悪女と執事〈中編〉
「……行ってしまいましたね」
自分と同じように、二人の姿を見守り続けていたもう一人に声をかける。
そこでやっと、モナルク様は挟まっていた扉と壁の間から這い出し、上品な桃色をした、柔らかで滑らかで美しい毛並みに包まれたお姿を現した。
身を隠したのは、忌々しい王宮からの使者どもを驚かせないように配慮したためであろう。こんな時に、あんな相手にまで気を遣うなんて、本当にどこまでもお優しい方だ。
「……ベニーグ、聞いていい?」
しかしモナルク様がそう言って私に向けた目は、ひどく険呑だった。
夜空の深遠を宿したような漆黒の瞳には暗い光が燃え、ピンと張った凛々しくていらっしゃる眉もキリリと上がり、より威厳に溢れた表情となっている。
「ヘルウルフって、一夫多妻制?」
「へっ?」
唐突な質問に戸惑ったものの、モナルク様の発する圧におされ、私は脳内の知識を拾い集めた
「私は生まれながらに人間の中で育っておりますから、文献でしか存じませんが……番と決めた一個の相手と生涯添い遂げる、と記載されていたと記憶しております」
ぐぐっと、さらにモナルク様の眉がつり上がる。
「ベニーグ、半分は王族の血筋だって言ってたね? 人間の王族は、モニャのパーパンとマンマーと違って、もしもの時のために、たくさんお嫁さんもらうんだよね? ベニーグも、そうなの?」
パーパンとマンマーとは、モナルク様の父親と母親を指しているのだろう。さすがモキュア、親への呼び名も格式高い。
それはさておき……モナルク様がいきなりこのようなことを言い出したのは、きっと私を心配なさったためだろう。
何せ目の前で、思いっ切りシレンティを抱き締めてしまったのだから、彼女への想いを明かしたも同然だ。
身も心もお美しいモナルク様のことだ、彼女を失った私の悲しみを癒やすために、縁談を設けようとお考えになったのかもしれない。
「そう、ですね……ヘルウルフは希少種です。私はハーフといっても、その血を継ぐ数少ない存在。子孫繁栄のためには、そういった手法もやむを得ないのでしょう。番と決めた相手を失った私の父が、その後どうなったのかも知れませんから……父の誇り高き血を後世に残すためには、数多くの者を娶り、数多くの子を成すのは私に課せられた義務なのかもしれません」
モナルク様の眉がしんなりと下がる。
前に私の身の上を明かした時も、こんな悲しげなお顔をされていた。
同情と言ってしまえば、それまでだ。
けれどこの方は、私などよりもつらい思いをなされている。にもかかわらず、深く悲しみややるせなさに共感し、そっと寄り添うように共有してくださるのだ。
この方に出会えたことは、私にとって最高の幸せだ。そしてまた、彼女との出会いも。
今も尚馬車に揺られ、どんどんこの地から遠くなっていくシレンティを胸に思いながら、私はモナルク様にきっぱりと告げた。
「ですが、私はそういったことをするつもりは毛頭ございません。毛ほどもございません。毛に誓ってありえません。私は生涯、彼女ただ一人を愛し続けるつもりです。共にいられないのはわかっています。けれどそれでも、私は彼女を想いながら、生きていきたいのです。自分勝手ではありますが、どうかご理解ください」
すると、モナルク様がまたむんぎゅりと眉をお寄せになられた。
やはり種の存続を放棄しようとしている私の考えに、同意しかねるのか――と思いきや。
「…………ベニーグの愛する彼女っていうのは、シレンティなの? それとも……アエスタなの?」
ここで、思ってもみなかったおバカの名前が出てきた。
ええ……ご覧になられていたのだから、わざわざ確認しなくたってわかるじゃないですかぁ……。
「シレンティに決まっているでしょう。私がアエスタ様などを愛するわけが……」
ぺちーーん!!
「キャン!?」
突然頬を襲った衝撃に、思わず私は叫んだ。
蹌踉めいたものの辛うじて踏ん張り、頬を押さえてモナルク様を見る。
モナルク様は眉を釣り上げ、怒りに満ちた目でこちらを睨んでいた。
え? え? 何、何で?
モナルク様に、頬を平手で打たれたのだ――起こった事象についてはすぐにわかったが、どうしてそこに至ったのか、さっぱりわからなかった。
一体何故、モナルク様が私を……!?
「モニャ、怒ってるよ……でも、手加減したんだからね……ベニーグはお友達だからね……でもでも、お友達だって、許せないことあるよ!」
華麗なる桃色の毛を逆立て、逞しきお体を震わせながらモナルク様は告げた。
お友達。
モナルク様が私をそんなふうに思っていてくださったなんて、とても嬉しい。
だが、今は喜んでいる場合ではない!
「ゆ、許せないとは、どういう……」
ぺっちーーーーん!!
「キャイン!?」
またぶたれた。今度は反対側の頬だ。
姿見がないため確認できないが、今の私の両頬にはぺったんことスタンプしたように肉球の跡が付いていることだろう。
それでもモナルク様が自ら仰ったように、加減はしてくださっているのだと思う。でなければ、首ごと吹っ飛んでいたに違いない。
モキュアは竜の中でも、戦闘力が高い。群れの長となる資質を備えていたモナルク様なら、私程度、一撃で屠ることも可能なはずだから。
「わかんないの、ベニーグ!」
鈴の音を思わせる美しいお声を張り上げると、モナルク様は私に一歩寄った。
「ベニーグのしたことは、二股っていうんだよ! 良くないことだよ! アエスタ、ショック受けてた! モニャと一緒にビックリしてた!」
そう、だったか……?
キャーついにやりよったわー! という顔で気持ち悪くニヤついていただけだった……と思うが?
「アエスタ、ベニーグが好きなのに! ベニーグもアエスタが好きだったのに! 二人、両想いだったのに!」
殴られるよりも強く大きな打撃が、脳天から突き抜けた。
おい待て。
何……モナルク様は今、何が何と仰られた?
あのおバカが私を好きで、私もあのおバカが好き? そう申されたか!?
嘘でしょう!? 嘘だと言って!
ねーよ! 絶対にねーよ!! 何故だ? 何がどうしてそうなった!?
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