モフみにチラりと覗くノーブルな佇まいには、悲しい理由があったのですわ……

 シニストラ国モーリス領。


 この地にそういった名称が付いたのは、数年ほど前――モナルク様が辺境伯となられてからだ。


 それ以前は単に『北の地』と呼ばれ、シニストラ国に生息する人外達が多く棲む場所だった。


 温暖な気候を誇るシニストラ国内では最も寒冷で、また長らく緊張状態が続く隣国マルゴーと最も近い場所であるため、ずっと人が住み着かなかった。しかし人間に疎外され居場所を追われた人外達にとっては、落ち着いて暮らせる貴重な地だった。天然の深い森も、彼らの姿を隠すのに最適だったのだろう。


 王家や政府も、その地での彼らの生息には目を瞑っていた。むしろ、推奨していたといっていい。


 人外は、人間よりも能力の高い生物が多い。シニストラでは数が少ないといっても、全部を駆除するにも追い出すにも相当の労力を要することは必須。また数が少ないゆえに彼らの生態についての研究は進まず、共存する道も見えてこない。

 要するに、そうして持て余していた存在を、持て余していた土地に住まわせたというわけだ。


 モナルク様の属するモキュアも、そんな人外の一種だった。


 文献にもあったように、モナルク様が生まれた当時は群れで暮らしていたという。正確な数はわからないが、それなりに多くの人数……モキュア数? がいたらしく、モナルク様はその群れの王と王妃の間に生まれた王子だったそうだ。

 なるほど、道理でモフみの奥に隠し切れないノーブルなオーラが漂っているはずである。


 モキュアの群れの王は、世襲制ではない。

 しかしモナルク様には生まれてすぐ強い魔力があると判明、また魔力を持つモキュアの誕生はこの群れでは初めてだったというから、きっとそのまま成長していたら父を継いで王になっていただろう。


 けれど、そうはならなかった。

 戦が、彼から大切なものを奪ったのだ。


 そう――私が生まれて間もない頃に起こった、マルゴー国の一部過激派部隊による奇襲攻撃だ。


 マルゴーの部隊は宣戦布告の意味も込め、北の地に目掛けて、長距離砲による砲弾を撃ち込んだ。その地はシニストラ最北端――私がこの前訪れた魔法障壁が施されたあの丘で、運悪く、モキュアの群れが生活の拠点としていた場所だった。


 いくら戦闘力が高い種だといっても、不意討ちの砲弾相手ではなすすべなどなかっただろう。


 モキュアは、全滅した。生き残ったのは、モナルク様だけ。


 モナルク様は当時、生後一ヶ月。

 人間ならばまだ視力も定まらない頃だけれども、モキュアは生後三日で目鼻耳が完全に機能し、一週間で言語を理解できるようになるという。文献に記述はなかったが、野生で暮らす動物――中でも人間以上に高い能力を有する人外では珍しくないことだ。

 なのでモナルク様には、状況を把握することができていた。それに加え、生存本能と危機察知能力が突出していたのだろう。ほとんど無意識だったというが、魔力を放出して魔法障壁を作っていた。


 そのおかげで、彼の命は助かった。しかし、赤子の力では限りがあった。母は彼を抱いたまま、父はその母に覆い被さって二人を守るようにして亡くなっていたそうだ。


 モナルク様は、一人ぼっちになった。

 でも仲間がいなかったわけではない。他にも生き残った人外達がいて、彼らと共に森に隠れて生活するようになった。モナルク様のいたモキュアの群れは他の人外達とも仲良くしていたらしく、皆が可愛がってくれたおかげで笑うこともできるようになった。


 それでもあの日のことは、忘れられなかった。


 あの後――火の海の中を抜け出し、モナルク様はまだ未熟な羽根で空を飛び、最も高い木の上から恐ろしい光景を見た。

 海から、そして今いる森からも、見たこともない小さな種族の軍団がわらわらと集まってくる。そして彼らは、あちこちで殺し合いを始めた。


 初めて目の当たりにした戦は、モナルク様が群れの中で何度か遭遇したケンカや力試しとは違い、ひたすらに血生臭く惨たらしく――怖くて悲しくて悔しくて、涙を流すしかできなかった。


 モナルク様は、他の人外達から様々なことを教わり、学んだ。そして自分達がこの国でどういった扱いを受けているのか、あの日一体何が起こったのかを知った。


 知れば知るほど、人間への憎悪が募った。人間なんか大嫌いだと思った。


 絶対に許せない、絶対に許さない。今度奴らがやってきたら、何が何でも追い出してやる。そう誓った。


 その内に共に生活していた人外達は、どんどん減っていった。あの事件が、やはり大きなきっかけとなったようだ。

 皆この国に愛想を尽かし、泳げる者は海を渡り、飛べる者は空を渡り、それができない者は泳げる者飛べる者の力を借りて、それぞれ別の世界へと旅立って行った。

 最後の一人――年老いたグリフォンに、共に来ないかと誘われたけれど、モナルク様は首を横に振って断った。


 この地は、自分の家族の場所。だから自分が守る。自分には、それしかできないから、と告げて。


 そうしてモナルク様は一人になっても、ずっと北の地を守り続けた。

 その後も何度か、またマルゴーの部隊がやって来たという。赤子の時は自分の身を守るだけで精一杯だったけれども、成長したモナルク様の力は凄まじく、時には魔法一発で、時には数分の肉弾戦のみで全て蹴散らせるようになった。


 マルゴーはついに恐れをなして、ずっと渋っていたシニストラとの和平交渉に応じた。

 しかし恐れを抱いたのは、マルゴーだけではない。シニストラも、謎の生物が北の地に居座り、武力行使をしていることを問題視していた。

 そこで軍部から調査部隊を派遣したのだが――あっさり蹴散らされ、追い返された。今度は武装した近衛兵団を派遣したのだが――それもあっさり蹴散らされ、追い返された。

 まさかたった一個体を排除するためだけに、その地を爆撃などできない。また駆除できたとしても、今度はマルゴーの脅威が迫る。和平交渉にサインしたとはいえ、その効力がいつまで続くかわからない。

 そいつはどうやら、マルゴーに対する大きな抑止力になっているのだ。


 国の重鎮達は、何度も話し合いを重ねた。

 その結果、その謎生物を北の地の辺境伯に仕立てあげようという意見が採用となった。


 人外に爵位を与えるなど酔狂が過ぎると反対の声も上がったが、この突拍子もない案しか打開策がない。

 マルゴーからは、あの存在は一体何だと何度も問われている。うかうかしている間にこっそり手懐けて連れ去られ、今度は逆にこちらへの攻撃に利用される可能性もある。それだけは避けたかった。ならばその者に身分を与え、この国の者であると証明するしかないだろう。


 問題は、その件を相手にどう伝えるかだ。


 適当に名付けて書類だけ作れば良いと言う者もあったけれども、実際に現地に赴いて接した者達に猛反発を受けた。

 あれには高い知性がある。もしこちらが密かに存在を利用していると知ったら、怒り狂って首都や王宮にまで攻撃を仕掛けてくるかもしれない。あれほどの魔力があれば、遠隔でも相当のダメージを食らわせることができるはずだ、と。


 そこで宮廷魔道士団が『適任がいる』と申し出て挙げたのが、ベニーグ・クストだ。


 獣人の彼は、高い魔力を持っている。攻撃を受けてもある程度は対処できるだろうし、また人外同士、通じるものもあるだろう。そういった理由で、ベニーグはたった一人、モナルク様のもとへ送り込まれた。


 モナルク様は、ひどく困惑なさっていたそうだ。辺境伯という爵位を賜ることについてではなく、半分人間で半分ヘルウルフの彼にどう接するべきかひどく迷っていたらしい。

 一先ずはベニーグに、遠方からやってきた労をねぎらって飲み物――花蜜を清水に溶かしたもので甘くて美味だったそうな――をオッキクテビックリなる栗の身をくり抜いた器に入れて出すと、姿勢を正して黙って様子を見ていた。

 ちなみにその頃はモナルク様も家がなく、現在のモーリス邸に当たる場所でお花や野菜を育てながら、木の皮を編んで作ったハンモックでお休みしていたとか。


 またベニーグも、困惑した。

 この上なく恐ろしい化物だと聞いていたのに、実際そこにいた相手はいきなり襲い掛かるような野蛮な真似はせず、礼儀正しく彼を迎え入れてくれた。そして、公平かつ冷静な目でもって彼を見極めようとしている。知性溢れる瞳は澄み切り、邪気など欠片も感じなかった。

 生まれてからずっと、悪意に晒され続けてきたベニーグにとって、このような相手と接するのは初めてだった。


 ベニーグも同じく、人間という存在にずっと虐げられてきた人外の一人だ。


 彼の母は何とシニストラ王家に連なる名家の令嬢で、国外へ旅行に出掛けた先でへルウルフの雄と恋に落ちた。彼女はその地に残って彼と生涯を共にしたいと必死に訴えたそうだが、そんなこと許されるはずがない。逃亡まで図ったものの結局は捕らえられ、連れ戻されてしまった。

 しかし彼女のお腹には既にベニーグが宿っていた。そしてベニーグを産むと同時に亡くなってしまった。


 王家の血を引く人外。残された親族達は、彼の扱いに困った。生まれてすぐに殺せば良かったのにと言う者もいた。


 物心ついたベニーグは、人より優れた聴覚でそういった己の出生の事情を知り、人より優れた視覚で皆の自分を見る目がどれも嫌悪に満ちていることを知った。


 やがて親族達は、彼を宮廷魔道士団に預けることに決めた。ベニーグに大きな魔力があると判明したからだ。


 彼が五歳で見せたその力は凄まじく、使用人の一人に大怪我を負わせた。

 ベニーグがその者を攻撃したのは、亡き母を『獣と交わるような恥知らず』と陰で散々貶していたせいだったが、誰も彼の言い分など聞こうとしなかった。それどころかこんな力を持つなんて恐ろしいとさらに嫌悪し、ようやく捨て場所が見付かった、取り扱いが面倒な汚物を手元から捨て去れると安堵していた。


 王家の血を引く、高い魔力の持ち主。

 そういった存在であるにもかかわらず、ベニーグは宮廷魔道士団でも冷遇された。獣人であるという理由で。押し付けた親族達も、引き取ってくれるならどう扱っても構わないと告げていたので、彼は能力だけ利用されて功績は全て高官達のものとなった。


 そんな身の内を明かすと、モナルク様も心を許してくださり、自らも人間に受けた仕打ちを語ってくださった。


 そこでベニーグは初めて、己の中に潜んでいた思いに気付いた――自分はずっとこの方のようになりたかったのだ、と。


 周りから厳しく抑圧され、雁字搦めにされた状態で踏みつけられるばかりの毎日が、苦しくてつらくて嫌で嫌で、けれど抵抗する気力と思考まで奪われていた。逃げ出して父を探しに行こうかとも考えたこともあった。しかし自分の父である希少種のヘルウルフのことを本で調べ、誇りを重んじる種族だと知って断念した。

 誇りも何も持たずに逃げてきた自分など、たとえ会うことが叶っても父に受け入れてもらえるはずがない。ならば、このままここで飼い殺しにされて生きていくしかないのだと諦めていた。


 しかしモナルク様は全てを失っても、戦って居場所を守り抜いてきた。これが誇りなのだ。自分もそうなりたい。今からでも抗って戦って、自分だけの居場所を作りたい。


 そして、初めて見付けた――心が煌めくほどの希望を。

 誰からも嫌悪され、自身でも嫌悪するしかなかった自分。けれどこうなりたい、こうなれたら。それが叶えば、自分を好きになれるかもしれない。


 彼が生まれて初めて抱き、見出した夢――それこそがモナルク様が持つ、ふんわりとした目にも心にも優しい毛並みだった。


 逸る胸をおさえ、ベニーグはモナルク様を説得した。



『ここはあなたの場所。その権利を得て二度と奴らを立ち入らせないために、辺境伯となるべきだ。面倒な仕事は自分が全て請け負う。あなたはこれまで通り、ここでこの地を守るだけでいい』



 こうして、モナルク・モーリス領辺境伯が誕生した。

 同時にベニーグは宮廷魔道士を辞し、希望通り、辺境伯邸にてモナルク様を補佐する執事となった。あっさりと受諾されたのは、モナルク様と意思疎通ができるベニーグにお目付け役も任せたかったのだろう。


 北の地に辺境伯が置かれるのも、人外が爵位を得るのも、シニストラ国では初のことだった。

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