第11話

 振り向いた草子が見たものは、あの男とは似ても似つかない太った男が、車の窓から顔を出してこちらに笑いかけている姿であった。


 イボ蛙に似てる。


 その男は、顔が大きく、肌が荒れて、太っていた。草子は咄嗟にイボ蛙を連想した。


 奇跡が起きなかった事に、落胆を覚えながら、草子はイボ蛙を無視して歩き始めた。


 イボ蛙が車を降り、草子の後ろをついてきた。そして草子に名刺を差し出した。


「怪しいものじゃないよ」


 充分顔が怪しいんですと言う言葉を飲み込み、草子は名刺を受け取った。見るとそこには、人材斡旋業、営業「松野武史」と書いてあった。


「人材斡旋業?」


「そうそう。ね、怪しくないでしょ」


 イボ蛙ではなかったのか。松野という名の男の顔を草子はじっと見つめた。


「足痛いでしょ。まずは靴買わないと」


 松野は当然のように呟くと、草子に車に乗るように言い、背中を押した。


 草子は男に車に乗せられた時の事を思い出す。そして松野の顔を見た。


 違う。この男ではない。草子は車に乗ることを拒否するように後退りした。


 一瞬、松野の目が狂犬のようになるが、草子は気づかなかった。


 松野の目はすぐに元のイボ蛙のような目に戻り、草子の耳元に卑しくささやいた。


「君みたいな人は、ほっとけないんだよ」




 白く細い足に、血のように赤い靴が近づく。


 銀座の高級靴店の中に、草子は座らされていた。店員の女性が、草子の足に靴を合わせていく。女性からはいい匂いがした。


 松野が柔らかいタオルで、草子の足を拭いた。


 乱暴な拭き方だ。あたしの男とは違う。草子は敢えてあたしの男と思ってみた。


「痛い」


 草子はわざと声に出して言ってみた。だが、松野の手が止まる気配がない。草子は瞬時に理解した。この松野という男は、夫と同じ部類の人間だ。


 女を力で押さえつける種類の男なのだ。


「どう、気に入った?」


 自信満々で、松野が草子に問いかけてきた。自分が一番正しいと信じている男が、草子に微笑みかけてきた。


 蛙だ。この男は蛙なのだ。


 あたしには蛙の言葉はわからない。


「お似合いですよ」


 女店員も松野に聞こえるように、そして媚びるように言った。


 草子は松野に靴を投げつけたい衝動に駆られたがかろうじて堪えた。


「決まりだ」


 松野はテキパキと女店員に指示を出し、草子の足に赤い靴を履かせた。


「次は、服だな」


 松野は舐めるような視線を草子に送りながら、分厚い財布の中から一万円札を五枚取り出した。


 草子は咄嗟にその五万円を奪い取り、裸足で走る自分を想像した。


「行こうか」と松野は草子の折れてしまいそうに細い手首を掴み、店から出ていこうとした。


「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」


 女店員の声音は、少し震えているように草子は感じた。


 きっと、あの女店員は松野の事が好きなのだろう。嫉妬する女の気持ちは、シャツを破れるまで洗っていた草子には、痛いぐらいわかるのだ。


 それから、松野は草子に服を買い、最後には美容院に連れて行き、入念に草子を美しく仕上げていった。



 (つづく)

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