今もまだ激熱パッションな私の恋も、いつかは愛に進化するのかしら?

 特に荷物は多くなかったので、荷造りはそんなに大変じゃなかった。


 でも不思議なことに、物は増えてないのに何故か鞄が閉まらないのよ! おかしいわよね? 鞄が縮んだのかしら?



「アエスタ様の収納が下手なだけです。衣類はちゃんと畳みましたか?」


「ええ、くるくるくしゃくしゃして畳んだわ?」


「それは畳んだのではありません。丸めたというのです」



 シレンティはさっくり言うと、仕方なしの渋々といったふうに私の荷物の片付けを手伝ってくれた。しかしふと、その手が止まる。



「アエスタ様、こちらはどうされますか?」



 彼女がそっと掲げたのは、不格好な桃色の布の貼り合わせだった。



「ああ、それね。どうしましょうか……」



 それは、私が作ろうとしていたモナルク様人形……になれなかった物体。


 モナルク様の形を懸命に模して型紙を作り、それに沿って布を切って、貼り合わせて途中まで縫ったところでタイムアップとなってしまったのだ。


 モナルク様の毛は、ギリギリで足りると思う。

 けれど今更、こんなものを作っても――。



「アエスタ様、今から完成させましょう」

「へ?」



 シレンティが不格好桃布を私に押し付け、裁縫箱を引っ張り出す。ついでに、ベッドの下に隠してあったモナ毛袋までささっと持ってきた。



「王宮から迎えが来るのは三日後ですから、頑張れば間に合います」


「私に寝るな食うなトイレに行くなと言っているの!? どう考えても無理よ!」


「アエスタ様」



 両肩をぐっと掴まれる。シレンティは真っ直ぐに私を見据え、強い口調で言った。



「ここで完成させないと、後悔しますよ? モーリス様のお顔を拝見できる内に作るべきです。でないと、いつか忘れてしまう」



 忘れる?


 こんなに好きなのに、忘れる日なんて来るのかしら? 忘れられる時なんて来るのかしら?



「どれだけ大切に想っていても、どれだけ深く愛しても、忘れるものは忘れてしまうのですよ。なのに、想いだけは消えない。想った相手の姿形がどんどん覚束なくなっていくのに、想いだけは鮮やかに残ったままなのです」



 私の心を読んだようなシレンティの言葉には、やけに重みがあった。


 シレンティはそんな想いを経験しているのだろう。そのお相手は、きっと。



「そう……想いは今も変わらないのね。シロジャナイは、シレンティにとって亡くなった今も大切な存在なのね」



 私が言うと、シレンティは小首を傾げた。



「シロジャナイは亡くなっておりませんが? 今の薀蓄は恋愛小説で得た知識であって、実体験ではありませんよ?」



 な、ん、で、す、と?



「だ、だってあなた、シロジャナイのことを『幼い頃に飼ってた』って過去形で語ってたじゃない! その他のエピソードもほぼ過去形だったわ! だったら亡くなったんだって思うじゃない!?」


「飼ってた、と過去形になるのは間違いありません。途中で、手放したのです。手放さざるを得なかったといいますか……」



 シレンティははぁ、と溜息をつき、語ってくれた。


 シロジャナイはシレンティとの散歩中、恋をしてしまったんだって。そのお相手が、何と人間の女の子だったんだって。そこから引っ張っても押しても動かなくなって、女の子にくっついて離れなくなっちゃったんだって。



「その子がとても良い子で、一日シロジャナイを預かってくれたのですが」



 案の定、迎えに行っても帰ろうとしなかったそうな。


 そしてシロジャナイは、その女の子の家の飼い犬になったとさ。



「シレンティ、あなたはそれで良かったの? 大切な愛犬だったのでしょう?」



 私が尋ねると、シレンティは肩をすくめて薄く微笑んだ。



「最初はとても寂しかったです。でもその子の家族達は皆良い方で、シロジャナイをこの上なく可愛がってくださっています。私にもいつでも会いに来ていいと言ってくださったので、お言葉に甘えて今も遊びに行かせていただいてますよ。シロジャナイも私が会いに行くと喜んでくれるし……シロジャナイが幸せならば、私は飼い主でなくてもいいのだと思えるようになりました」



 愛だわ……これぞ、恋を超えた本物の愛……!



「私も……そう思えるように、なれるかしら」



 モナ毛袋を撫でながら、そっと呟いてみる。



「なれますよ。アエスタ様は、私などよりお優しいですから」



 シレンティはそう言って、糸通しをしてくれた。


 そうかなぁ……私、かなり心が狭いと思うけどなぁ。

 自分は他の男と結婚するのに、モナルク様には誰とも結婚してほしくないし、婚約者の座を狙ってここにやってくる令嬢どもを王太子第二妃権限を駆使して阻止してやろうと目論んでるくらいなんだけどなぁ。



「さ、アエスタ様。その私には到底理解し難い趣味嗜好が炸裂暴走した怪しさ極まりない毛ぐるみを、とっとと仕上げましょう。早く糸通しなさってください」


「え、糸通しなら今やってくれたじゃない」


「これは私の分です。ご自分のはご自分でどうぞ。裁縫を教えた初日に、全部自分でやるんだ! 手出ししないで! とアエスタ様が仰ったのではありませんか」



 うう……確かにそんなことを言ったわ。言ったからにはやるしかないわよね……。


 半泣きになりながら糸通しをし、一針ごとに魂を込め、私は愛しの相手を想いながら、彼を模した人形に向き合い続けた。



「一体何ですか? もうお手伝いは結構だと言いましたのに」



 庭園に魔法の雨を降らせていたベニーグが振り向き、眉をひそめて言う。



「お願い……体を動かさせて。あちこちが固まってギコギコなの……」



 シレンティに手を引かれ、ギコギコした動きで歩いてきた私は、ギコギコと頭を下げて懇願した。


 あれから三時間あまりお裁縫に勤しんだものの、あまりにも進まないものだから、シレンティが気分転換しようと休憩がてら外に連れ出してくれたのである。


 しかし長時間同じ姿勢でいたせいで、体中固まってしまった。

 これを解そうと、ベニーグに家事のおすそ分けをしてもらいに来たのだが。



「だったら森に散歩にでも行けばいいのでは?」


「こんな状態で木登りしたら、落ちるじゃない! 落ちるのはいいとして、受け身も取れないじゃない! 受け身が取れなきゃ危ないじゃない!」


「木登らないという選択肢はないのですか、ないのですね。それと木登りは受け身がどうこう以前に普通に危ない行為なのですが、認識していないのですか。そうでしょうね、おバカですからね」



 ベニーグが得意の嫌味節を飛ばす。


 いつも通りの彼が嬉しくて、でも嬉しいと思うのが悔しくて、私は笑みと怒りが入り混じった半端な表情で固まった。



「うわ、顔の筋肉まで固まってギコギコなのですか!? これまで見たアエスタ様の中で、最も変な顔になってますよ!? こ、これは早急に動くべきですね。だったら、この時間にずっと任せていた畑仕事でもしてもらいましょうか。あちらはまだ手を付けていないので。お顔、元に戻るといいですね……」



 心底気の毒そうに言われた。これはさすがにしっかりと腹が立った。が、いかんせん体中ギコギコなので、やっつけるのは諦めた。



 土を耕し、雑草を取り除き、水をやる。その合間に、私は顔を軽く背後に向け、とある場所を見た。


 周りに比べて、幹の太い木。

 そこから左右に、いつもモフモフのピンクがもっふりとはみ出していた。


 モナルク様がこそもふと隠れて私を見ていた場所。ピンクと茶色とピンクの三色が描く不思議な空間を、鮮やかに思い出せる。まるで、そこに今もいるみたいに。


 もそもそ。そうそう、いつもこんな風に、落ち着きなく動いていた。

 ふよふよ。そうそう、いつもこんな風に、毛が風に靡いて柔らかくそよいでいた。



「ぴくちん!」



 そうそう、いつもこんな風に、可愛い声でくしゃみを……いや待て。くしゃみ? そんなの初めて聞いたわよ!?


 ということは、これは幻覚などではなく――。


 くしゃみで鼻水が出てしまったのだろう、すんすんふきゅふきゅと鼻を啜っているらしき音がする。その度に、隠れている木よりもはみ出た範囲の方が大きいピンクの毛並みが、もふもふと身じろぎする。


 モナルク様だ。本物の、モナルク様。

 モナルク様がまた、私の様子を見に来てくださったのだ。


 そうと気付くや、私はさっと目を逸らした。泣き尽くしたはずの目頭が、熱くなるのを感じたから。


 姿を見てはいけない。せっかく決意したのに、揺らいでしまう。やっとの思いで封じたモナルク様のそばにいたいという想いが、爆発してしまう。


 振り向きたい。振り向いてモナルク様を見たい。可愛らしいお顔を見たい。可愛らしい仕草を見たい。何もかも忘れて、可愛い可愛いモナルク様の可愛さに溺れてしまいたい。


 そんな欲望を死ぬような思いで必死におさえ、私は背後で見守るモナルク様を無視して作業を続けた。


 これまでも気付かないフリをしていたけれど……今日は本当につらかった。



 ベニーグが取り計らってくれたようで、夕食はモナルク様と一緒にとらないかと誘われたけれど、お断りした。


 これ以上、モナルク様の優しさに甘えてはいけない。

 モナルク様はきっとまだ、腸がモフり返るほどの怒りを私に抱いているはずだ。その怒りを堪えてまで、無理して私を労ってほしくない。


 私のせいで危険に晒したのだから、私が犠牲になるのは当然なのだ。私が勝手にやったことなのに、モナルク様が心苦しく感じる必要などない。


 今より嫌われることはもうないだろうけれど、せめて迷惑をおかけしたくない。モナルク様の重荷にだけはなりたくない。


 こんなふうに想うしかできなくなったのは、あの方の優しさを勘違いして舞い上がって、踏み込みすぎた罰だろう。


 観察日記を読み返して、私は大きく溜息をついた。


 本当にバカだったな、私。観察が全然活かせてなくて、失敗ばかりしてるじゃない。モナルク様の一挙手一投足に一喜一憂するばかりで……でも楽しかったな。本当に毎日が夢のようだった。


 さらりと目を通したところで私はハートまみれの表紙を閉じ、荷物の中に戻した。


 今日から、観察日記を持ち歩くことはしなくなった。モナルク様との筆談のために用意したノートも。

 モナルク様からいただいた感情表現は、たった一ページの絵のみだ。


 でも、それでいい。それだけで十分だ。



「さーて、早く寝よ! 明日こそ、人形を完成させるわよ!」



 わざと元気良く声に出し、私はベッドに潜り込んだ。


 そうやって空元気でも自分を鼓舞しないと、日記に溢れていたモナルク様好き好き大好きな熱いパッションに流されて、己で下した決断を後悔してしまいそうだったから。


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