いっそダンス格闘という新ジャンルを切り拓いて第一人者になろうかしら?

 この地に、この館にいられる時間は残り僅か。


 その間、私はモナぐるみ製作に勤しみながら、改めてマナーの数々を復習した。ここを発ったらそのまま王宮にご挨拶に伺い、カロル様と対面して自らの口で改めて婚約を承諾する旨を伝えることになっているからだ。

 カロル様だけでなく、国王陛下と王妃陛下、さらにはスティリア様もいらっしゃるかもしれない。だとしたら、小さなミスは命取りになる。いつまでもグチグチネチネチと揚げ足を取られるようなことはしたくない。

 私にだって意地はあるのよ!


 意地だけはあるんだけどね……驚いたことに、もうほとんど忘れていたわよね。数年かけて叩き込まれたはずなのに、ほんの一月ほどで綺麗に記憶から消えていたわよね。


 書庫から本を借りて、文字通りひいひい言いながらマナーを再度ねじ込んだわ! ついでに苦手だったダンスもシレンティを相手に練習し直したわ! 何度か足を踏んだり体当たりしたり投げ飛ばしたり、何故か関節技をキメてしまったりしたけれど、おかげで何となくステップを思い出せたわ!


 でも、足払いからの固め技を食らってブチ切れたシレンティ、とても怖かった……剣を抜いて、追い回されたもの……あれは間違いなく殺る気だったと思うわ……。

 私だって普通に踊りたいのよ……なのにどうしてかダンスが格闘になってしまうの……私にも何故なのかわからないの……それだけは信じてほしい……。


 肝心のモナぐるみは一応、完成した。

 掌に乗るくらいの小さなサイズだけれど、全身に重ねて貼り付けたピンクの毛によって、モフモフ感はそれなりに表現できていると思う。


 とはいえ、納得はいっていない。


 目に付けたビーズは左右歪んでいるし、口元も膨らみが足りなくて間延びして見えるし、手足は短くしすぎてほぼないに等しい。時間が足りず、翼と肉球も省いてしまった。本物のモナルク様には程遠い。


 モナルク様はもっとずっと可愛らしいのに。可愛らしいお声を上げて、言葉は話せずとも可愛らしく表情で語って、可愛らしく動いて、性格から思考まで可愛らしくて、どこまでもいつまでも無限に可愛かったのに。


 しかし人形は声を上げない。表情を変えない。動くこともしない。

 もし精巧に本人に似せて作れたとしても、その事実に打ちひしがれるだけだっただろう。ならば逆に、似てない方が良いのかもしれない。


 明日には、王宮からの迎えが到着する。カロル様との婚約を受けた日から、モナルク様はまた私を覗き見するようになった。きっと……ううん、間違いなく、心配してくださっているのだ。


 けれど私は、視界にチラつくピンクを見ないようにして、自室の外ではなるべく明るい顔を装った。モナルク様が心配なさる必要なんてありませんよ、私のことなら気になさらなくて大丈夫ですよと示したくて。


 ずっと笑顔で過ごし、ずっと無視し続けたのに――それでも最後の晩餐を終え、最後の夜を過ごす自室に戻るその時まで、視界の端からピンクのモフつきが消えることはなかった。



 当然のように、その夜は眠れなかった。


 早く寝ないと、お肌に障る。朝にシレンティが化粧をしてくれることになっているが、ノリが悪いとまた剣を振り回して怒られるかもしれない。



「モフルク、ちょっと外の空気を吸ってくるわね。いいこで待っているのよ?」



 一つ枕で閨を共にしていたモフルク――不格好なモナぐるみに声をかけて腹を撫でると、私はベッドを抜け出した。



 暗黒の森に囲まれているせいで、夜のモーリス邸はとても暗い。しかしわざわざ着てきた薄い羽織りなどいらないくらい、春らしい柔らかなあたたかさに満ちていた。

 本当にこの一月足らずで、随分と気温が上がったものだ。


 いくら探索を重ねてきたとはいえ、黒一色に塗り潰されたような森へ足を踏み入れるのは躊躇われた。野外生活をしてきたからこそ、夜に秘められた恐ろしさは知っている。この森にだって夜行性の獣はいるだろうし、館の周辺を軽く巡るくらいにしておいた方が良さそうだ。


 庭園に勝手に入るのは気が引けたので、せっかくならお世話し続けた畑でも最後に見てみるかと足を向けたところ。



「……んあ? どえっ!?」



 間抜けな悲鳴を上げてしまったのも仕方ない。そこに、植えた覚えのない巨大な真ん丸い実が成っていたのだから!



「んきゅ!?」



 しかも、実が叫んだ! って、実じゃない!?



「モモモモナルク様!?」

「みにゃ〜……」



 大きなお尻をついてひっくり返っているのは、モナルク様だった。


 周囲が暗すぎて、かなり近付くまでピンク色が識別できなかったせいもあるが、畑の側で屈んでいたために、規格外にでっかい実に見えたらしい。


 何だもう……ビックリしたわ。

 どこかから種が飛んできて、突然変異を起こして一晩でスイキャかムェロンが爆誕したのかと思ったじゃない。



「む……むきゅる?」



 モナルク様が、そっと手を差し出す。見ると、ぷにんとした肉球のクッションの上に宝物のようにしてイッツゴゥが乗っていた。

 今が旬の果実で、モナルク様が大好きなものの一つだ。


 どうやら、食べるか? と聞いたようだ。

 瑞々しい赤い果肉の誘惑に負け、私はそっと手を伸ばし、触れないように気を付けて一つだけちょうだいした。



「つまみ食いなさっていたのですか? またお腹を壊しても知りませんよ?」


「む〜きゅ、む〜きゅ」



 へーきへーき、と言った……のだと思う。


 目を閉じて口角をむんにゅり上げ、首を横にフリフリしてみせたモナルク様は、悪気なく盗み食いするイタズラっ子みたいで可愛かった。いや、まさにその悪気なく盗み食いするイタズラっ子なんだけれども。


 モナルク様から受け取ったイッツゴゥはまだ熟していなくて、甘さより酸っぱさが強かった。

 あーあ、あと三日も待てばもっと甘くて美味しくなるのに……もったいないことをなさるわね。


 と、思ったところで、三日後には自分は口にできないのだと気付く。そう、これが最後なのだ。


 最後、か。最後なら……せめて心残りだけでも、綺麗に溶かしていこう。



「モナルク様、ごめんなさい……」



 地べたに並んで座り、イッツゴゥを飲み込み終えると、私はそっと切り出した。



「私のせいで、モナルク様に大きな迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳なく思っています。それと」



 謝罪しつつも、やっぱりお顔を見て伝えることはできなかった。



「ベニーグから、モナルク様のつらい過去を勝手に聞いてしまったこと……心から反省しております。本来ならば、直接お伺いすべきだったのに。モナルク様がお怒りになるのも、無理はありません。ですが私は」

「へっ?」



 モナルク様が奇妙な声を出す。


 恐る恐る顔を上げてみると、モナルク様はつぶらな瞳をぱちくりさせながら、口を半開きにしていた。


 言葉はなくてもわかる。これは明らかに『何それ?』という顔である。


 あるぇ?

 モナルク様、ベニーグから勝手に過去のことを聞いて、古傷を暴くような真似をしたから怒ってたんじゃないの?

 だったらモナルク様は、何に怒って私とベニーグに冷ややかな態度を取っていたというの!?


 が、今更取り返しはつかない。元の怒りに燃料を追加して注ぎ込み、もっとさらにぐっとむぎゅっとお怒りになられる――かと覚悟したけれど。


 モナルク様は何も言わずに首を横に振ると、私の顔を見て――黒い瞳を優しく細め、ふっさりした頬を上げ、もっふりした口元を柔らかく綻ばせた。


 微笑んで、くださったのだ。


 それだけで、涙が出そうなほど嬉しかった。

 喉から嗚咽がこみ上げかける。


 何としても我慢しなくてはと、イッツゴゥに付いていた緑のヘタを口に放り込んで噛み締めた。が、想像以上の激マズ具合に違う意味で泣きそうになった。



「む……むきゅうん?」



 モナルク様がまた手を差し出す。そこには実から剥がされたヘタばかりが乗っていた。


 違う! 好きで食べたんじゃないの! 茎の時みたいに、いらないからって寄越さないで!


 しかしせっかくの好意を無にしてはならない。受け取るだけ受け取ろうと手を伸ばしかけた時に、私の中の悪いアエスタが囁いた。


 ――この際だから触れてみれば? と。


 どうせ明日にはいなくなる身。ここを去れば、もう会うことはない。今モナルク様は警戒なされていない様子。それに自ら手を差し出しているのだから、多少の接触は許されるはずだ。そうだ、触れてしまえ。その感触を、せめてもの思い出に持って行け。


 しかし私はその言葉には従わず、指先でヘタだけをちょいちょいと摘み取った。代わりに、悪いアエスタに心の中で語りかける。


 ――バカね、アエスタ。愛しい方の感触だけに縋って生きられるの? これからずっと思い出しては苦しい思いをするのよ?


 今を逃せば、モナルク様には二度と触れられない。けれど二度と触れられないなら、知らない方がいい。焦がれた感触を、愛しい温もりを知ってしまったら、ますます忘れられなくなるだろうから。



「そろそろお部屋に戻りましょうか。あまり夜ふかししては、起きられなくなるかもしれませんし」



 無理矢理に笑顔を作り、私は立ち上がった。モナルク様も続く。


 一礼しておやすみなさいと告げ、背を向けた時だ。


 ぽにぽに、と。

 肩に、何とも不思議で心地良い感触が。


 慌てて振り向けば、肩にモナルク様のふさふさなるおててが乗っている。


 このぽにぽに感は、モナ肉球……!? 肉球、ぽにぽに……ぽにぽに、肉球……!


 頭の中がぽにぽにする私に、モナルク様は空いている方の手を天に向けて指し示した。そちらを仰ぐや、私はぽにぽに脳のまま歓声を上げた。



「わあ……!」



 空には、無数の星が煌めいていた。

 漆黒にほんのり青を混ぜたような色合いの広大な空間に、大小様々な星が折り重なって瞬き合っている。その様は、呼吸を忘れるほど美しかった。


 そういえばモーリス領に来てから、夜空を見上げる機会がなかった。北の地は星がよく見えると聞いていたけれど、まさかここまでとは。



「綺麗……ここが、モナルク様の愛する地なのですね」



 静かなる絢爛に圧倒されながら、私はそっと言葉を吐いた。



「モナルク様、素敵なものを見せてくださって、本当にありがとうございます。改めて、この地を危険に晒すわけにはいかない、この地を守らねばと痛感しました。元は私が撒いた種……私が責任をもって、全力でお守りすると約束します。ですから、どうかご心配なさらないでください」



 復習した甲斐あって、久々に令嬢らしく可憐に微笑むことができた……と思う。


 なのにモナルク様は、何とも言えない苦しげな――まるで泣き出す寸前のような表情になってしまった。

 心配するなと言われたところで、はいそうですか、では心配しません、とはいかないわよね……。



「あ、あにゅ……あの……」



 モナルク様がもそもそと声を発する。


 何だかその言葉がいつものモナルク様らしからぬ……というより、人の言葉っぽく聞こえたので、私は改めておやすみなさいを告げようとした口をおの形で止め、ひどく間抜けな顔で固まった――のだが。


 モナルク様の表情が突然、がらりと変わった。

 ピンクのモフ毛を逆立て、警戒心を剥き出しにして森を睨んでいる。


 何かが、森にいるのだ。それはどうやら、こちらに近付いてきているらしい。


 最初は私にはわからなかったけれど、やがてそれは濃密な気配を漂わせ、続いて移動する音、そして姿の順で正体を現した。


 馬車だった。それも、立派な造りの大型のタイプが三台。

 この地にそんなものがやって来る理由は、一つしかないだろう。



「……予定より随分と早いようですけれども、迎えが来たみたいですわね」



 そう告げて、私は慌てて警戒を解いたモナルク様を置いて、森から姿を現した彼らの方へと向かった。

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