#15 白滝が得たもの、失ったかも知れないもの
ここへ来て、白滝は初めて迷いを見せた。選択ボタンに手をかけたまま、じっと画面を見ている。なにせ十度目の奇数の次なのだ。今までに得た四十枚全てを賭けるには、やはり勇気がいるのだろう。
「大丈夫よ」
背後から、突然女の声がした。
「迷うことはないわ。どちらでもない、それで合ってるから」
声の主は、あのピンボールマシンの美女だった。
「あの、分かるんですか。次に何が出るか」
阿倍野は訊ねる。
「言ったでしょ、予感には自信あるって」
彼女は髪を掻き上げて微笑む。
「私、これでも占い師なのよ」
僕と阿倍野は、あっと叫んだ。これはまさに、電柱のビラにあった「占い師との出会い」ではないか。ここまでの連勝で白滝が得ようとしていたのはコインなどではなく、この
当の本人は彼女には目もくれない素振りで、食い入るように画面を見つめている。そんな白滝の肩に彼女は右手を置いて、身体を寄せた。長い髪が、白滝をふわりと撫でる。
「大丈夫、今のあなたに間違いはないわ。見せて、あなたが勝つところ。運を味方につけた男って好きよ、私」
その声と胸に背を押されるように、白滝は選択ボタンを叩いた。選んだのは奇数でも偶数でもなかった。「0」に四十枚。何と一点張りである。もしこれが来れば、コインは一千枚とかになるのじゃないか。今度こそ本物の大勝負だ。
白滝はここで初めて振り返り、彼女の顔を見つめた。「もしこれが来たら、君は僕のものだよ」という字幕が、僕には見えた。
いよいよ、運命のルーレットが回り始めた。先ほどまでと全く同じ繰り返しだが、ボールの転がり方が幾分重々しく感じられる。電子音楽の安っぽい旋律さえもが、緊張感を煽っているようだ。
その緊張が次第に高まり頂点に達したその時、ボールはルーレットの中へ、えいやとばかりに飛び込んだ。「4」の辺りに着地し、数回バウンドして、そして定めた居場所。信じられないことに、それは「0」だった。
「来……た……」
阿倍野が、かすれた声でつぶやく。、
一瞬の間の後、コインがジャラジャラと音を立てて取り出し口に流れ落ち始めた。一千枚のコイン。さすがに数が足りないらしく、途中で「故障」の紅いランプが点灯したほどだった。
しかし、白滝が得たのは、そんなおもちゃのコインではないはずだった。得意満面で、彼は占い師のほうを振り返った。
「僕の幸運の女神だね、やっぱり君は」
「ふふ、どうかな。でも君、これで今から十年分の運をすべて使ってしまったのよ、私の見立てだと。お気の毒。ふふふふ」
おかしくて仕方ないという顔で、彼女は腕時計に目を遣った。
「あら、帰って明日の仕事の準備しなきゃ。まだ水晶玉磨いてないし。じゃあね、面白かったわ。大事な運は、使うべき場面で使うように気を付けてね」
軽く手を振りながら彼女は立ち去り、階段を降りて行った。
残された僕ら三人は、その後ろ姿を黙って見送るしかなかった。まるで凍りついたように。
「……まあ、気にするな。あんなのでたらめだ。占い師なんて、いい加減なもんだよ」
そう言ってはみたが、それが気休めに過ぎないのは、僕自身にも分かっていた。目の前で起きた無駄な奇跡、その事実のすさまじい重みは、そんな言葉だけではどうにもならなかった。
「水晶玉いうのは、そんな毎日磨かんとあかんもんなんですかね」
阿倍野が、ぽつりとつぶやく。
白滝は無言で、ルーレット盤の数字を見つめていた。
「0」、それが今夜彼が得たものの全てだった。もしかしたら、今後十年分の運と引き換えに。
ゲームセンターを後にした僕らは、県道を白滝のアパートへと向かって歩いた。
トラックの数も減り、さらに静まり返った県道。赤信号に立ち止まっても走ってくる車はなく、横断歩道は眠るように横たわっている。
先頭を黙々と歩いていた白滝が、また先ほどの電柱、そこに貼られた出会い系ビラの前で立ち止まった。
『婦人自衛官・車掌・占い師・イルカ調教師』の文字を、じっとにらみつけている。「出会い」というものの恐ろしさをかみしめているのだろうか。
何か声を掛けようとしたその時、奴は口を開いた。
「次はきっと、イルカ調教師ですよ。マリンランドで見たあの娘、かわいかったなあ。スタイルも抜群で」
こいつ全然、懲りてない。
結局その夜は朝まで、白滝の部屋で馬鹿話をし続けた。美人占い師の不吉な予言も、たちまちのうちにギャグのネタ程度にまで落ちぶれて行った。あんなもの、いつまでも気にしてはいられない。こちらはまだまだ、人生長いのだ。
空が少しずつ明るくなってきて、ようやく僕らは横になる。白滝は自分のベッド、僕と阿倍野は床の上だが、絨毯があれば上出来だ。県道のアスファルトの上に転がることに比べれば。
「それにしても、何がしたかったんやろうね、あのお姉さんは。僕らをからかって」
阿倍野がぽつりと言った。
「みんな、淋しいんだよ」
半分寝言のような白滝の言葉が、ベッドの上から聞こえた。
「みんな淋しい。それが、夜だ」
(エピソード3「僕らが島へ来た理由」に続く)
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