#7 幻の道路は本当にあった!

 希望を取り戻した猪熊が操縦するテンピン号は、再びハイペースで旧街道を飛ばし始めた。三気筒エンジンは絶好調で回りつづけ、約三十馬力だというその最高出力をフルに発揮しているようだった。

 問題の専用道路との交差箇所はもう間近のはずである。その地点を見逃さないように、阿倍野は注意深く地図と周囲の風景を見比べては、車の現在位置の把握に努めているようだった。いくら旧街道とは言え、開発の激しい郊外エリアだけに、沿道の状況がかなり変化してしまっている可能性があった。


「間もなく、交差箇所に差し掛かります」

 阿倍野がロードマップから顔を上げた。

「この先に、ボーリング場があります。そのすぐ向こうに、高架が架かっているのが見えてくるはずです」

 やがて阿倍野の言葉どおり、道の前方に巨大なボーリングのピンを載せた建物が見えてきた。看板の文字は「家具店」に書き換えられていて、ボーリング場がつぶれた後の建物を転用したらしかった。そして、その前方には新幹線を転用したという立派な高架道路の姿が……無かった。旧街道の上空には、ただ青空が広がるばかりだった。


「……無いな」

 大沢さんがつぶやいた。

「無い、ですね。高架なんか、どこにも」

 猪熊がため息混じりにそう言って、シートにもたれかかる。テンピン号はまた、急激に速度を落とし始めた。

「そこです!」

 阿倍野が突然叫んだ。

「その高いフェンスの向こう、そこで左折してください!」

 猪熊が、慌ててハンドルを左に切った。テンピン号が入り込んだのは、両側を緑色のフェンスに挟まれた、狭い道だった。

「何だ、ここは」

 大沢さんが、窓の外を不審げに見回す。背の高い目隠しフェンスのせいで、周囲が全く見えない。

「間違いありません、この先です」

 自身ありげな口調で、阿倍野が言った。


 奇妙な道をしばらく走ると、間もなく前方に大きな立て看板が見えてきた。左右には、赤いカラーコーンがずらりと並んでいる。猪熊は車の速度を落とし、その看板の目の前に停車した。立て看板には、こうあった。


[この先国鉄清算事業団所有地につき、諸車の侵入を禁ずる]


「出た、国鉄ですよ、国鉄!」

 僕は思わず興奮して、身を乗り出した。この単語を見るのは、いつ以来だろうか。

「これか!」

「本当にあったんだ!」

 大沢さんと猪熊が、口々に声を上げる。

「ここが、専用道路の入り口やったみたいですわ。旧街道と交差する部分の高架は、邪魔やから潰してしまったんやと思います」

 阿倍野が冷静な声で言った。

「よし、とにかくこいつをどかすぞ」

 そう言って、大沢さんが車を降りた。僕と猪熊、それに阿倍野も続いて外に出る。


 強烈な日差しが照りつける中で、我々四人は力を合わせて立て看板を横にずらせた。立て看板の脚にはむやみに重いコンクリートの塊が重石としてくっついていて、そう簡単には動かせないようになっていた。必死で重石を動かすうちに、三人はたちまち汗びっしょりになった。

 カラーコーンの列を全部避けると、ようやく前方に道が開けた。ゆるやかなスロープが、上方の高架道路へと続いている。我々が再び乗り込むと、猪熊はテンピン号をゆっくりと発進させた。本当は立て看板を元に戻しておくべきなのだが、そんなことを言い出そうものなら「じゃあお前がやれ」と言われるのは確実だから、僕は何も言わない。


 長いスロープを登り切り、テンピン号はいよいよ幻の国鉄バス専用道路へと乗り入れた。さすがは元鉄道用、青空の下を彼方の戸張山までまっすぐに高架道路が続く眺めは、なかなか壮観である。ただし、その道幅は思ったよりも狭くて、せいぜい1.1車線分くらいしかない。まさか単線で作るとは思えないから、新幹線という噂はどうも怪しそうで、単なるローカル新線といったところだろう。高速道路として開放するにも狭すぎるから、それで国鉄バス専用として使うことになったのかも知れない。

 まずは慎重な速度で走り出したテンピン号だったが、長年放置されていたはずの割には路面の状態は悪くなさそうで、特に揺れが大きかったり、段差があったりということもなかった。これなら、スピードを出しても大丈夫そうだ。何と言っても、他の車や人が現れる可能性はまずないのだから、こんな安全な道はない。


 意を決したかのように、猪熊はクラッチを切ってギアを一速に叩き込み、一気にアクセルペダルを踏み込んだ。途端に、ボンネットの下の三気筒550CCエンジンが、うなり声を上げる。

 まるで飛行機が離陸に向けて滑走するかのように、テンピン号は加速を始めた。一速で十分に引っ張ってから、猪熊はすばやくクラッチを切ってシフトレバーを二速に入れる。そして、速度が乗ってきた所で三速へ。エンジンはひたすら甲高い声を上げ続け、テンピン号は加速を続けた。もはや、ラジオの音など聞こえない。恐らくレッドゾーン間近と思われるエンジン音と、フロントピラーの辺りから聞こえるゴーゴーという風切り音、これが耳から入ってくる全てだった。

 これはさすがにかなりのスピードに達しただろうと、猪熊の肩越しに僕はスピードメーターをのぞき込んだ。しかしその赤い針は、例によって「70」の辺りを示していた。御大層な時速70キロもあったものである。


 しかし、アクセルベタ踏みでの加速をひたすら続けるうちに、メーターの針はようやく「80」を越え、ついには「90」へとじわじわ近づいてきた。路面の状態は相変わらず良好で、この速度域でも案外揺れは少ない。ただ、小さい車だけに、進路が左右にふらつくのはどうすることもできないらしく、猪熊は懸命の表情でハンドルが暴れるのを抑え込んでいた。何せ道が狭いから、このスピードでハンドルを切り損ねると即左右の防音壁に激突しそうで、スリル満点である。

「お、あれは」

 大沢さんが、不意に大きな声を出して前方を指差した。そこには、この道の上を跨いで左右に延びる、立派な高架道路の姿があった。

「もしかして、あれが」

 と僕は身を乗り出す。


 旧専用道路のさらに上を超えて走るその道こそ、白滝が爆走中の波丘バイパスに間違い無かった。こちらが戸張山をぶち抜いてまっすぐ海岸へと向かうのに対して、バイパスは山に沿って迂回しているために、二つの道路はほぼ直角で交わることになったのだった。

「向こうは今、どの辺りなんだろうな」

 バイパスの下をくぐる瞬間、猪熊はそう言って頭上の巨大な高架を見上げた。もし、ちょうど今ごろ白滝のマークVがここを通過しているところだとすれば、こちらにも勝機があるということになる。

 戸張山の斜面はもう目の前に迫って来ていた。次の問題は、例のトンネルが果たして今でも通れるのかどうかということだった。入り口が閉鎖されてしまってでもいたら、その時点でギブアップなのである。

(#8「かわいいあの娘、暗闇でウインク」に続く)

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