人間をやめたいと初めて思いました!
「……こういった事情で、モナルク様は人間嫌いでいらっしゃるにもかかわらず、辺境伯となられたのです。流れで私の昔話にまで及んでしまいましたが、王族の血を引く人外の件はどうかご内密にお願いいたします。何か質問などございますか?」
あまりのことに声も出せなくなっている私に代わり、シレンティが挙手した。
「前から疑問に思っておりましたが、モーリス様は人間がお嫌いなのに、何故領地内に人間を住まわせているのですか? 税も軽いとお聞きしましたし、収益の確保のため利用しているのではないようです。だったら、どうしてなのです? 辺境伯の爵位を賜る時に、人間の居住を認めるよう条件でも付けられたのですか?」
「ほう、良い質問です」
ベニーグはぴんと耳を立て、口角を挙げてみせた。
「モナルク様が辺境伯となられてから周辺の調査をしたところ、北の地に密かに僅かな数の人間達が住んでいたことがわかったのです。追い出すかどうか、モナルク様は悩んだようですが……」
モナルク様にお願いされて、ベニーグは彼らに事情を聞きに赴いた。すると彼らは人間でありながら、自分達と同じく人間に居場所を追われてここに流れ着いたのだとわかった。
「モナルク様にお伝えすると、そのまま住まわせておくという決断をなされました」
元々森の外側には、マルゴー国からの襲撃に備えてそれなりの規模の軍が配置されていた。森より向こうの人外達を監視するという目的もあったのだろう。ベニーグ曰く、国が北の地の奥に人外達を追いやることを推奨したのは、人への被害を避けるというだけでなく、いざという時のバリケードの役割を背負わせる狙いもあったというから。
実際に彼らの目論見通り、多くの人外達を犠牲にして、人的被害は最小限におさえられた。けれども、その事実はなかったことにされている。まことに胸糞の悪い話である。
なのにモナルク様は。
「モナルク様は辺境伯となるや、軍の撤退を命じ、その施設や設備などがあった場所を人々の居住地にしたのです。『彼らは憎い人間ではあるけれども、自分達と同じように人間に苦しめられた同士でもあるのだから』と仰って」
たった数年で、パルウムが小さくともあれだけしっかり村の形を作ることができたのは、元あった建物を利用したおかげらしい。とはいえ、改装や改築などで費用はそれなりにかかったという。
そのお金は全て、モナルク様が国から与えられた防衛資金で賄った。いくらお金をもらっても、どうせ使い途などないから、と悲しげに笑っていた――とベニーグは付け加えた。
……ダメだ。無理。泣いてしまう。我慢してるのに、堪えきれない。
モナルク様、どれだけ優しいの? どこまで優しいの!?
パルウムの民に、この言葉を聞かせて差し上げたいわ!
「アエスタ様は、何か気になった点などありますか? 今なら、何でも質問を受け付けますよ?」
ベニーグに振られ、私はこみ上げかけた涙と息を飲んだ。
気になることはあるにはある。けれど正直、問いたくはない。
それでも今聞かなくては、ずっと心に暗いしこりを残したままになる。
「では……モナルク様の、お仲間であったモキュア達について」
震えそうになる喉を懸命に叱咤し、私は言葉を発した。
「ええと、当時の戦いに巻き込まれた者達は、その……ご遺体の回収はできなかったのだとしても、ご先祖様の眠る場所はあるわよね? もし伺うことをお許しいただけるなら、悲惨な戦を起こした人間の一人として、お詫びの言葉を申し上げたい、と思いまして」
それは――私にとって、最も想像したくない状況だった。
まだ赤子だったモナルク様は、仲間達が亡くなった場で開始した戦乱を見ていたという。
もしその時に、その中で、愛する家族がモノのような扱いを受けていたら。さらにひどい目に遭わされていたら。
想像するだけで、そんな悲惨な光景を見せられたモナルク様のお気持ちを考えるだけで、胸が潰れそうな心地になる。
「アエスタ様……あなた、竜の定義をご存知ないのですね。母君が冒険者、また父君とは野外で生活をなさっていたそうなので、ある程度は生物の知識がおありなのかと思っておりました。そうですよね、あなた、おバカなのでしたよね……」
ベニーグが小さく溜息をつく。
私の過去については調べていないと言っていたから、シレンティから聞いていたのか、それとも発達した耳で盗み聞きしたのか……この際は何でもいい。
それよりも思わぬ返答に、私はぽかんとして彼を見た。
「竜の、定義……?」
「竜種は巨大なものが多い。ですが、死体を見たことはありますか? 動植物と同じように腐蝕して分解されるならば、時間がかかる。だったら多くの人の目につくはずなのに、竜の死体を見たという者はほとんどいないでしょう?」
確かに、何度か竜種と遭遇したことのあるお母さんからも、死体に出会ったという話は聞いたことがない。動かない分、死体の方が遭遇率は高いはずなのに。
「竜は、死してすぐに消えるのです」
「消える!?」
驚いて、私は声を上げた。
「正確には、自然へと還ります。魂を失ったら肉体が即座に自然に溶けて、この世界を構成する一部となる、それが竜なのです。モナルク様も仰っておりました。皆はキラキラとした光になって、空へと舞い上がって消えていった、と」
――それはきっと、とても美しい光景だったのだと思う。
モフモフの毛が煌き出し、そして形を失って柔らかに浮かび上がっていく。やがて静かに世界と同化して、無色透明となって消えていく。
愛する者達の命が還る様を、幾千もの光となって自分のもとから離れていく姿を、赤子のモナルク様は最後の最期まで見守っていたのだろう。あのつぶらな瞳で、ずっと。
もう堪え切れず、涙がだばだば流れた。
「えっ……ど、どうして泣くのです?」
ベニーグが焦った口調で問う。目の中が洪水でよく見えなかったけれど、恐らく表情も焦りに満ちているに違いない。
「だって……モナルク様が、あまりに切なくて……! 何も悪いことしてないのに……あんなにひどい目に遭ったのに……それでも優しくて……! パルウムの人達にも私にも気遣ってくださって……。もうやだ、今すぐ人間やめたいぃぃぃ……!」
「
隣を見ると、シレンティもだばだばになっていた。
「ベニーグ様は、愛されて望まれてお生まれになったのに……周りの奴らがあまりに身勝手で……。もうむり、そいつらぶった斬りに行きたいぃぃぃ……!」
「シ、シレンティ、あなた、泣く時も無表情なのですね……?」
ベニーグが若干引き気味に小さく呟く。
「お二人共、泣き止んでください。もう過去の話です。私についてはモナルク様ほどつらい思いをしたわけではありませんから、ほとんど吹っ切っておりますよ。人間のことは今も好きではありませんが、適度に会話できるくらいにはなりましたし」
ベニーグの言葉に、私はぶんぶんと首を横に振った。
「嘘だぁぁぁ! 私とは全然適度な会話してなかったぁぁぁ! 嫌味か皮肉か叱責か罵倒か咆哮っていう選択肢しかなかったぁぁぁ! 全然適度に達してないぃぃぃ! それもこれも、まだまだ人間が嫌いなせいなんだぁぁぁ!」
「嘘ではありません。そういった選択肢しかなかったのは、あなたがおバカだからです。それもこれも、バカが嫌いなせいです。バカは人間よりたちが悪いので。何もかも人間のせいにしないでください。さすがに人間が可哀想です」
ベニーグはとてつもなく冷ややかに反論した。
そっか、私とまともに会話してくれなかったのは、バカが嫌いなせいだったのね……って、遠回しにお前バカだから嫌いって言われたような?
「パルウムでも、ちゃんと村人達と接していたでしょう? 彼らは私が獣人と知らないのもありますが、とても良くしてくださいます。特に食堂の娘さんはとても親切で、私と会うと必ず好物のフリスビーフジャーキーをプレゼントしてくれるのですよ。それがとても美味しくて、クセになる味で」
頬を緩めて嬉しそうに話すベニーグに、シレンティはぶんぶんと首を横に振った。
「その女、許さないぃぃぃ! 宮廷魔道士団の奴らもろとも、ぶった斬ってやるぅぅぅ!」
「何で!?」
ベニーグは意味不明複雑怪奇! とでも言いたげに飛び上がっていた。嗅覚視覚聴覚は鋭くても、自分に向けられる矢印には鈍いようだ。
育った環境ゆえに自己肯定力が低いせいか、はたまたシレンティのアピールが斜め後ろすぎるせいか……両方かもしれないわね。
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