#24 ダッシュで間に合うか、中速船

 崖崩れが起きたというのは、集落の北端からすぐの場所で、道幅の半分くらいまでが、樹木を載せた土砂に埋もれていた。

 すでに重機が入って復旧工事が始まっていたが、役場のミニバンは、車体をガードレールでこすりそうなくらいにぎりぎりに寄せて、ようやくその地点を通過することが出来た。

 役場職員の江田さんの話では、今後の雨量次第ではまだ崩落の可能性があるということで、これではバスの運行は当分無理だろう。こうして我々が帰れるというのは、全く猪熊のおかげだった。


 道路状況を確認しながらの徐行運転で、かなり時間はかかったが、車はようやく北の町にたどりついた。役場は、バスターミナルのすぐそばということで、僕らもそこで車を下ろしてもらった。

「どうか、お気をつけてお帰り下さい」

 そう言って、手を振ってくれた江田さんに見送られて、我々はとりあえず「凡洋銀座」の商店街へと向かった。朝食か昼食か良く分からないが、とにかく何か食事がしたい。昨晩のぼったくり老婆カップラーメン以来、何も食べていないのだ。時折小雨の混じる、まだ強い風を受けながら、黙々と歩く。


 アーケードの下は、それなりに明るくにぎわっていた。ここなら、雨風もしのげる。心斎橋筋の百分の一、とかいうごく短い通りでも、喫茶店とカレー屋、それに昨日昼食を食べた定食屋も揃っていて店は選び放題。町というのは、つくづく便利でありがたいものである。


 パン屋の二階にあるコーヒースタンドに、僕らは落ち着いた。店内の客は我々四人だけで、多少長居しても大丈夫そうだ。

「おいしい……文明の味だ……」

 白滝はエスプレッソを一口すすって、大袈裟にため息をついた。

「後は、帰りの船が出るのを待つだけだな」

 ほっとしながら、僕はハムとチーズのサンドイッチにかぶりついた。うまい。なるほど、文明の味だ。

「でも、ここにずっといたら、船がいつ出るか、様子が分からへんですよね。港まで行ってみないと」

 ホットココアのカップを両手で抱えた阿倍野が、心配そうな顔をする。

「昨日、あれだけの大海難事故が起きたばかりですしねえ。海もまだ荒れてるだろうし、運行再開は本当にあるんでしょうかね」

 ゆで卵の殻をむきながら、猪熊が言った。彼が頼んだのはまたそれだけで、やはり節約が最優先らしい。


「じゃあ僕が、様子を見て来ましょうか。運行再開が決まったら、携帯で連絡しますよ」

 白滝が珍しく、自分からそんなことを申し出た。

「島の土産を家族に色々頼まれてるんで、中速船ターミナルの売店を見に行かなきゃならないんですよ。ついでですから」

「そうか。じゃあ頼もうかな、せっかくだし」

 僕はうなずいた。快適なこの場所から、あまり動きたくなかった。たまには白滝にも、役に立ってもらっていいだろう。

「みなさんの乗船券も、先に買っておきますよ。お金いただけますか?」

 僕らは素直に乗船券の代金を白滝に渡した。みんな、あり得ないくらいに疲れていたのだろう。

「それじゃ、行ってきます」

 白滝は、足取りも軽く店を出て行った。


 それからしばらくの間、悲惨だった今回の旅行について、僕らは愚痴をこぼし続けた。

 全ての元凶は、白滝だった。そもそも、この島に来ることになったのも、奴が「えっちゃん」に会うためだ。いや、会いたいのなら好きにすればいいのだが、なぜにこうして我々が巻き込まれることになったのか。

 全く楽しくなかったのかと言われると、まあそんなことはない。トラブルもまた、旅行の楽しみの一つではある。

 だが、もう一度竜巻やら巨大老婆の宿やらを経験したいかと言われれば、それは絶対に嫌だ。


「あれ?」

 大喜びで白滝の悪口を並べ立てていた阿倍野が、ふと黙り込んだ。

「何か、聞こえませんでしたか?」

 そう言われて耳を澄ますと、遠くで何か聞き覚えのある汽笛の音がする。

「これ、あの中速船の汽笛とちゃいますか?」

 携帯の画面を見たが、白滝からの連絡は来ていない。確認のため、こちらからかけてみる。しかし、呼び出し音が鳴り続けるばかりで、奴は出ない。


「出ないな。お前らからも、かけてみてくれるか?」

 僕がそう言うと、阿倍野と猪熊も携帯を取り出した。

「あっ、しまった」

 自分の携帯の画面を見た猪熊が、目をむいて大声を上げる。

「彼女から、メールが来てる。船の運航、再開されたらしいです。ただ、今日はたった一便だけで、しかもその出航時刻は」

 彼は顔を上げてこちらを見た。

「今から、五分後です」


「急げ!」

 僕は叫んで、立ち上がった。

 全速力でパン屋の店先を出て、アーケード商店街を疾走する。幸いなことに、距離は短い。中速船ターミナルのビルは、すぐ向こうに見えていた。

 ビルの中に駆け込んでも、白滝の姿はどこにも無かった。人影はまばらで、ほとんどの乗客がすでに船に乗ったのだろう。もう一度、携帯に電話してみたが、やはり奴は出なかった。


「もう、時間がない。白滝がどうしたのかは分からんが、とにかく乗るしかない」

 僕は、決断を下した。これに乗らなければ、三人で島にもう一泊するはめになる。やむを得ない事態だった。

「乗船券は、どない、しますか」

 息を切らせながら、阿倍野が訊ねる。

「白滝がいない以上、改めて買うしかないだろう」

「マジですか!」

 猪熊が悲鳴を上げた。代金はすでに白滝に渡してあるから、二重の出費になる。

「後で、あいつから返金してもらえばいい。時間がない、急げ」

 そのまま我々は乗船券売り場へと走り、それぞれ券を買った。そして、「お急ぎください、もう出港します」という窓口のお姉さんの声を背後に聞きながら、桟橋へと向かって全力で走った。


 中速船の白い船体は、長い桟橋のずっと向こうのほうに見えていた。ちょうど作業員たちが、乗船用のタラップを外そうとしている。

「待って! 俺らも乗るぞ!」

 前方を走る猪熊が、荷物を振り回しながら大声を張り上げた。作業員が、驚いた様子で手を止めて、こちらを見る。

 どうにか乗り込んだ船はやはり混み合っていたが、一番後方の四人掛けの席にちょうど三人分の空席があった。

 そして、その端に一人で座っていたのは、白滝だった。呑気な顔で窓の外を眺めている。どういうつもりか、自分だけ先に乗り込んでいたのだった。


(次回、エピソード3最終話「#24 船は飛ぶ、見えてきた街と真相」に続く)

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