#22 嵐の山荘、ニュース速報の恐怖

 風呂と食事が終われば、もう何もすることはなかった。部屋の窓からは、海沿いに広がる集落の夜景が一望できるようだったが、ガラスを叩く激しい雨で、何だかぼんやりと灯りが見えるだけだ。テレビでも見るしかない。


「あれ、おかしいな」

 古びたブラウン管式テレビの電源を入れた白滝が、首をひねった。

「チャンネルが違う。SKTって、隣の県の局だ」

「そっちの電波のほうが良く届くんですよ。県内言うても、お隣のほうがむしろ距離近いですし」

 見慣れぬCMの後に、ローカルニュースが始まった。一面緑色の画面の真ん中に、「SKTニュース」と言う白い文字が浮かんでいる。BGMは、チャイコフスキー風のワルツだ。


 トップニュースは竜巻に襲われた集落、つまり今いるこの場所のニュースだった。

 やはり、まだ停電の続いている家もあるらしく、けが人も数人出ている模様だった。もっとも、実際の映像が出るわけではなく、やはり緑色の背景に白い文字で解説文が表示されるだけだ。アナウンサーが、その文章をほぼそのまま読み上げる。ずいぶん、安上がりな作りだ。


 続いて、どこかの町長選挙のニュースが流れて、それでもうニュースは終わり。次は天気予報だった。最初に画面に映った、手書きっぽい天気図の真ん中には大きな低気圧があり、九七七と言う数字が表示されている。ちょうどこの島の南方を、東へと進んでいるらしい。あの竜巻ももちろん、こいつの影響なのだろう。

「これじゃ完全に台風並みです。明日帰るのは、無理かも知れません」

 白滝が暗い声を出す。気象に詳しくなくても、それは分かった。

 包装を開きかけていた三つ目のメロンパンを、猪熊は自分のリュックに戻した。念のため、温存しておくつもりらしい。


 テレビの画面から「天気予報 終」の文字が消えると、またCMが始まった。

 眼鏡をかけた白人女性が、ブルー一色の背景の前でじっと動かず、ただ微笑んでいる。ナレーションの声が、「タカラ町のシマバラ眼鏡店では、秋のファッションメガネフェアを実施中」と告げる。昨今では珍しい、静止画CMだ。

「宝町・島原眼鏡店」のテロップと共にそのCMが終わると、再びさっきの美女が現れた。ポールモーリアをBGMに、また同じナレーションが繰り返される。


「へえ、同じCMを二回連続って、珍しいですね」

 白滝がつぶやいた。

 テロップが消えると、またしても眼鏡女が画面に出現した。秋のファッション眼鏡フェアの告知。白滝も怪訝そうな顔になる。いくらローカル局でも、三回も同じコマーシャルが流れるのは変でないか。

 そして次もまた、同じCMだった。


「放送事故だろう、これ」

 僕は思わず言った。何度も現れては微笑む眼鏡美女が、何だか不気味に思えてきた。

「チャンネル、変えますか?」

 白滝がボタンに手を伸ばす。

「いや、もうちょっとこのままで」

 布団に潜り込んだ阿倍野が、白滝を止めた。確かに、どこまで繰り返しが続くか見届けたい気もした。

 そしてやはり、次もまた島原眼鏡店だった。彼女は呪いをかけられたが如く、全く同じ微笑みを浮かべる。ナレーションの声にも変化はない。

 五度目の繰り返しに、室内は妙な緊張感に包まれ始めた。


「不気味ですね、これは」

 猪熊までが、不安げな表情であご髭をさする。

 島原眼鏡店のCMは、さらに六回、七回、八回と続いた。四人は息をのんで画面を見つめ続けた。もう雷鳴も耳に入らない。

 一回十五秒として、わずか二分が経過しただけなのだが、それはひどく長い時のように思えた。同じコマーシャルが繰り返される、たったそれだけのことで、まるで時空が歪んでしまったように、現実感が失われていた。

 無限にも思われたこの反復も、九回目の途中で突然終わりを告げた。何かを引きちぎるような音と共に彼女は消え去り、その後に現れたのは、色あせてセピアになりかけた回転木馬の写真だった。右下には「しばらくお待ちください SKT」という文字がある。


「なんだ、やっぱり、放送事故でしたね。これだからローカル局は困る」

 かつては赤や青だった馬たちを見ながら、白滝が軽い調子で言った。しかし、室内を漂う緊張感は、まだ消えてはいなかった。

 またしても、ふいに画面が消えて、青一色になった。そこに大きく映し出されたのは、手書きと思える歪んだ字のテロップだった。かすかに上下にぶれるそのテロップには、「ANNN緊急報道特別番組」とあった。

 すりきれたレコードのような、かすれた音のマーチがスピーカーから流れ出す。暗く悲愴なそのメロディーは、大昔のニュース映画を思わせた。

「やっぱり、何かあったんや」

 阿倍野が、つぶやく。


 窓を叩く雨の音と、島の大地を揺るがす雷鳴の中、深刻なマーチは延々と流れ続け、不吉感を増幅させた。しかし画面には白い文字が大写しになったまま、肝心の報道特番は一向に始める気配がない。

 苛立った僕は、チャンネルをNHKに変えた。もし何か事件が起きているなら、そちらのほうが情報が早いはずだ。


 途端に、画面はカタカナの列で埋め尽くされた。それは全て人の名前だった。「アネコウジ マルオ」「サンジョウ タカシ」「ロッカク シメ」……。中には「T.ミカ」など、一部が頭文字だけになっているような名前も見られた。それら無数の名を、アナウンサーの抑揚のない声が静かに読み上げていく。

 全員、絶句した。どこかでとんでもない大災害か、大事故が起きたらしい。

 知らず知らずのうちに身を寄せ合うように一箇所に固まって、我々はブラウン管を見つめ続けた。しばらくして、やっと画面がスタジオのアナウンサーに切り替わった。


「繰り返します」

 深刻な顔をしたアナウンサーが早口でしゃべり始めた。

「本日午後五時半頃、波丘市沖、約150キロ付近の海上を航行中だった大型フェリー、第2しーむりあ丸が、強風と高波の影響により転覆・沈没した模様です。現在、管区海上保安本部による捜索と救助活動が行われており、多数の行方不明者が」

「あっ」

 何かを思い出したように、阿倍野が大声を出した。

「『しーむりあ丸』って、あれやないですか、僕らが波丘港で見たやつじゃ」

 全員、言葉を失った。確かにそれは、中速船ターミナルの隣に停泊していた、巨大なフェリーの名前だあった。あれが沈んだのか。大変な被害が出ているのではないか。

 我々はほとんど言葉も発せずに、テレビの画面を見つめていた。船を沈めたのと同じ嵐が、吹き荒れるその中で。


(#22「とにかく帰ろう、港の町へ」に続く)

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