#6 究極の抜け道、幻のトンネル
「いや、全く使えないわけでもない。ちょっと貸してみろ」
大沢さんが阿倍野から地図を受け取る。
「この地図だと、今我々が走ってる道は、県道じゃなくて国道ってことになっている」
「つまり、昔はこの旧街道が国道やった、そう言うことですね」
阿倍野が大沢さんの顔を見た。とぼけた丸顔だが、頭は働いているようだ。
「その通りだ。今の国道が出来て、この道は県道に格下げになったわけだ。俺たちとしては、むしろこういう昔ながらの裏道を駆使してタイムを稼ぐのが狙いなわけだろ?」
なるほど、と僕は納得した。この地図には、今となっては裏道になってしまっている道ばかりが載っていることになる。ならば、この状況では十分役に立つとも言えるわけだ。
「まあ、それで何とかお願いしますよ。運転の方は俺が何とでもします」
と力強く言ったその言葉通り、猪熊はブッシュがへたってぐらぐらのシフトレバーをこまめに操作しては、車を快調に前に進めて行った。幸いなことに今のところこの道が渋滞する気配はなく、熱せられたアスファルトから立ち昇る空気で揺らいで見える視界の中、テンピン号は風を切るように走り続けた。何だか埃っぽい昼下がりの旧街道を、色褪せた旧式のスズキ・アルトがうなりを上げて駆け抜けて行くその様は、まるで古い映画の一シーンのようにも見えたことだろう。
猪熊がアクセルを踏み込む度に、僕や大沢さんは高まるエンジン音に合わせるように「おりゃあ今だ、行けい!」「あんな遅いベンツ、抜いちまえや!」などとシートから身を乗り出して声を上げた。狭くてやかましく、ひたすら暑苦しいテンピン号の車内だったが、むしろそれが一体感と高揚感をもたらすらしかった。猪熊もますます運転に興が乗ってきたようで、心持ち前傾姿勢になりつつ目まぐるしくシフトを繰り返し、エンジンの回転数をうまくキープしながらテンピン号をハイペースで走らせた。
ただ阿倍野だけが硬いシートにもたれて、独り静かにロードマップを見つめていた。果たしてこの先のコースを考えているのか、それとも道路考古学に夢中になっているのか、それは分からない。
不思議なことに、いくら走っても全く赤信号に捕まるということがなかった。どの信号も、テンピン号が近づく頃にはみんな青に変っているのだった。まるで、町全体が我々に味方してくれているかのようである。恐らくバイパスが大渋滞であるのだろうことを思えば、これで随分アドバンテージを稼げたはずだった。
「ここで道路の状況をお伝えします」とラジオがふいに告げた。大沢さんは慌ててボリュームを上げ、猪熊が車の速度を下げる。この状況下で、交通情報は極めて重要である。
全員が黙り込む中、道路情報センターの職員は無感情に淡々と原稿を読み上げた。
「この時間、波丘バイパス、国道六六号線ともに渋滞箇所は全く無く、ごく順調に流れています。スピードの出しすぎに注意し、事故の無いよう安全運転を心がけてください。以上、JATICの野々宮でした」
続いてラジオは、気象情報を伝え始めた。どこかにいるらしい台風の進路について解説するアナウンサーの声が流れる中、四人は黙り込んだままだ。
前方の信号が、見渡す限り全て赤に変わった。テンピン号は失速したかのようにスピードを落とし、停止線の前に停まった。車内には、例の太鼓系のリズムがタンタタンと響く。
「誤算だな」
大沢さんがつぶやいた。
「バイパスは順調に流れています、スピードの出しすぎに気をつけろ、だそうですよ」
猪熊がそう言って、ジーンズのポケットからもそもそと煙草を取り出す。
「バカップルどもは、何をやってるんだ」
と僕も低い天井を仰いだ。当たり前の話だが、波丘バイパスが全く渋滞していないとすれば、白滝のほうがずっと有利になる。時速百キロ以上で団栗浜まで先回りされてしまうだろう。
「とにかく、このまま進むしかないだろう。諦めたらレースはそこで終了だ。0.01%の可能性でも、それに賭けるしかない」
大沢さんの台詞は、悲壮感に満ちていた。いくらなんでも0.01%では勝てるわけがない。
突然阿倍野が、ロードマップから顔を上げた。
「この先に、ええ抜け道があります」
「抜け道?」
大沢さんが不機嫌そうな顔で振り返った。
「こうなっちゃ、もうそういうのはあんまり意味がないぞ。その手の道は、どうせ大してスピード出せないからな。いっそバイパスに戻るほうが速いくらいかも知れん」
「国道もバイパスも、結局戸張山をぐるっと迂回してるわけですよね?」
大沢さんの言葉を無視して、阿倍野は続けた。「戸張山」は、波丘の市街地と海岸エリアの間に横たわる山地である。
「まあそうだが。それがどうかしたか?」
「これを迂回せんとまっすぐ突き抜けたら、これが一番近道なわけです」
「いや、あの山地は決して高くはないが、案外奥行きがある。山道に入り込んだりしたら、なかなか抜けられないぞ。近道とは呼べんな」
「山道なんか通りません。トンネルで抜けたらええんです」
「トンネル? 戸張山に? そんなの聞いたことないぞ」
大沢さんが怪訝な顔になると同時に、信号が青に変わった。テンピン号は重苦しい音を立てながら、ずるずると走り出した。運転手の気分を如実に反映した走り方である。
「ここを見てください」
阿倍野は例の年代物ロードマップを前席の大沢さんに差し出し、地図上のある一点を指差した。
「大谷口って、このすぐ先だな。ん? なんだこりゃ。『国鉄バス専用道路』?」
大沢さんは顔を上げて、阿倍野を見た。
「これは……もしかして」
「そうなんです。戸張山をトンネルで抜けてるんですよ、その専用道路」
阿倍野が力強くうなずいた。
「しかし、そんなの聞いたことないぞ」
「いや、そう言えば確か」
猪熊が口を開いた。
「昔、新幹線を作る予定で、戸張山にトンネルを掘ったらしいんですよ。結局新幹線はおじゃんになりましたが、もったいないのでそのトンネルと前後の高架線をバス専用道路にしたとか何とか」
「しかし、今でも通れるのか? そんなトンネル」
「いや、大沢さん。ここは一つ、その新幹線トンネルだかに賭けてみましょう」
話に割り込むように、僕は言った。
「どうせ元が0.01%の可能性なんだったら、ここは勝負してみるべきですよ」
「俺も一郎さんに賛成ですね。俺が昨日勝てたのも、大勝負の場面でリーチに賭けたのが成功したからですから」
猪熊が、煙草をぎゅっと灰皿に押し込み、再びシフトレバーを握った。
「よしわかった。お前らがみんなでそこまで言うならば、その判断に俺はただ黙って従おう。どんな結果になっても、俺としてはなんとも言えないがな」
大沢さんがもっともらしい顔でうなずく。責任逃れ丸出しの台詞だが、そこはまあ小役人だけに仕方がない。とにかく、これで断が下されたということになった。
(#7「幻の道路は本当にあった!」に続く)
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