#4 逆襲の白滝、背後に迫る怪物
車はしばらくのんびり流れに乗って、波丘市の都心方向へと向かう県道を走った。目指す海は市内を抜けてさらに進んだ向こう側、「戸張山」と呼ばれる低い山地を越えた先にある。沿道には安物のファミレスやガソリンスタンドにパチンコ屋が建ち並び、その合間に時々田んぼが姿を見せると言う、いかにも都市近郊の中途半端な風景が続いていた。
「おい、音楽でも聞こうぜ、なんかCDとかないか?」
と僕は前席に体を乗り出して、ダッシュボードをのぞき込んだ。ダイヤル式チューナーのラジオと、「8tracks audio」と書かれた見慣れないスロットがあるカーステレオが、センター部に取り付けられていた。ラジオ局の周波数が書かれたチューナーの窓が、くすんで半透明に変わっているのがいかにも年代物っぽい。
「CDは無理だと思いますわ、聞けるのラジオくらいで」
猪熊が申し訳なさそうに答える。
「じゃあFM77.4だ。カウントダウン40やってる時間だろ」
「それも、だめです。このラジオAM専用で」
「何にもない車だな、じゃあAM局でいい」
スイッチが入った途端、ものすごい音量で演歌が流れ始めた。エンジンの爆音に打ち勝つほどのやかましさで、大沢さんは慌ててダッシュボードのボリュームつまみを回した。
男に捨てられたらしい女が、天城隧道を越えたり津軽海峡を渡ったりしているうちに、前方に立派な高架道路が見えてきた。あれは都心方向へ向かう波丘バイパスで、「波丘の首都高」とも呼ばれる片側三車線の立派な道路である。テンピン号はスロープを登って、この高架道路に乗り入れる。
先ほどまでの呑気な世界が、途端に激変した。一般国道で六十キロ制限のはずの波丘バイパスだが、周りの車はみんな時速百キロを超える速度でぶっ飛ばしていく。
どんなに頑張ってアクセルを踏んでも、悲しいかな三気筒550CCのテンピン号には、そんなスピードは出せない。メーターの針は六十キロ辺りをゆっくり登っていくばかりだ。
「おい、抜かれてるぞ。もっとスピード出せよ」
大沢さんが、猪熊に無茶を言う。
「いや、これでも精一杯やってるんですが」
猪熊は必死の形相になっている。
ベタ踏みでの加速を執拗に続けるうちに、車の速度は何とか時速七十キロを超えてきた。テンピン号の性能を考えれば、かなりの健闘ぶりだった。
「スジャータ」の時報とともに演歌ヒットパレードは終わり、ラジオからはサザン・オールスターズの「太陽は罪な奴」が流れていた。思い切り音量を上げたので、元々AMで良好とは言えない音質が、スピーカーの音割れでひどいことになっている。しかしそれでも、彼方の夏空と白い入道雲を目指してバイパスを突っ走りながら聞く音楽としては、これ以上ぴったりな曲はない。否応なしに、気分も盛り上がってくる。
「いやあ、いいな! これこそ夏のドライブだな」
と大沢さんがはしゃいだ声を上げる。窓からの風で、大沢さんの髪は逆立ってすごいことになっていた。
その時、ふいにどこかから携帯電話の着信音らしきメロディーが聞こえてきた。確かこれは、昔の「ハトヤホテル」のCMソングである。誰だ、こんなのを着信に使うのは。
「あ、電話や」
阿倍野がポケットから、電話機を取り出した。
「あれ? 白滝くんからや。もしもし」
「無事だったか、白滝のやつ」
大沢さんが、窮屈そうにこちらを振り返る。
「うん、うん。そうやね。わかった、一郎さんに代わるわ」
阿倍野はそう言うと、僕に携帯を手渡した。
「何だよ、一体」
僕は電話のスピーカーを耳に当てた。
何やら、ぶつぶつ言っている声が聞こえる。しかし、周囲がやかましすぎて、一体誰が何を言ってるのかさっぱり分からない。阿倍野は良くこれで、普通に会話ができたものだ。
「ちょっとすみません、窓閉めてもらえますか。あと、ラジオの音量下げて。全然聞こえないんで」
と前席の二人に頼むと、
「もしもし、もしもーし。メイデー、メイデー」
ようやく、白滝の声が聞こえてきた。
「ああ、もしもし。済まんな、車内がやかましすぎて」
「そうみたいですね、こっちにもすごい音が聞こえてましたよ」
「で、あれから無事に帰れたのか?」
「みなさんが行ってしまうのを見て、即座に灼けたアスファルトの上で土下座したら、多少の殴る蹴るで許してもらえましたよ」
ははは、と白滝は乾いた声で笑った。
「そりゃ悪かったな。見捨てるつもりじゃなかったんだが、猪熊の奴がな」
と僕は猪熊に罪をなすりつける。
「いや、もうそんなことは構いやしませんよ。で、みなさんは今どの辺ですか?」
「波丘バイパスを、市内方面へ向かってるところだ。ほら、猪熊の財布をさ」
「さぞかし暑いんでしょうね、あの車に四人乗車で。いや、こちらは快適ですよ。実はあのコンビニの近くに、兄貴が住んでましてね。借りたんですよ、車を。トヨサンのマークVってね、まあそこそこ高級車の部類になるんですかね。クーラーも効き過ぎなくらいで。今、そちらを追ってるところですよ」
白滝はそう言って、「ククク」というおかしな笑い方をした。
「何だ、結局お前も応援に来てくれるのか」
「そんなわけ、ないでしょう」
がらりと冷たい声になって、白滝は言い放った。
「こちらもそろそろ波丘バイパスの入り口です。これに乗ってしまえば、団栗浜なんてすぐだ。時速140キロで、あっという間にあんた方のボロ車など追い抜きますよ。それで団栗浜に先回りして、猪熊の財布を奪ってやるんだ。俺は竹中のように甘くはありませんよ。財布は永遠に海の底だ。ざまあ見ろ」
「お前、それは一体どういう」
「復讐ですよ。俺を見捨てた皆さんと、それにみさきちゃんと、ついでにレジのあのあばずれ女へのね」
「と言うか、みさきちゃんとかレジの子は全然関係ないぞ」
「知ったことですか。とにかく、こちらは時速140キロですから。覚悟することです」
電話は切れた。
「何だって?」
大沢さんがまた振り返る。
「いや、それが……」
僕は白滝の言った内容を、かいつまんで説明した。
「俺の財布、何にも関係ないでしょう。自分が悪いんじゃないですか」
猪熊が悲鳴を上げる。
「身内に裏切られたか」
大沢さんがうなる。
「猪熊、こうなったら奴よりも先に団栗浜に着くしかない。もっと飛ばせ、引き離しにかかるぞ」
「しかし、相手はマークVでしょう。V型六気筒ですよ。どう考えてもすぐ追いつかれちまいますよ」
と猪熊は嘆く。
「確かに、DOHCの2500CCエンジン搭載だからな。このテンピン号にとっては、モンスターにも等しい相手であるのは間違いない」
腕組みしつつ、大沢さんはうなずいた。
目玉のごときへッドライトを爛々と輝かせ、ラジエーターを剥き出したマークVが、雄叫びのようなエンジン音をガオオムと響かせながら驀進してくる姿が脳裏に浮かぶ。まさにそれは走るモンスターだった。
(#5「公道レース、キャノンボール」へ続く)
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