舞台女優になるのも悪くなさそう……と一瞬だけ思ったわ!

 慌てて私は、花に水をやって時間を潰していた彼に頭を下げた。



「ベニーグ、ごめんなさい! 大切なお話をしていたのに、フォディーナ家の愉快な家族達について突っ込んでいたら大きく脱線してしまって」


「いいえ、お構いなく。私も興味深く拝聴させていただきました。アエスタ様が様々な者達に愛されていたと知れて、安心しております」



 いつもの嫌味ではないようで、ベニーグは仄かに口角を上げて、掌に溜めた光から放つ霧を止めた。



「フォディーナ伯爵家の事情については、仲介役のイムベル公爵閣下がお伝えくださいました。ですがアエスタ様個人のことは、調べもしていないので存じ上げなかったのです。どうせ他の令嬢達と同じで、とっとと逃げ出すと思っておりましたからね」



 イムベル公爵――私を陥れた、スティリア・イムベル公爵令嬢の父君だ。


 久々に耳にする名に、これまた久々の苛立ちが蘇ってくる。


 思わず奥歯を噛み締めた私に、ベニーグは淡々と言葉を吐いた。



「イムベル公爵閣下の話では、あなたはカロル・テナーク・シニストラ王太子殿下に取り入るため、彼の婚約者候補の筆頭であったスティリア・イムベル公爵令嬢を始め、近付こうとする他の令嬢達を影で脅して蹴落とした、と。さらには有能そうな令息達を誘惑して、王太子妃となったあかつきに権力を振るえるよう土台作りまでなさっていたとか」


「あー、そーみたいですわねー。とんでもない悪女らしいですわねー」



 もう散々言われて慣れていたので、私は受け流したのだが。



「いい加減にしろ、このバカワンコ! アエスタ様は、そんなことができる器など持たないし持てないし、持ったところで持っていることを忘れて転んで割って、何が割れたのかわからなくて、それでも取り敢えず直そうと頑張った結果、センスが行方不明の奇怪オブジェを作るようなお方と何度も言っただろうが! この方の脳の容量は、深爪した爪の先に溜められる水程度だ! この方がどれだけおバカか、この十日で貴様にも十二分に理解できただろう!? もしこのおバカが演技だというなら、私は侍女の仕事も騎士の夢も捨てて舞台劇団を設立し、アエスタ様を徹底的に支持して、歴史に名を刻む世界的舞台女優にしてみせるわ!」



 猛然と噛み付いたのは、シレンティだ。


 目を釣り上げて歯を剥く様は、ベニーグ以上に迫力があった。

 こんなにも怒りに満ちた彼女の表情、初めて見たわ……でも褒められているようで貶されていて、ちょっとつらいわ……。



「ごめんなさいごめんなさい! わざわざ言わなくていいことを言ってしまいました! 大丈夫です! シレンティ様から事情を伺いましたし、アエスタ様のおバカっぷりもしっかり理解しておりますし、王太子殿下による婚約破棄の件については冤罪であると私も思っておりますから! だから怒らないでください、ね!? ほら、キュウンキュウン……」



 シレンティの憤怒面があまりにも怖かったのだろう。ベニーグはついに地面に転がり、お腹を天に向ける降参ポーズまで披露した。



「よし、立て」



 シレンティが告げると、ベニーグは反射的に立ち上がった。何か言おうと開いた彼の口に、何かが放り込まれる。



「よしよし。ベニーグ様は本当にいい子ですね。ご褒美のカリカリですよー」



 ベニーグの頭を撫でて褒めながら、シレンティはまた小さな粒状のものを彼に与えた。


 初めて振る舞った時に黒焦げにされた、あの料理だ。密かにまた作っていたらしい。



「あ……これはなかなかいけますね。美味しいです。カリカリというのですか。好物の一つに加えましょう」



 カリカリを噛み砕きながら、ベニーグがふむふむと頷く。

 そこでやっと私は彼に問わねばならないことがあったのだと思い出し、口を開いた。



「ねえ、ベニーグ。あなたが協力を申し出たのは、私が冤罪だと理解してくれたからかしら? それとも他に、何か理由があるの?」



 するとベニーグはカリカリを飲み込み、私に向き直った。



「アエスタ様は、私の魔法を見ても、モナルク様の最終形態を前にしても恐れなかった。いえ、最初から私達を恐れてなどいなかった。そんなあなたに、可能性を感じたのです。あなたになら、モナルク様を救えるかもしれないと」



 すくう?

 モフ毛ならお風呂で掬ったけれど、そのすくうではないわよね?



「モナルク様は人間が嫌いです。心から嫌悪しております。いえ、憎悪といった方が正しいでしょう」



 ベニーグの言葉に、私は血の気が引くのを感じた。



「そ、そこまでなの……? 確かにモナルク様は素っ気ないけれどお優しいところもあるし、そんなにもきつく当たったりは」


「そうでしょうね。どうやらあなたのことが、気になり始めているようですから」



 ベニーグの言葉に、私は血の気が集まるのを感じた。



「えっ……えっ!? ええっ、えええっ、えっえっえええ!?」



 ウソ、ホント!?

 ホント、ウソ!?


 ウソでもいい! モナルク様が私のことを気にかけてくださっているというベニーグの感覚を! 何となくそう思っただけだとしても! たとえそれが見当違いの勘違いだとしても! 今だけは! 信じたい!!



「ですが人間への憎悪が、そのお気持ちにブレーキをかけている」



 湧き上がる喜びで、それこそモナルク様のような小さな羽根が生まれて、ぺてててててと舞い上がりそうになる私を、ベニーグの苦しげな声が押し留めた。



「このままでは、モナルク様が二つの思いに挟まれて苦しむことになる。いえ、もう苦しんでいらっしゃるかもしれない。ですから、あなたにお救いいただきたいのです」


「救う、といってもどうしたら」


「今からモナルク様の過去をお話しします」



 生えかけた嬉しみの羽根を収めて問いかけようとした私を遮り、ベニーグは言った。

 声を荒げたわけではないのに、有無も言わせぬ強い口調だった。



「モキュアは群れで生活する種。けれどモナルク様は、たった一人でここにいらっしゃる。アエスタ様も、その点に疑問を抱かれていたでしょう?」



 私は素直に頷いた。


 モキュアについて、ベニーグが教えてくれた時に不思議に思ったのだ。あの時も尋ねようとして、ベニーグに遮られた。まるで言いたくない、知るべきではないと無言で圧力をかけるかのように。


 けれど今私の言葉を遮ったのは、それを聞かせようとしてくれているからだ。


 目の前にいるベニーグは、これまで見たことがないほど緊張した面持ちをしていた。きっとこの件を話すには、大きな決意が必要だったのだろう。


 そうとわかったから、私は彼に向けて頭を下げた。



「ベニーグ、どうかお願いします。私に、モナルク様のことを教えてください!」



 顔を上げても、ベニーグの固い表情は変わらなかった。


 けれど彼は閉じていた薄い唇をそっと開き、話し始めた。モナルク様の過去を。あの方が何故人間嫌いになったかを。


 ベニーグが明かしてくれたのは、シニストラ史には刻まれていない、けれども確かにあった真実。歴史の裏に隠された、名もなき犠牲者達――違う、名もあり家族もあり、彼らなりの日常を生きていたのに、それを理不尽に奪われた者達の存在。


 モーリス領辺境伯、モナルク・モーリス。


 彼の半生は、私の想像など及ばないほどつらく苦しく悲しく、痛みに満ちていた――。

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