#21 老婆の宿、奪い合うメロンパン

「この状況じゃ、今から旅館にたどり着くのは無理ですよ、どう考えても」

 白滝が、腕時計を見ながら言った。

「じゃあ、野宿ですかね?」

 寝袋を持ってきている猪熊が身を乗り出す。

「いやいや、こんな天気で野宿など、とんでもないですわ」

 運転手が、慌てたように首を横に振った。

「この町にも、ちゃんと旅館がありますから、空きがあるかどうか聞いてあげますよ」


 それはありがたいと、猪熊を除く我々は、喜んで運転手さんの親切に甘えることにした。そして幸い、町民宿舎「猛嵐山荘」という、この集落で唯一の宿を押さえてもらうことが出来た。

 宿泊料金を聞いて、猪熊の髭面が明るくなった。素泊まりにはなるが、一人当たりわずか二千五百円で良いということで、当初の予定よりも安くなったのだった。しかも、温泉まであるという。

 まさに不幸中の幸い、地獄に仏とはこのことだと、僕らは喜んだ。


「猛嵐山荘」は、集落から少しだけ山側へ上がったところにあるということで、僕らは嵐の中、ほとんど役に立たない折り畳み傘をさして黙々と歩いた。

 ようやく見えてきた山荘の建物は、灰色のコンクリートで出来た四角い箱という感じで、風情も何も無かったが、この状況下では頑丈そうなほうがありがたい。窓からは、暖かそうな灯りも見える。

 吹き付ける風でひどく重いガラス戸を開けて、我々はようやく玄関の土間に立った。

「すみません」

 大声を出すと、奥から老婆が姿を現す。若干腰は曲がっていたが、それでも身長1メートル80はあろうかという、巨大老婆だ。

「あんたたちかね、バスの営業所から連絡があったお客は」

 老婆は、皺だらけの顔をしかめた。

「おやおや、困ったねえ、ずぶ濡れじゃないかい。そのまま、上がってもらっちゃ困るよ。そこで浴衣に着替えておくれ」


 そういう訳で、我々四人はそのまま土間で服を脱いてパンツ一丁にさせられ、渡された浴衣に着替えることになった。老婆はじっと、こちらを見下ろしている。

 着替えを終えると、全員の濡れた服が黒いゴミ袋に詰め込まれた。その場で宿泊代を前払いし、それからようやく部屋へと案内される。こちらはまあ、普通の和室だ。

「温泉は八時までだけどね、できたらすぐ入っておくれ。あんたたちだけだよ、今夜の客は。終わったらすぐ掃除するからね」

 言われなくても、冷え切った体を温めるために、一刻も早くお湯に浸かりたい。ここは全面的に、老婆に協力することにした。


 ブルーのタイル張りの浴室も古びてはいたが、手入れが行き届いて清潔な感じではあった。さすがに、老婆が掃除に力を入れているだけのことはある。

「いきなり服脱げとか、旅館でこんな扱いされたん初めてですわ」

 湯船に浸かった阿倍野が、小声で言った。

「ところで、ここは晩御飯あらへんのですよね? どないするんですか?」


 そう言われて、僕は言葉に詰まった。どこかで弁当でも買えないかと思っていたのだが、もし無理して再び外に出ても、この集落ではコンビニも無さそうだ。それに、またずぶ濡れで帰ってきたりしたら、老婆に再びどんな仕打ちを受けることか。

「俺は別に晩飯はいいですよ。こんなこともあろうかと、今日が賞味期限のメロンパン三個、用意して来ましたから。それ喰います」

 猪熊は得意げだ。

「三つもあるんなら、みんなに分けろよ」

 そんな彼を、白滝がにらみつけた。

「そうやわ。君、一回生なんやから。僕ら二回生やで」

 阿倍野は唐突に、先輩風を吹かせる。

「冗談じゃありませんよ。先輩なら先輩らしく、自分たちでちゃんと危機管理してくださいよ。パンは俺一人で喰います」

「一回生のくせに、その態度はなんや!」

「ふざけんなよお前、そんな髭面で」

 賞味期限の切れかけたメロンパンを巡って、醜い奪い合いが勃発した。

 三人は、風呂桶ですくった温泉のお湯をお互いの顔にかけて、なぜか三つ巴の闘いを始める。こちらにまで、お湯のしぶきが飛んで来た。


「やめい、ボケが!」

 馬鹿どもを、僕は一喝した。白滝たちが、騒ぐのをやめる。

「ともかく、あの婆さんに訊いてみるしかないだろう。近くで、何か食い物買えないか」

「あんなババアに、何を聞いても無理だと思いますよ、どうせ……」

 白滝は、不服そうな様子だ。

「俺は、別にいいですよ」

 メロンパン資産がある猪熊は、涼しい顔をしている。


 風呂を上がった僕は、部屋で一息つく間もなく、玄関に戻ってカウンターの奥にいるはずの巨大老婆を呼んだ。早いところ手を打たないと、また醜い争いが起きる。

「はいはい、どうしたかね」

 床板のきしむ音と共に、老婆は姿を現した。

「あの、どこかこの近くで、お弁当とか買えないでしょうかね? 三人分でいいので」

「おやおや、食べ物も用意せずにここまで来たのかい。つくづく、困った学生さんたちだねえ」

 そう言いながら、なぜか老婆は不気味な笑みを浮かべる。

「カップラーメンなら、用意があるよ。折角だから、生卵もつけてやろうかね。もちろん、お湯も」

「本当ですか。ありがとうございます!」

 思わず老婆に、僕は手を合わせそうになった。

「そうそう、素直な態度が大事だよ。可愛いじゃないか。じゃあ、今から部屋へ持って行ってやるから、待っておいで」

 ふふふふ、と老婆は笑いながら、カウンターの奥へ消えた。少々態度が不気味なのが気にはなったが、とにかくほっとして部屋へと戻る。


「ほんまですか!」

 もたらされた朗報に、阿倍野の顔が一気に明るくなった。畳のあちこちに座布団が散乱しているのは、今この間にも猪熊VS阿倍野・白滝連合のメロンパンを巡る争いが続いていたかららしかった。

「卵入りのカップラーメン……。素晴らしいですね」

 白滝も、感激の面持ちだ。

 間もなく老婆が、お盆に三個のカップラーメンを載せて、姿を現した。「金ちゃん・ねぎラーメン」という、あんまり聞いたことのないブランドではあるが、いかにもうまそうな匂いが部屋に広がる。


「卵は、もう入れておいたからね。じゃあ、ごゆっくり」

 襖を閉めて、老婆は去って行った。

 金ちゃんラーメンはうまかった。夢中で食べる僕らを、猪熊は何だか悔しそうな顔で見ながら、ぼそぼそとメロンパンをかじっていた。


(#21「嵐の山荘、ニュース速報の恐怖」に続く)

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