#9 公道レース決着、しかし真相は。

 実際、トンネルはなかなか終わらなかった。相変わらず、出口の光は見えてこない。もしかするとこれは、何か超常現象のようなものに巻き込まれたんじゃないか、いつの間にか異空間に紛れ込んだんじゃないかとそんな気さえしてくる。

 後方に入り口の光が見えるかどうか確かめてみたい気もするが、万一あの水着美女が追いかけて来ていたりしたらなどと思うと、どうしても振り返ることが出来ない。冷水を浴びせられたような寒気がまだ全身に残っていて、僕は必死で両腕をさすり続けていた。


 やがてトンネルは、きつめのカーブに差し掛かった。ただでさえ狭いトンネルが、さらにカーブしているのでは危険極まりない。テンピン号はスピードを落としながら、壁に激突するようなことのないように、慎重に走り続けた。そしてカーブを曲がり切ったその時、暗闇の彼方に突如として、まばゆい光点が姿を現した。それは待ちに待った、外界への出口だった。実はすでに、トンネルの大部分を通り抜けていたのである。まさに「光あれ」の瞬間だった。

 みんなが歓声を上げ、猪熊は喜び勇んでアクセルを踏みつけた。エンジン音が急激に高まり、速度計の針が再び跳ね上がる。明るい半円形の出口が、みるみるうちに近づいてくる。そして、車は光の中へと飛び込んだ。


 一瞬、視界が真っ白になった。僕は慌ててサングラスを掛ける。夏の日差しに順応した瞳が最初に捉えたのは、高架の彼方に広がる海の青だった。

「おお、海だ!」

「やったぞ」

 猪熊がガッツポーズをした。ずっと涼しい顔をしていた阿倍野さえ、身を乗り出して前を見ている。見事我々は、大ショートカットを成功させたのだった。

 終点側には特に立て看板などは無かった。ただ、路面は荒れ放題で草ぼうぼう、わざわざ進入禁止と言われなくても、こんなところに敢えて車で乗り入れようとする人はいないだろう。草をかき分けるようにして旧専用道路を降りると、そこは団栗浜への最寄り駅のすぐ裏手に当たる住宅地だった。駅前のメインストリートを抜ければ、ビーチまではもうすぐだ。


「こりゃまるでワープだな。こんな場所まで一気に来ちまったわけか」

 サーフショップやオープンカフェなどが並ぶ通りを眺めながら、大沢さんが感慨深げに言った。辺りの風景は、まさにミニ湘南とでも言った感じで、なるほどカップルには人気が出るだろうと思えた。しかしその割には人はまばらで、閑散としている。

 メインストリートの突き当たりで右折したテンピン号は、がら空きの海岸通を突っ走った。椰子の並木が続くその眺めはまさにビーチリゾートで、ココナッツ・ビーチの名前もあながち嘘ではなかったようだ。


 ただ、間もなく見えてきた肝心のビーチには、ほとんど人影が見当たらなかった。それも当然、海はひどく荒れていて、砂浜には大人の身長をはるかに超えるビッグウェーブがひっきりなしに打ち寄せ、沖合いの防波堤からは白い波しぶきが激しく上がっている。これではどう見ても遊泳禁止である。いい波に乗れさえすれば死んでも本望、と腹を決めているらしいサーファーの姿が、ちらほらと見えるだけだ。道理で道が空いていたわけである。

「そう言や、さっきラジオで台風の進路がどうとかしゃべってたな」

 大沢さんが思い出したように言った。

「もしかしてこっちに向かって来てるんじゃないか、その台風」

 そう言われてみれば、晴れ渡った夏空を時おり横切って行くちぎれ雲の速度が、妙に速いような気がしてきた。なにせ昨日の夜からテレビも新聞も見ていなかったから、台風のことなど何も知らなかったのだった。


 ビーチそばの駐車場へと続くスロープを下っていくと、「COCONUTS BEACH」と大きく書かれた白いアーチが見えてきた。その文字はネオン管になっていて、夜にはロマンチックな輝きがバカップルを魅了することになるのだろうと思われた。まるで映画に出てくるアメリカ西海岸辺りの雰囲気で、団栗浜も随分出世したものである。

 アーチの下をくぐって、それがゴールインと言うことになった。駐車場はがらがらで、むやみに車高の高いピックアップトラックやら、パステルカラーのワンボックスカーやらが数台停まっているだけだ。トヨサン・マークVの姿はどこにもなかった。我々は、見事に白滝に勝利したのだった。

「うぉやったは!」

「へっへーい!」

 みんなで上げた勝利の奇声が、人のいない駐車場に響き渡った。


 駐車場の真ん中にテンピン号を停め、サイドブレーキを引いて、猪熊はエンジンを切った。今はもう聞き慣れた、あの太鼓のようなエンジン音が止むと、砂浜の向こうから激しい波の音が聞こえてきた。

「さあ、それじゃ探しに行こうじゃないか。この浜のどっかに埋まってるんだろ、猪熊の財布がさ」

 大沢さんがそう言って、フロントガラスの向こうに広がるビーチを見渡した。

 波打ち際にはひっきりなしに大きな波が打ち寄せていた。陽の光できらめく海面の彼方、はるか水平線近くを、壁のように連なった白い入道雲がゆっくりと流れて行くが、あの雲の下は恐らく激しい嵐なのだろう。

「ええと、『黄色い監視台』って書いてますね、竹中からのメールには」

 猪熊が携帯電話を開いてメールを確認する。

「あれじゃないんですか? 監視台ありますよ、すぐそこに」

 阿倍野が正面を指差す。確かにそこには、小さな屋根のついた黄色い監視台が立っていた。


 灼け切った砂に足をとられながら砂浜を歩いて、我々は前方の監視台を目指した。辺りを見回すと、他にも赤や白の監視台が等間隔に並んでいたが、監視員の姿はどこにも見当たらない。海の家もみんな閉店していて、まるで秋の海に来たかのような侘しさが漂っていた。

 黄色い監視台の足元を、まるで犬のように必死で掘り返し始めた猪熊が、ふいに大声を上げた。

「あった! ありましたよ俺の財布。くそ、こんな砂まみれにしやがって」

 そう言って奴が高々と掲げた、そのビニール製の青い財布は見るも無残にぼろぼろで、しかしそれは砂に埋められたこととは関係なさそうだ。手垢で黒ずんだ様子からして、年期が相当に入っているようだった。

「中身は……。大丈夫だ、何にも取られてないな」


 突然、背後の駐車場から、聞き覚えのある太鼓系エンジン音が響いてきた。振り返った僕が目にしたのは、赤い軽自動車の窓から首を突き出して嬉しげに手を振る、太った男の姿だった。

「竹中!」

 猪熊が目をむいて叫んだ。そう、その男こそ波州大生にしてテンピン号の元オーナー、竹中だった。

「お前これは一体……」

「悪いな、猪熊。車は返してもらう」

 テンピン号の運転席に座った竹中はそう言って高笑いした。

(エピソード1 最終話「本物の夏空、みんな笑った」に続く)

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