悪女も魔獣もおりませんので、皆様も是非モーリス領に遊びにいらしてね!

「す、すまんな、アエスタ……お父さん、死にかけてはいたんだ。ヴィータに……お母さんに、無残な姿を見られて嫌われて捨てられる恐怖でいっぱいになっていて、しかし死ぬ間際にどうしても会いたくて」



 スキンヘッドになったお父さんが言い訳する。ゆっくりと頭が冷えてきた。


 当時のことを思い出す――お母さんが到着すると、お父さんはしばらく二人きりになりたいと言った。

 それを叶え、私は少しの間、お父さん達から離れた。

 木の上で涙に滲む自然を眺め、お父さんと過ごした日々を思い返していたら、お母さんに大きな声で呼ばれて、戻ってみたらお父さんはもう――。



「髪がなくなったくらいで、嫌いになるわけないじゃないの。お父さんったら、本当におバカよね。そんなことを気にして、あんなに弱って……」


「『ハゲてるレントゥスも素敵だよ』というお母さんの言葉で、お父さん、一気に元気になってしまってなー」



 しかしフォディーナ伯爵家には、娘を頼むといった旨の送っている。おまけに、私を養子に迎え入れたいという返事が届いたところだった。



「どうせなら、アエスタに新たな世界を経験させてみるのもいいとお父さんが言ったのよ」


「アエスタは美人だからな。ドレスなんて着て、綺麗に身を整えたら、周りが驚くほど可憐なレディになると思ったんだ」



 生まれながらに娘に不便な野外生活をずっと強いてきたことを、申し訳なく思う気持ちもあったようだ。伯爵家に引き取られれば、何不自由ない生活をできるだろう、と。


 そして二人はお父さんの提案で、『死んだフリして一時退場! 娘をレディに大変身させてみよう大作戦』を決行した。


 すべてを語り終えると、お母さんはふうと溜息を付く。



「アエスタ、本当にごめんね。つらい思いをさせてしまったわ。でも……お父さんの想像以上に、素敵なレディになったようね。あっという間に見初められて、婚約までしてしまったのだもの」


「こ、ここまで早く他の男にさらわれるとは思っていなかったんだ! ったく、どいつもこいつも油断も隙もない!」



 吐き捨てるように言うと、お父さんは私の手をぎゅっと握って、テカテカの頭とうるうるの目で訴えた。



「アエスタ、本当にあんな男がいいのか? ちょっと顔が良くて、ちょっとお耳がキュートで、ちょっと尻尾がフサフサしていて、軽く剣で確かめた感じ、反射神経と敏捷性に長けていて、服の上から見るに細いながらも筋肉質で骨格もしっかりしていて、挨拶の立ち姿から察するに礼儀と教養にも優れているというだけではないか。あいつの何が良いのだ?」


「ベタ褒めですやん」

「むしろ、良いところしか挙げてませんやん」



 チラリとお母さんとシレンティがそれぞれ突っ込みを入れる。



「…………お父さん、他に言うことがあるのではなくて?」



 震えながら、私は問うた。



「おっ、言葉遣いもすっかりレディだな! 感心感心! きっとクレーメンとオルキスがしっかりと教育してくれたのだな。さすが我が弟と我が元婚約者だ。感動感動! またお礼に、美味しい虫詰め合わせセットを送ろう!」



 ごめんなさい、お父さん。生きていてくれたのは、本当に嬉しい。


 けれど…………やっぱり、我慢できない!



「ふっざっけっるっなー! この野郎ーー!」


「おお!? アエスタ、いつの間に私の剣を抜いた!? レディになってもこういった鍛錬を怠らないとは……やはりお前はできる子だ! お父さんの子だけあるなー!」


「うるっさーーい! このハゲ、私に謝りなさい! それができないなら、黙って斬られなさーい!!」



 再会した父親に剣を向けるなんて、暴挙オブ暴挙極まりないが、腹が立つんだから仕方ない!



「あにょ……」



 しかし可愛らしい声が耳に届くや、私は剣を放り捨て、お父さんの局部をヒールで思いきり蹴っ飛ばしてからさっと笑顔で振り向いた。


 その笑顔が、さらにキラキラエフェクトに包まれるのを感じる。


 声の主は、言わずと知れたモナルク様。

 でもいつものモナルク様じゃないの。いつものモナルク様も素敵なの。でも今のモナルク様は、いつもの百倍素敵なの。


 だって……何と! 白いモーニングコートをお召しになっていたからよ!



「お、遅れてすみましゃ、しゅみ、しゅ、すみません……モニャ、お服、着るの、初めてで……」



 よったよった、もっふもっふとピンク✕ホワイトの可愛さにカッコ良さを掛けて掛けて掛け尽くした愛しの方が近付いてくる。


 うっとりと見とれている間に、モナルク様はお母さんとお父さんの前に立った。そして短い左腕を伸ばして右手を胸に添え、足をクロスさせるボウアンドスクレープの姿勢を取る。


 ぷるぷるしてるけど、今度は成功したわ! ……と思ったら、背後でベニーグが必死の形相で支えていた。



「アエスタ様などとご婚約されたのは、私ではありません。こちらのモーリス領辺境伯、モナルク・モーリス様こそがアエスタ様などの婚約者です」



 一連の動きでひんひんになっているモナルク様に代わり、ベニーグがさっと出てきて紹介する。


 など、をつける位置が違うように感じたが、まあ良しとしよう。



「よ、よろしくお願いしみゅきゅ……むにゅ〜噛んだぁ……」



 モナルク様がふっくらした口元をもっふりした手で押さえ、もきゅっとつぶらな目を閉じてもふもふ悶える。


 まず飛び出してきたのは、お母さんだった。


 

「かっわいいーー! ええ、もしかしてモキュアじゃない!? 私も初めて見るわ! こちらこそよろしくね! こんなに可愛い息子ができるなんて、嬉幸うれしあわせよ!」


「むしゅ、むちゅこ……?」



 モナルク様が黒い瞳を瞬かせて尋ねる。お母さんはニカッと笑って頷いた。



「そうよ、私はアエスタの母だもの。アエスタと結ばれれば、あなたも私の息子になるのよ。私だけでなく、フォディーナ伯爵家とも家族になるの。素敵な家族が増えて、本当に嬉しいわ!」


「家族……モニャに、家族……」



 モナルク様が呆然と呟く。

 遠くを見るような瞳にはきっと、失った家族達が映っているのだろう。


 失ったものは還らない。でも新たに作ることはできるのだ。


 で、お父さんはというと。



「ここまでアエスタの好みど真ん中すぎるお相手では、私にももう何も言えんよ……。アエスタ、お前は幼い頃から、体中に綿毛をくっつけて遊んでいたくらい、モフモフ大好きだったものな。一人でオバケの真似をしていたり、虫を集めて晩餐会を開いたり、鳥を相手にお姫様ごっこしたり、綿毛戦士とかいう謎のヒーローとして大木と戦ったり。知らない者にはいろいろと情緒不安定で危ない子に見えたそうだが、その中の一人がお前の姿をモデルにして、小説を書いたこともあったのだ。お前は知らないだろうが」



 などと、しみじみしていらっしゃった。


 綿毛、情緒不安定、小説、というワードで何か思い出しかけたが、気付かなかったことにした。知らない方がいいことだってある。



「だが……たとえアエスタ好みの御仁とて、そうやすやすと娘を渡すわけにはいかぬ!」



 いつの間にか剣を拾い上げていたようで、構えの姿勢となったスキンヘッドが鋭く煌めいた。



「モーリス卿よ、これは父が娘を嫁にやる通過儀礼だ! 私を倒せ! 娘を守れる強い男だと、父である私に示せ!」



 お父さんはそう告げると、キラリと頭と剣を輝かせながらモナルク様に突っ込んでいった。



「むきゅ! わかった、モニャ、強いとこ見せる!」


「いけません、モナルク様! やめ……!」



 ベニーグの悲痛な叫びむなしく――――ビリィィ! と無慈悲な音が響いた。


 モナルク様が身を捻ってお父さんの剣を避けるや、上着とシャツの腕とサイドの継ぎ目が。


 モナルク様が身を低くしてお父さんの腹部に掌底を食らわせるや、上着の前身頃とズボンのウエストが。


 モナルク様が飛び上がり、背中の翼を広げるや、上着からシャツまで見事に後ろ身頃が。


 モナルク様がお口とちっちゃな尻尾から火炎と雷撃のビームを同時に出すや、上着もろともシャツの襟首とズボンのお尻部分が。


 モナルク様が金色に輝き、全身をピンクゴールドのバリアを発動させるや、辛うじて身にくっついていた布地全てが。


 何もかも吹っ飛んだ。

 モーニング、あっという間に大破である!



「そ、そんな……来月の舞踏会のために、大枚はたいて良い生地を購入したのに……夜なべしてやっと完成させたのに……」



 散り散りになった布をかき集め、ベニーグは泣いた。



「ベニーグ、ごめんね……モニャ、また太った、かも……」



 一糸まとわぬ……と言っていいのか、ピンクのモフモフのみの通常モードに戻ったモナルク様が、しょんぼりとお腹のお肉をモミモミモフモフして詫びる。



「強い……何と強い……! この方なら、アエスタを任せられる……! あ、そこのベニ……ベニー……ベニコだったか? 婚約者と勘違いして襲いかかって悪かったな!」



 体を起こしたお父さんが、恐らくまた熱湯風呂程度におさえられた火炎を食らって赤くなった頭を撫でながら、悪びれない謝罪をする。少しフラフラしているのは、掌底の衝撃がまだ残っているせいか、前は静電気レベルだった雷撃が今回はもっと強かったせいか。


 とにかくモナルク様とお父さんは戦いを通じて互いへの理解を深め合ったようで、固い握手と抱擁を交わしていた。



 しかし――ベニーグの方は、これにて万事解決、と納得できる状態ではないようだ。



 ゆっくりと顔を上げた彼は、泣き濡れた金色の目をモナルク様達に向けた。その表情は、怒りに燃えている。


 あ、これはとてもまずい予感がするわ?



「おーまーえーらー……」



 低く唸るベニーグの声音から、私は即座に危機を察した。



「お父さん、モナルク様、逃げて!」

「むきゅ!?」

「ひい!?」

「逃がすかぁぁぁーー!!」



 ベニーグが四足の体勢で追ってくる。いやいや待って待って!?



「何で私まで!?」


「そうだよ、私とアエスタは関係ないでしょ!?」


「うるっせええええ! 家族なら連帯責任だろうがぁぁぁぁぁ!!」



 我々を追い回していたベニーグだったが、不意に足を止めた。そのまま、我々から離れていく。


 この隙にさっと木に登って避難して様子を見ていると、彼はアプローチで掃き掃除を始めた者に近付いていった。



「シレンティ、あなたは何をしているのです!? あいつらをとっ捕まえるんですから、あなたも協力しなさい!」


「えー……しかし、私はアエスタ様の侍女ですし」


 シレンティが無表情のまま、面倒臭そうに答える。白けた目が、関わりたくないと言葉よりわかりやすく訴えていた――が。



「何を言っているのですか! あなたは私の家族になるのでしょう!? あなたはチーム・ベニーグの一員です! さあ早く手伝ってください! チーム・アエスタを倒すのですよ!」



 ベニーグに両肩を抱かれて告げられると、シレンティは呆けたような表情となり――しかしすぐに口元を綻ばせ、頷いた。



「…………はい!」



 遠目に見たその笑顔に、私も嬉しくなるのを感じた。


 けれど、喜んでばかりはいられない。



「まずいわ、敵が一騎増えた! 戦闘力がとてつも高い上に勘も鋭いわ! こちらに向かってきてる!」



 危機を伝えた私に、皆が頷き合う。チーム・アエスタは即座に木の上の避難場所を捨て、散開した。


 それから我々は、大きな屋敷と広大な森を舞台に、逃げて追って隠れて叩き出して、不意打ちしたり仲間割れしたりと、恐ろしくもバカバカしい、楽しくも真剣な戦いを繰り広げ続けた。




 ――――このように、モーリス領には悪女も魔獣もいない。

 心優しく可愛らしい辺境伯が守り、彼の婚約者を筆頭に彼を心から慕う者達が集う、とても平和な地なのである。






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