アエスタは あらたなスキルを かくとくした!

 王宮からのお迎えさんだという皆々様は、揃いも揃ってとてもとても控えめで慎ましやかな方ばかりでいらっしゃるらしい。

 私が対応した時と変わらず、森の入口付近でそれはもう大人しくお待ちになってくださっていた。


 最初にご挨拶した際にも、モナルク様をご紹介すべきかと思い、お呼びしましょうかと尋ねたけれども、それには及ばないとお断りされた。その後もモーリス邸には近寄ろうとせず、門にすら来てくれる気配がなかったため、そちらまでシレンティと二人だけで荷物を運ばざるを得なかった。


 仮にも、王太子殿下の婚約者になる者にこんな重労働を負わせるとはね。どうせお情けで婚約者にしてもらっただけの女なのだから、と侮っているのでしょうね!


 森は屋敷の目の前、とはいえそれなりの距離がある。

 振り向けば、長いアプローチの向こうの玄関から漏れる光が、豆粒のように小さくなっていた。ずっと扉の隙間からこそもふ覗いていたピンクも、もう視認できない。


 荷物を馬車に積むことだけはしてくださったけれど……どいつもこいつもガタイの良い野郎ばかりだというのに、どれだけ噂の辺境伯におビビりにおなりあそばれているのかしら? お心だけは淑女のように繊細でいらっしゃるのねー。頑張っても淑女になりきれない私としては、羨ましい限りですわー。もちろん嫌味ですわよー?


 しかしイライラしたおかげで、別れの悲しみは少し薄れたように思う。


 ごめん、嘘。全然薄れてない。とてつもなく悲しいし寂しいしつらい。


 急ぐよう申し渡されているらしく、馬車はとんでもないスピードで駆けていく。まだ屋敷を出てからそれほど時間は経っていないのに、どんどんモナルク様から離れていく。どんどんモナルク様が遠くなっていく。



「うえぇぇぇえん! うわぁぁぁあん! うおぉぉぉん!」



 耐え切れず、私はモフルクを抱いて大号泣した。モフルクの柔らかな肌触りが苦しくて、泣き叫んだ。モフルクに残る愛しい方の香りが切なくて、泣き喚いた。


 私達が乗っているのは、三台の馬車の真ん中。この中はシレンティと二人きりなので、多少羽目を外しても問題ない。


 御者の男には聞かれるだろうけれど、泣いて何が悪いんだ? お前は泣いたことがないのか? 産声は笑い声だったのか? 母親に聞いて確かめてやるから呼んでこい! とでも言えば黙らせられるだろう。


 ええ、新たに覚えたスキル・屁理屈を使ってやるのよ!



「アエスタ様、泣くのは構いませんが涙は流さないでいただけますか。せっかくの化粧が流れ落ちてしまいます。どうかお顔だけでも、淑女の状態を保ってくださいませ」



 シレンティがハンカチで私の目周りを押さえつつ、エプロンから取り出した筆でちまちまとよれた化粧を直しながら、呆れたように言う。



「シレンティだって悲しいでしょ! 一緒に泣きましょうよ! 今しか泣けないのよ!?」



 モフルクにも両手を挙げてもらい、『そうモフ、そうモフー』と裏声で同意の言葉を言わせる。


 けれどシレンティは静かに首を横に振った。



「泣く必要など私にはありません。遅かれ早かれ、私はモーリス領を去るつもりでおりましたから」



 モフルクの手をピコピコ動かしていた私は、その発言に固まった。



「去るつもりだったって、どうして」



 シレンティは涼やかな目を細め、小さく吐息をついた。



「だって……私がどれだけ慕っても、ベニーグ様とは身分が違いすぎます。私は一介の庶民、あの方は元が付くとはいえ選ばれし者しか在籍を許されない宮廷魔道士、さらに若くして辺境伯執事という大役を任されるほどの実力者。おまけに、高貴なる血筋を引く存在。毛のお手入れ専門の侍女としておそばに置いていただけたとて、結ばれることは叶いません」



 そこで私は、今更ながらに察した。


 シレンティは最初から、身を引く覚悟でベニーグと接していたのだと。別れを前提にしながら、彼を想っていたのだと。



「いずれベニーグ様も、相応しいお相手と婚姻なさるでしょう。いつかお幸せになっていただきたいと、心から思います。けれどあの方が自分ではない誰かと、仲睦まじく過ごすお姿を目にするのは、耐えられそうになくて……そうです、私は逃げたのです。来たるべき未来を恐れて」



 それからシレンティは、私の顔を見て微笑んだ。



「ああ、涙が止まったようですね。アエスタ様は本当にお優しい。こんな時でも自分のことなど忘れて、臆病者でしかない私のことなどを憂いてくださるのだもの」



 シレンティの手が、私に伸ばされる。その手が、優しく頭を撫でた。


 彼女のナデナデは、二度と触れられない愛しい相手の感触を塗り替えようとしたようにも、この髪を梳かしたその相手の痕跡を感じ取ろうとしたようにも思えた。



「こんなにもお優しいアエスタ様にお仕えできて、私はこの上ない幸せ者です。ですから……今しか泣けないなどと仰らないでください。私がずっとおそばにおります。泣きたい時は、いつでも私の前で泣いてください。私も、泣きたくなったらアエスタ様のもとで泣かせていただきます」



 再びこみ上げかけた涙をぐっと堪え、私は大きく頷いた。


 私もシレンティも、愛する者を失った。

 でも、私にはシレンティがいる。シレンティには私がいる。だから、大丈夫。


 一人では押し潰されてしまうかもしれないけれど、力こそパワーな二人ならきっと跳ね除けて跳ね付けて跳ね飛ばして乗り越えていけるはずよ!


 シレンティのおかげで、やっと気持ちが前向きになってきた。

 今ならカロル様にもスティリア様にも、何ならずっと私に汚物を見るような目を注いでいた王妃陛下にだって負ける気がしないわ!



「あら? アエスタ様……それは?」



 馬車の座席の高さが絶妙だったので、これからの戦に向けて準備運動がてらスクワットを始めたら――シレンティが私の方を指差した。



「あっ、いけない。モナルク様にお手紙をいただいたのだったわ」



 私の尻下に敷かれ続けた白い封筒は、すっかりぬるくなっていた。でもくしゃくしゃにはなっていないからセーフだ。


 忘れてたわけじゃない。中身を見る勇気が湧かなかったのだ。私への恨みつらみがびっしり書かれていたら……と思うと、怖くて。


 しかし、今のテンションならいける。読むなら今しかない。


 また怖気づく前に、いくモフいくモフ! とモフルクも鼓舞してくれている気がしたので、私は封を開けた。


 中には、メッセージカードのような小さな便箋が一枚。


 そこにはたった一言だけ、



『ごめんね』



 とだけ書かれていた。


 思わず、吹き出してしまった。


 何よ、この可愛らしい丸文字……文字まで可愛いなんて、ズルくない? あのぽにぽにの肉球でペンを握って、これを書いたの? 想像するだけで可愛いじゃないの。

 おまけに便箋はパステルカラーのお花柄ときた。センスまで可愛いとは、恐れ入ったわ!


 一頻り笑ってから、私は溜息をついて改めて便箋を見つめた。


 モナルク様が謝ることなんて何もないのに。私が一方的にご迷惑をおかけしただけなのに。勝手に過去を暴いた件で、お怒りを買っていたくらいなのに。


 それでもこんな私を、最後まで気遣ってくださって。最後まで優しくしてくださって。



「……私、モナルク様を好きになって本当に良かった。モナルク様のような素敵な方に恋をしたこと、心から幸せに思うわ」



 シレンティにだけ聞こえるように、小さな声で私は囁いた。


 この気持ちだけは、王家の者達に知られるわけにいかない。他の者に心を寄せながら王太子に嫁ぐなど、許されないことなのだから。


 シレンティもその点を心得て、何も言わず、黙って頷くに留めくれた。


 が、その時、馬車が止まった。


 窓から周囲を窺えば、まだ森の中だ。どうやらやや拓けた場所のようで、鬱蒼と茂る木々の影は遠い。

 休憩にしては早すぎる気がするけれど、あまりに速度を出しすぎたせいで馬に問題が起こったのかもしれない。


 あんな走り方をしていてはお馬さん達に負担をかけるばかりで、早く着くどころか怪我をさせて進むこともままならなくなる可能性もあるというのに……そんなこともわからなかったのかしら? 王家からの使者という大層な肩書きを持っていながら、バカしかいないの? バカでビビリでヘタレって三重苦すぎません? そんな三重苦の選り抜き部隊なの?


 心の中なので好き放題毒づかせていただいていると、程なくして馬車の扉が開かれた。



「出ろ」



 バカでビビリでヘタレの三重苦選り抜き部隊の一人が、低く告げる。不測の事態に焦っているのか、言葉遣いも乱暴極まりない。


 あったま来た! 無作法も追加して、四重苦にランクアップしてやるわ!


 仕方なく、まずシレンティが先に外へ――出ようとしたところで、彼女は私を馬車の中に突き飛ばして押し戻し、叫んだ。



「アエスタ様、出てはなりませんっ!」



 何が起こったのか、問い質す余裕などなかった。しかし、ただ事でない状況なのはわかった。


 暗闇に、鋭い光が走る。月明かりを反射したそれは、シレンティがエプロンの内側に帯刀していた剣の放つものであり、つまりは彼女が抜刀したという証だったからだ!

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