番外編

悪女と執事〈前編〉

※こちらのお話は『大好きなあなたのことは、これからも忘れてなどやりませんからね!』と『アエスタは あらたなスキルを かくとくした!』の間に、裏で起こっていたお話となります。


※いろいろとネタバレ全開なので、本編後に読んでいただけると嬉しいです。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 アエスタ・フォディーナ伯爵令嬢は、麗しい顔の下に恐ろしい性根を隠した、この上ない悪女だという。


 何でも、フォディーナ伯爵家に取り入り、まんまと養子となって令嬢という身分を手に入れ、挙げ句の果てには王太子殿下を誘惑したとか。その証拠に、王太子殿下の婚約者の第一候補とされていた公爵令嬢を始め、自分の邪魔になりそうな家柄の良い令嬢達にも嫌がらせを繰り返して、さらには様々な令息達に色目を使って言うことを聞かせていたとか。王太子殿下との婚約が発表された直後、そんな証言が山程出てきたとか。


 ――といった話は、彼女を紹介したイムベル公爵閣下から聞かされていた。


 よくもまあそんな危険な女をモーリス領辺境伯の婚約者に推したものだと呆れたが、了承するほかなかった。身分が上の公爵閣下からの推薦では、断るわけにはいかない。

 恐らく、いや間違いなく、その悪女がこちらでも拒絶されることで、彼女のさらなる孤立を狙ったのだろう。話に登場した王太子殿下の婚約者第一候補というのが、彼の娘であったそうだから。

 なのに娘を差し置き、一時とはいえ別の女が王太子殿下の婚約者に収まったのだ――我が子への愛なのか、公爵としての矜持なのかはわからないが、恥をかかされたと大層憤慨していらっしゃった。


 怒りを堪え切れず、半ば声を荒らげて語るイムベル公爵の姿に、私は密かに嘆息した。


 そんなにも腹が立つというなら、自身で相手に文句を言うなり殴るなりして速やかに気を晴らせばいいものを。なのに自分の手は汚したくないからといって、回りくどい方法を取る。陰湿極まりない。己の個人的な怒りに無関係の者を巻き込み、面倒事を押し付けることが彼らの社会では美学なのか?


 どこまでも自己中心的だ。全く、これだから人間は醜い。


 だが、人間がどうしようもない生物だなんて事実は、嫌というほど知っている。嘆いたところで仕方ない。


 イムベル公爵の思惑など、どうでもいい。どんな女が来たところで、どうせ泣いて逃げ出すだけ。公爵閣下の目論見通り、その女はモーリス領辺境伯の婚約者となる道を自ら放棄し、とっとと立ち去るだろう。これまでのご令嬢方と同じように。


 人間は愚かだ。

 自分達とは姿が違う、自分達よりも力がある、自分達にはないものを持ち、自分達にあるものを持たない。それだけで恐怖に衝き動かされ、差別や迫害を行う。勝手な思い込みで、我々人外を勝手に恐れる。

 特にモーリス領辺境伯については、過去に敵意をもって接した者達がことごとく痛い目に遭わされたらしく、その伝聞によって非常にねじ曲がったイメージを作り上げられていた。


 己の五感よりも他者の言葉を信じ、躍らされて真実を見ようとも聞こうとも知ろうともしない愚かな人間。


 彼女も、そんな人間の一人だと思っていた。

 なのにその女は――アエスタ・フォディーナは違った。


 良く言えば、肝の座った者だった。悪く言えば、おバカで失礼で無礼でおバカで無神経でおバカでおバカ。あまりにもおバカが過ぎたせいで、普段は冷静な私もひどくペースを乱された。


 私だけでなく、敬愛するモーリス領辺境伯、モナルク様までもだ。


 モキュアなるこの上なく麗しき竜種でいらっしゃるモナルク様。私と同じく、否、私以上に人間から大きな苦しみを与えられ、それでも尚強く気高く戦い、生き抜いた素晴らしきお方。外見も内面も人間などとは比べようもないほどに美しく清らかで、尊敬の念を抱かずにはいられない、私にとって神の如き存在。


 そんな私の唯一神、モナルク神様が何と、彼女に興味を抱いたのだ。

 私からすれば、あのおバカな女のおバカな言動行動がどこをどうして琴線に触れたのか、さっぱりわからない。しかしモナルク様は、そのおバカと接してみたいとすらお考えになったらしく、苦手だったスピーキング練習に精を出すようになった。


 そして私も気付いた。

 アエスタ様を心の中ではバカスタと呼んでバカにし倒していたけれども、そう思えるようになったことも大きな変化だったのだと。


 私はいつしか、彼女を人間という括りから外し、一個の者として見ていた。おバカでおバカで、本当にどうしようもないおバカではあるが、人間だからおバカなのだと思ったことはない。アエスタ様だからおバカなのだ。アエスタ様がおバカなだけなのだ。人間のせいではない。むしろ人間のせいにしては、人間が可哀想だ。


 またアエスタ様は、モナルク様に続いて私の心を大きく捉える者と巡り会わせてくれた。


 彼女の侍女であるシレンティ・トレンス。

 最初はいるのかいないのかわからないような女であった。だがそれは、人間を忌み嫌う我々を気遣い、わざと気配を消していた――のだと思う。おバカな主と違って、シレンティは思慮深い。常に無表情のため感情を読みにくいけれども、その裏で私のことを思いやってくれていた。私の間違いをただしてくれた。私に新たな希望を与えてくれた。



 ずっとそばにいてほしい――しかし、その願いは叶わなかった。仕方なかったのだ。



 シレンティはアエスタ様と共に、この地を去ることになった――モナルク様とモーリス領を救うため、アエスタ様が望まない相手のもとへ向かわねばならなくなったがために。


 一番苦しんだのは、アエスタ様だろう。彼女は心からモナルク様を想っていた。


 彼女の気持ちを疑って心無い言葉を吐きつけた己を、それこそ消し去りたいほど悔やんだ。

 もっと早く私がモナルク様に働きかけ、アエスタ様を婚約者として認めていただけるよう計らえば良かったのだ。モナルク様はこのところ私と彼女を避けていたようだったが、それまでは本当に良い雰囲気だった。

 我々がモナルク様に冷たくあしらわれるようになったのは、バカスタのおバカ加減が想像以上だとバレて、接するのも嫌になったせいに違いない。そのためこんなおバカをいつまで置いておくのかと、私にまでお怒りになったせいに違いない。


 それを察して、きちんと教育すると申し出ていれば。あのおバカをもう少し直せていたら。悔やんでももう遅い。


 モナルク様はそれでも再三、他に案はないのかと私に問うた。たとえおバカ過ぎて見るのも話しかけられるのも無理だと突き放したのだとしても、一連の騒ぎの責任をアエスタ様一人に背負わせるのは心苦しかったのだろう。モナルク様はとても心優しい方でいらっしゃるから。


 私とて、できるならどうにかしたかった。

 これでは奴らに屈したも同然ではないか。奴らがやらかした不始末だというのに、こちらの安寧を勝手に質に取られたからといって、何故我々が我慢せねばならない?


 自ら王宮に乗り込み、バカげた企みをはかった者どもを全員抹殺してやろうかとも考えた。人間など脆弱だ。位がどれだけ高かろうと、肉体は等しく脆く、私の牙と爪と魔力で命を奪うのは容易い。

 だが、そうしたらどうなる?

 他の人間どもがモナルク様の差し金だと騒ぎ立て、モーリス領が再び戦火に晒されることになるはずだ。それを蹴散らすのも、モナルク様と一緒ならばそう難しいことではないだろう。だが次は? シニストラ国を滅ぼしても他の国が、世界が、我々の前に立ち塞がる。


 人間は脆弱だ。しかし、奴らは数で勝る。

 この世界は、彼ら脆弱な人間が支配しているのだ。良からぬ噂を根本から消し去りたいなら、むしろ戦ってはならない。堪える以外に道はないのだ。


 だから、私はモナルク様に答えた。

 これしか方法はない、と。その言葉で、自らの心も切り裂きながら。


 シレンティと離れたくなかった。シレンティと一緒にいたかった。しかし今は仕方ないとしても、もしかしたら騒動が落ち着けば、戻ってきてくれるかもしれない。

 そんな期待を僅かに抱いたが、彼女は静かに首を横に振った。この先も自分はずっと、アエスタ様のそばにいると言って。

 私がモナルク様から離れられないように、彼女もアエスタ様と共にある道を選んだのだ。


 初めて抱き締めたシレンティの体は、とても細くて小さくて、力を込めれば壊れてしまいそうだった。いっそ壊して、自分のものにしてしまおうかとも思った。けれどもそっと私を抱き締め返す愛しい手によって、その狂おしいほどの衝動はかき消され――そうして私とシレンティは身を離し、二つに別れた。二度と触れ合えない、ぬくもりだけを残して。


 馬車まで荷物を運ぼうとしたが固辞され、アエスタ様とシレンティはそのまま行ってしまった。


 二人の姿が馬車に吸い込まれ、それが見えなくなるまで、私はいつまでもいつまでも玄関に立ち尽くしていた。

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