#23 とにかく帰ろう、港の町へ
ニュースは、同じような情報の繰り返しばかりだった。それでも、テレビを消す気にも、チャンネルを変える気にもならなかった。
楽しい旅行、には程遠い気分のまま、我々はずっと画面を見ていた。
「あの、誰かトイレ行かない?」
白滝がふいにそう言って、情けない表情で僕ら三人の顔を見た。
「トイレならすぐそこですよ。部屋出て、廊下の突き当りで」
猪熊が、部屋の入り口を指さす。
「そうなんだけどさ……。廊下、暗いだろう? ちょっと不気味で」
白滝はますます情けない顔になる。
「さっきのカタカナの名前とか、『しばらくお待ちください』の画面とかが、目の前に浮かんで来そうでさ……。あの色褪せた回転木馬も、どうも不吉な感じが……」
そんなおかしなことを言われると、こちらまで何だか怖くなってきた。
「しょうがない奴だな」
はははは、と僕は大声で笑った。
「まあ、ちょうどトイレに行きたかったところだから。一緒に行こう」
そう言って僕が立つと、白滝だけではなく、残りの二人も立ち上がった。結局、男四人で連れ立って、トイレに行くことになった。
「非常口」の緑色の光に照らされた廊下は、嵐の音が響き渡って不気味だったが、幸いにも怪奇現象の類には遭遇せずに済んだ。
いつまでもニュースを見ていても切りがないので、いい加減テレビを消して寝ることにした。天井の蛍光灯は消したが、入り口近くの電球だけは点けたままにしておいた。完全に真っ暗にするのはなんとなくいやだということで、誰も文句は言わなかった。
疲れ切っていたせいか、すぐに眠りに落ちた。おかしな悪夢を見ることもなかった。
テレビの音で、目を覚ました。体を起こして窓の外を見ると、空は曇って薄暗いものの、雨は上がっていた。風はまだ強いらしく、樹々が枝を振り回している。
「昨日のフェリー、えらいことになってますわ」
阿倍野がそう言って振り返る。指さしている画面に、被害者数のテロップが表示されていた。第2しーむりあ丸事故は、歴史的な大惨事になってしまったらしかった。
入り口の襖が開いて、猪熊が部屋に入って来た。
「あの婆さんに訊いてきましたが、中速船の始発便はやっぱり欠航らしいです。そもそも、今日中のバスの再開も目途が立ってなくて、北の港に帰る手段が無いらしいですがね。それと」
彼は、焦りの表情を浮かべた。
「ここのチェックアウトは9時で、それを過ぎると追加料金取るらしいです。とっとと、出ましょう、こんなところ」
テレビに表示されている時刻は、8時40分である。もうあまり時間がない。
「よし、出よう。荷物をまとめるぞ」
僕は三人にそう言った、つもりだったが、白滝の姿がない。
「白滝君、お風呂ですわ。折角の温泉やから、一回入るだけじゃ損や、っていうて」
「しょうがないな。じゃあ、取りあえず我々三人だけでも、先に出よう」
大急ぎで荷物をまとめ、机の上に置き手紙を残して、白滝を除く三人は宿を出た。フロントの老婆には、「もう一人は後で来ますので」と言っておいた。もしも白滝のチェックアウトが間に合わなくても、追加料金は奴に払わせればいいだろう。
「猛嵐山荘」の看板の前に三人で佇み、白滝を待つ。こうして外に出てはみたものの、ここからどうするのか、何のプランもなかった。
「とにかく、何とかして北の港に戻らんとしょうがないですよ。中速船が再開になったら、帰れるうちに帰りましょう。魚食べて、城下町も見たし、温泉入って竜巻まで目撃したんやから、この島はもう充分堪能しましたわ」
阿倍野のその意見に、異論はなかった。しかし、バスが動かないのでは身動きが取れない。
「いや、それが何とかなるかも知れません」
携帯のボタンを操作しながら、猪熊が口を開いた。
「俺の知り合いが、役場の車に便乗させてもらえるように、頼んでみるって言ってくれてます。復旧工事中のがけ崩れのところも、役場の車なら通してくれるそうです」
「そりゃ助かるな! というか、この島に知り合いなんかいたのか、お前」
「ええ、実は一応ね」
猪熊は、あご髭をさする。
「猛嵐山荘」のドアが突然開いて、白滝が猛然と飛び出してきた。髪は濡れてぼさぼさ、ジーンズのボタンもチャックも開いたままでベルトも締まっていないという、ひどい恰好である。シャツも裏表が逆っぽい。
「どうした? 婆さんに襲われたか?」
僕がそう訊ねると、
「時間、時間が」
と白滝は腕時計を指さした。ぎりぎり、チェックアウトは間に合ったらしい。
「あの、あと、昨日の夕食代が」
「夕食? ああ、あの金ちゃんラーメンか」
「あのカップラーメンと卵で、一人1000円も取られましたよ。2500円は素泊まりの料金で、夕食がつくと最低3500円だって。一郎さん、そんな条件でOKしたんですか?」
三人の視線が、僕に集まる。しまった、値段を確認していなかった。道理で婆さん、嬉しそうにしていたわけだ。
「その件は、また後だ。この島にいる猪熊の知り合いが、港まで帰る手段を手配してくれるらしい」
「へえ、知り合いなんかいたのか、猪熊君。いや、それはいいですが、僕が払った追加の3000円は……」
「大丈夫だ。とにかく、今は急いで帰ることが先決だからな。さあ、行こう」
はあ、と不安そうな白滝を尻目に、僕は下り坂を歩き始める。
バス停前で待つこと約一時間半。「北凡洋町役場」と書かれたミニバンが走ってきて、目の前に停まった。白い車体のあちこちには錆が出ていて、なかなかのオンボロぶりだ。どこの役場も、財政が厳しいのだろう。
運転席のドアが開いて、ブルーの防災服を着た、若い男性が降りてきた。俳優の五反田亮二に似た、男前だ。
「ええと、みなさんこんにちは。北凡洋町役場総務課の江田です。猪熊さんは?」
防災服の男性は、僕ら四人の顔を見回す。
「どうも、俺が猪熊です」
奴が、右手を挙げて名乗りを上げた。
「ああ、君が。妹がお世話になったようで。どうも、ありがとうございます」
男前の職員は丁寧にお辞儀すると、なぜか少し警戒するような眼で、残りの僕ら三人をちらりと見た。
「ちょうど、今から役場に戻るところです。港までお送りしますよ、他の皆さんも」
この人はどういう知り合いなのか、妹とは誰なのか。その辺りはさっぱりわからないままだったが、とりあえず僕らは北の港へと帰れることになったのだった。
(#23「ダッシュで間に合うか、中速船」に続く)
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