#5 公道レース、キャノンボール

「まともにやり合ったら勝ち目のあらへん相手です。こんなまっすぐのバイパスでスピード勝負したら、負けて当たり前ですわ。そやけど」

 阿倍野はフロントガラスの前方を指さした。

「この先は、渋滞の名所です。この時期は特に、団栗浜に向かう車でえらいことになります。白滝君の車がどないに速くても、どうせスピードは出せません。それやったら、作戦さえうまく立てれば何とかなるかも知れません」

「そんなに人気なのか? 団栗浜が?」

 と僕は訊いた。僕の記憶では、ぱっとしない海水浴場のはずなのだが。

「最近市の方じゃ、団栗浜を『ココナッツ・ビーチ』とか言って売り出し中だ。お洒落なビーチハウス建てたり、わざわざ外国から砂持ってきたりしてな。観光課で作ってるポスター見ると、まるっきり南国のリゾートにしか見えん。おかげでカップルに大人気になってるが」

 大沢さんが事情を説明してくれた。市役所勤めだけに、さすがに詳しい。

「しかし、団栗とココナッツじゃ全く大きさが違いやしませんか?」

 僕は首を傾げたが、

「相手はバカップルだからな。その辺りはまあ、適当だ」

 大沢さんは言い放った。阿倍野もうなずいている。いくらバカップルでも、それくらいの区別はつくんじゃないかと思うが。


「でも今日ばかりは、そのバカップル渋滞のおかげで僕らにも勝機があるわけですわ。連中に感謝せんとあきません」

 阿倍野が真顔で言った。

「簡単に負けるわけには行きません。『キャノンボール』ですわ、これは」

「キャノンボール? アメリカ大陸横断の非合法公道レースだな、確か」

 大沢さんが、振り返って阿倍野の顔を見た。なるほど、これは一種の公道レースと言えそうだ。スケールは随分違うが。

「とにかく、渋滞を避けて狭い裏道を走り抜けることを考えると、むしろ車体の小さいこちらが有利とも言える。抜け道作戦、決行だ!」

 大沢さんが宣言した。いよいよレース、スタートというわけである。


「よし、そうと決まったら」

 そう言うなり、猪熊がシフトノブをすばやく操作した。途端にエンジンが甲高い鳴き声を上げ、テンピン号は急激に速度を落とした。僕は危うく助手席のシートに叩きつけられそうになった。

「おい、何だよ急に」

「ここでバイパス降ります。この先で車線が減るんで、そこから渋滞が始まるはずなんですよ」

 猪熊の言う通り、前方に見える「東波丘ランプ」の表示の横には、車線数減少の標識が出ていた。猪熊が大きくハンドルを切ると、車はコースを変えてバイパスを離れた。

「で、ここからどうするかだな。とりあえずは国道で行くか?」

 大沢さんが猪熊に訊いた。

「いや、バイパスが混む時は、結局国道も混みますから。旧街道に逃げます」

 猪熊はそう言って、再びアクセルを踏み込む。エンジンがうなりを上げ、そこからワンテンポ遅れてテンピン号は加速を始めた。国道との交差点を一気に越えたその先には、旧街道と呼ばれる県道が続いていた。


 無理矢理に白線を引いて二車線を確保した感じのこの道は、大型トラック同士がすれ違うなど到底困難な狭さで、下手をすれば沿道に建つ古い家屋の軒先に激突してしまいそうだ。しかし、車体の小さな旧規格軽自動車のテンピン号にとっては、何の問題もない。

 こんな道でもバイパスや国道が渋滞する時には、溢れてきた車でやはり渋滞することも多かったが、今日は幸いそんなこともなく、車はまずまず順調に流れていた。

「この先のルートをどうするか、今のうちに考えておかなきゃいけません。誰か、地図見てナビお願いしますよ」

 猪熊が言った。

「阿倍野、お前頼むよ。俺、車で地図見ると即座に酔うからさ」

 僕は阿倍野に役目を押し付ける。もっとも、酔うというのはあながち嘘でもない。寝不足で頭がふらふらなのである。

「構いませんよ。だけど地図は?」

 素直に引き受けた阿倍野が、前席の猪熊に訊ねる。

「後ろの荷物室にロードマップがあったはずです。ちょっと古そうでしたが」

 ルームミラーに目を遣りながら、猪熊が答えた。


 しかしその地図は、「ちょっと古い」などという生易しいものではなかった。表紙が色あせてぼろぼろになった「全国道路地図」のその様子は、昭和の中頃に出版されたものではないかと思われるほどだった。

「えらい年代物だな。こんなの使い物になるのか?」

 と僕は呆れた。

「いつ頃の地図やの? これ」

 阿倍野が猪熊に訊ねる。

「いやー、どうなんですかね。元から積みっぱなしになってたやつなんで。竹中に聞いたら分かるかもしれませんが」

 阿倍野はロードマップを開くと、目を細めながらじっとページを見つめた。外からの日差しがまぶしくてページが見づらいらしい。やがて彼は、「おかしいな」と言いながら首を傾げた。

「どうした?」

「いや、どうもさっきの波丘バイパスがあらへんみたいなんで」

「それじゃ十年以上は経ってるな、その地図。波丘バイパスが全通したのは十年前だからな、確か」

 大沢さんが振り返って、どれどれと地図をのぞきこんだ。

「全通どころか、全然見当たらへんのですけども」

「ああ、これだ。この『波丘産業道路』ってのが今のバイパスの一部だ。ほら、他の道路と全部立体交差になってるだろ」

 地図の上を指差しつつ、大沢さんは言った。


「そう言えばありましたね、産業道路って」

 僕は子供の頃を思い出す。父親が運転するホンダ・アコードで初めて時速百キロという速度を体験したのが、当時出来たばかりだったこの産業道路だったのだ。なにせ当時この地方には、まだ高速道路というものがなく、そんな速度の出せる場所はほとんどなかったのである。ホンダのDOHCが本気で回る音、というものを僕はその時初めて聞いたのだった。

「そうですか。僕が大阪からこっちに来たときは、もう波丘バイパスやったと思いますわ。しかし古い地図も面白いもんですねえ、道に歴史ありて言うか」

 阿倍野が感心したようにうなずく。

「面白がってる場合かよ。こんな地図じゃ使い物にならないじゃないか」

 呑気なその様子に、僕はあきれた。一体、この状況でどうルートを調べればいいというのだ。携帯にナビ機能というのも搭載されてはいたが、まだまだ使い物になる段階ではなかった。

(#6「究極の抜け道、幻のトンネル」へ続く)

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