己の道を進むため、憧れから卒業せねばならない時もあるの!

 何となく、部屋には戻っていない気がした。

 そして何となく、外に出て夜風に当たりながら項垂れている気がした。


 大当たりだった。



「ベニーグ!」



 屋敷を出て間もなく、モナルク様がおててでバッサバッサ整えた木の根元にいるベニーグを発見した。想像通り座って幹にもたれ、案の定がっくり項垂れていた。私の勘、鋭すぎ!



「……何ですか。失礼を働いた侍女の件で、主のあなたが謝罪に訪れたとでもいうのですか」



 ベニーグが少しだけ顔を上げ、ギラリと光る金の瞳で睨む。



「何の話? ホットサンドに夢中で、聞いていなかったわ。私はベニーグを探しに来ただけよ。気付いたら、勝手に出て行っちゃっていたんだもの」


「あー、そーですか……」



 怒って追い返されるか、怒ってさっさと屋敷に戻るかと心配だったけれど、そんな気力もないみたいだ。だったら尚のこと都合がいい。



「ねえ、ベニーグ。私にもちょっと尻尾を触らせてよ」


「は? 嫌ですよ」


「ねえねえ、いいじゃない。ちょっと、ほんのちょっとだけ! ね!?」


「……好きにしてください」



 ほーらね! いつもなら許さないことでも、弱ってるなら軽く押すだけで簡単にオッケーしてくれると思ったのよね!


 ベニーグの尻尾は、私と隣り合う隙間にへにょんと収まっていた。そっと手を伸ばして、触れてみる。



「ふふ、あったかいのね」


「当たり前です。血が通ってるのですから」



 触れたまま、手をゆっくり動かして撫でてみた。


 見た目よりは柔らかい。このボリュームだから、恐らくアンダーコートがあるのだろう。もっさりと掴んでもまだまだ余る。

 ついでだから編み込みをしてみようと挑戦したけれど、しなやかすぎるせいですぐに解けて何度やってもうまくいかなかった。



「……楽しそうですね」



 ここでベニーグは、やっと顔をこちらに向けた。



「どうせモサゴワですし、多少は乱暴に扱っても構いませんよ。好きなだけ遊んでください」



 何とまあ、投げやりな言い方でしょう。


 ベニーグって、あんなに偉そうに嫌味を垂らしてばかりなのに、自己肯定感は本当に低いのね。



「いいえ、もうやめておくわ。あなたにあまり触れすぎると、誰かさんに怒られるもの」



 ベニーグの耳がピクリと動く。



「あなたは、モナルク様のようになりたいのよね? そして、この毛をとても嫌っている。でもね、あなたの毛質が好きで好きでたまらない人もいるのよ?」



 ベニーグが目を逸らそうとしたので、私は彼の頭の上の耳を引っ張ってこちらを向かせた。耳は尻尾以上にあたたかくて柔らかかった。



「いったいなー! もう、何するんですか!」

「私の話を聞いて、ベニーグ」



 至近距離で、ベニーグの金の瞳と視線が交わる。


 こんなに近くで彼の顔を見るのは、初めてで――でもドキドキとかキュンキュンとかは全くしなかった。好きでもない相手ならそんなもんよね。



「ベニーグ、あなたは嫌味で性格が悪くて根性が歪んでて、意地悪で根性悪で、頑固で意固地で、おまけにムッツリスケベ疑惑まである」


「他も大概ですが、最後のだけは解せませんよ!?」


「でも、そんなあなたにもいいところはあるわ」


「ムッツリスケベは取り消してくれませんか!?」


「食事は美味しいし、料理は上手だし、炊事は天才的」


「見事に食べ物のことばかりですね! いいから早くムッツリを取り消せ!」


「それに、この毛」



 私はそう言って、ベニーグの耳と一緒に頭を撫でた。



「悪くないじゃない。モサゴワなんてひどいことを言ったと反省しているわ。触れてみてわかったけれど、フワフワとは違った触り心地の良さがあるのね。しっかりとしたコシと滑らかさがあって……モナルク様にはない、あなただけの長所だと思うわ」


「モナルク様にはない……私、だけの……?」



 ベニーグが不思議そうに問う。私は頷き、彼にぐっと顔を寄せた。



「あなたはあなたなのよ、ベニーグ。誰かに憧れるばかりじゃなく、自分の良さを見付けて磨いてほしい……だから」


「だから……あんなことを言った、のですか? いつまでも届かぬ憧れに囚われ続けている私のために。私を、私が私である道に進ませるために」



 ベニーグはやはり頭が良い。みなまで言わずとも、シレンティの心情を理解してくれた。


 私がもう一度頷いてみせると、ベニーグは立ち上がった。そして私に手を差し伸べる。



「アエスタ様、夜分にレディのお部屋に伺うのは失礼だと重々承知しておりますが、どうかもう一度お招きいただけませんか? 私、どうやら忘れ物をしたようで」



 ベニーグらしくない芝居がかった物言いに、私は吹き出した。くすくす笑いながら、彼の手を取って立ち上がる。



「いいわ、いらっしゃい。忘れ物はしっかりと取り戻してちょうだいね?」



 そうしてベニーグと二人で、屋敷の玄関へと向かう。何気なく、私は背後を仰いだ。すると森の闇に溶けた暗い敷地内に、何か動くものが見えた……気がした。


 モナルク様はお休みになられている時間だし、あんなに意気消沈していたシレンティが追いかけて覗き見に来るなんてことも考えにくい。きっと野生動物か気のせいかのどちらかだろう。



 この時の私は、ベニーグとシレンティをどうやって仲直りさせるかで頭がいっぱいだった。そのせいで、軽く受け流してしまった。


 後になって、私はこの時の自分の浅はかさを大きく悔やむこととなる。もっとしっかり見ていれば、間違いなく気付けたのに。あんなことにはならなかったのに、と。

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