ?」

 小声でそう訊いても、

「いや、なんでもありません」

 白滝は、額の汗をぬぐうばかりだった。「なんでもない」はずはなさそうだ。

 

 本線との乗換駅で、僕らを含む乗客の大半が降車した。がらがらの地下鉄は終着駅を目指して走り去る。

 五人は縦一列になって、改札コンコースへのエスカレーターに乗った。生ぬるい風が上方へと吹き抜けて行く。

「その新しい店ってのは、どの辺にあるんだ?」

 窮屈なステップの上で大沢さんが無理矢理に振り返り、真後ろの白滝に訊ねた。

「テルサとエルシティーの間です」

「店の名前は?」

「えーと、なんか音楽家の名前です」

「モーツァルトとか、バッハとか?」

「そんな感じです。レンタロー・タキとかじゃありませんでした」

 それはそうだろう。もし「カラオケ・滝廉太郎」なんて店だったら、まずは「荒城の月」を歌わざるを得なくなる。


 乗り換え口へと向かう人の流れからはぐれ、我々は地上の中央改札口へと出た。今度は曜子さんも、無事に自動改札機を通り抜ける。

 駅の周辺は近年開発が進んでいて、駅前の広場を囲むようにビルが建ち並び、町の新しい中心となりつつあった。しかし駅ビルのデパートもファッションビルもすでに営業終了していて、さっきの繁華街に比べると人はずっと少ない。

 周りのビルの上ではいくつものネオンサインが明滅していたが、その多くが金融業者のものだった。大不況の申し子とでも呼ぶべきそのネオンの、七色の光を浴びながら五人は歩いた。


「マネープラザ・式富土」の青と白の点滅に合わせ、白滝がでたらめなステップを踏んでみせる。黄色く光る「輝く明日へ・信頼のプライズ」の文字を映した阿倍野の瞳は、明日の希望に輝いている。

 僕と大沢さんは「わくわくレイフ」の看板を指さしながら、「ネオンの色はグリーンだが、あれはグレーゾーン金利で稼いでいるのだ」と事実を指摘する。

 僕らのはしゃぎ方に「馬鹿じゃないの」と肩をすくめてみせつつも、曜子さんの足取りは軽く、くわえた「セーラム・ライト」から立ち昇る煙も軽い。


「あれ?」

 先頭を行く白滝の足が、突然止まった。

「どうした。また出会い系のビラでも見つけたか?」

 と僕はからかう。

「おかしい、な」

 白滝が首をひねる。

「ここのはずだけど」

「ここって、これか? カラオケ屋じゃないぞ」

 指さした先にあるのは、「居酒屋・荒城の月」と書かれた真新しい看板である。


「『滝廉太郎』で合ってるやんか、これやったら」

 阿倍野が無表情に指摘する。

「そういうことじゃなくて……おかしいな」

「前に来たのはいつやの?」

「三ヶ月前なんだけどな」

「つぶれたんだろうな、その間に」

 大沢さんが憮然たる表情で言った。

「で、どうすんのよ」

 曜子さんが「セーラム・ライト」の煙を吐いた。

「とにかく、無いものは無いんだからしょうがない。とりあえず、他の店を探そう」

 大沢さんがあきらめ顔で言った。僕らは渋々と、元の方角へ引き返し始める。


 広場を囲む金融屋ネオンは変わらず派手派手しい光を放ち続けていたが、先ほどと打って変わって、地面に落ちる五人の影の足取りは重い。点滅の愉快なテンポが、まるで負け犬どもをあざ笑っているように思える。

 僕らは腹いせに、あの赤は血の色だ、青は売り飛ばされた娘の涙だ、黄色は窮乏でカレーしか食えなくなったのだと、カラフルだがグレーなネオン広告主の営業行為に対する中傷を投げつける。

 夜の寒さが、改めて身にしみてくるようだった。

(#30「曜子の事情、彼の住む町」に続く)

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