フォディーナ家の知られざる真実を知ったけれど、早速忘れたいわ!

 可愛いの過剰摂取による一時的昇天から目覚めると、私はシレンティの案内でとある場所に向かった。


 導かれた先は、まだ私が一度も入ったことのない例の庭園。

 モナルク様専用の花を育てている大切な場所に、ベニーグはついに私を招いてくれたのである。


 内部は、想像以上に華やかで鮮やかで美しかった。けれど、豪華絢爛といった雰囲気とは違う。季節折々の花の奏でる優しい彩りが目を潤し、心を癒やす。モナルク様の朝の散歩コースにもなっているそうだから、食料用といっても見栄えについても計算されているのだろう。人工でありながら、しかし限りなく自然に近い。このバランスが本当に見事で、進む度に感嘆の溜息が漏れた。


 庭園の中央には、小規模な温室がある。

 ここでは、モナルク様にも特別な日しか振る舞われない、稀少な花々が育てられているらしい。なので、先に庭園に入ることを許されたシレンティはもちろん、屋敷の主であるモナルク様もベニーグは立ち入りを禁止している。


 けれど、今日だけは特別だと許された。



「あなたの点数をリセットします」



 美麗から奇妙まで、見たこともない花々を眺める間もなく、ベニーグは唐突にこう告げた。



「え? いきなりどうして? マイナスしすぎてよくわからなくなったからかしら?」



 驚くよりも何故そんなことを言い出したのかが不気味で、私は理由を尋ねた。



「何度も言っておりますが、アエスタ様はご自分を卑下しすぎです。この半月で、アエスタ様が頑張られた成果なのですよ? マイナス99億飛んで758万5,290点をゼロに戻したのですよ? もっと自信をお持ちください」


「そういうことです」



 冗談かと思ったが、ベニーグの表情は至って真剣だった。

 何これ、怖い。前に怖くないとか言っちゃったから、逆に優しくして怖がらせてやろうという作戦かしら?


 というかいつのまにか、すごいマイナスを稼いでいたのね!? 申告されなかったから、まだマイナス二十万手前で押し留まっているものだと思っていたわ!



「あなたを……信じてみようと思うのです。あなたのお気持ちが本物ならば、全面的に協力したい」



 静かにベニーグが告げ、私の前に傅く。耳と尻尾も大人しく垂れていた。



「ええと待って、本当にどうしたの? 何があったの?」


「あなたは、私にもモナルク様にも態度を変えませんでした。人外であると知っても、魔法を使う姿を見ても、何一つ変わらなかった」



 問いかけたのに無視である。仕方ないので、私は黙って彼の言い分を聞くことにした。



「最初は、演技か強がりだと思っていたのです。あなたが王太子に婚約破棄されたせいで、フォディーナ伯爵家は今後貴族界から疎外され、いずれ存続することも厳しくなるでしょう。あなたは養女ですが、フォディーナ伯爵閣下にはご子息も二人いらっしゃいますよね? お二方は既に、フォディーナ家の行末を見据えた……いえ、見限った貴族達から手痛い掌返しを受けたという。そんな状況を目の当たりにしたあなたは、彼らを救いたい一心で必死に頑張っているだけなのだと。根性は認められても、あなたという存在は認められないと思っておりました」



 そう、私がモーリス領辺境伯の婚約者になれなければ、二人の義兄も社会的に抹殺されかねない。


 三つ年上のフェルム様、二つ年上のルーペス様――二人共、お義兄様と呼んだこともなければほとんど口をきいたことすらない。使用人達は優しく私を見守ってくれていたけれど、お二人は突然義妹として現れた私を疎んでいただろう。それどころか今となっては、憎んですらいるかもしれない。


 私のせいで、お父様の領地を一部引き継いで新たな起業を目指していたフェルム様は投資を約束していた貴族達が離れていき困窮なさる羽目になったし、ルーペス様はまとまりかけていた婚約のお話が破断になったそうだから。



「フェルム様とルーペス様は、アエスタ様の救いたい人物から除外してよろしいと思います。フェルム様は家から離れた領地での新事業には消極的で、もっと近くの領地経営を希望しておりましたし、ルーペス様も元々婚約のお話に乗り気ではありませんでしたから。それもこれも、彼らが度を超えたシスコンで、アエスタ様から離れたくなかったせいです。彼らのシスコンぶりには、使用人も引いておりました。アエスタ様ご本人も、身の危険を感じて距離を置いておりましたし」



 と、ここでシレンティが横から割り込む。私も思わず口を挟んだ。



「シスコン!? 何の話!? 私、知らないわよ!?」



 するとシレンティの表情に、珍しく大きな変化が現れた。

 目と口だけでなく、鼻の穴まで開いた彼女のビックリ顔は初めて見たかもしれない。でも多分、私も同じ顔になってたと思う。



「アエスタ様、ご存知なかったのですか!? あの二人は危険レベルの変態ですよ!? 自室にアエスタ様の絵姿をびっしり貼り付けて一枚一枚に話しかけるわ、一日の日記でノート丸々一冊分アエスタ様の可愛らしさについて書き連ねるわ、アエスタ様が落としたハンカチをどちらが渡すかで殺し合う勢いで殴り合うわ……結局そのハンカチを喧嘩の際に破いてしまって、それぞれ半分持つことで合意に至ったようですが、そちらのが大きい今度はこちらが小さいなどとまた争いが再燃し、最終的には細切れにした布地を秤で細かく計測しておりました。そんな様子を雇われた初日に見せられたものですから、ドン引きして関わらないようにしていたのですが!?」


「初耳よ! 私はお二人には嫌われていると……だってフェルム様もルーペス様も、初対面から目すら合わせてくださらなかったのよ!? 庶民以下の野生動物のくせに自分達の妹を名乗るな! と不愉快に感じて嫌悪されたと思うじゃない!?」


「アエスタ様が美しすぎて、また妹という存在が眩しすぎて、まともに目も開けていられなかったそうですよ……ええ、嫌というほど聞かされましたとも。何も知らなかった時にうかうかと邸内を歩いていたら、それぞれにとっ捕まってお部屋に連行されて、あなたの可愛さを延々と聞かされたものですからね……。使用人達は皆、あのお二人が家にいる時は常に警戒して連絡を取り合って彼らの位置や行動を伝え合い、接触を必死に避けておりましたよ……さながら隠れんぼのような有様で仕事しておりましたよ……。なのに当のご本人は無自覚スルーとは……ひとたび発見されたら十時間拘束確約という恐怖を味あわされた私達の身にも、少しはなってください……」


「それは……ごめんなさい……」



 がっくり項垂れるシレンティに合わせ、私もがっくり肩を落とした。使用人達に加えて、あのお二人もかー……。


 待ってよ? もしかして。



「まさかと思うけれど、お母様は違うわよね? 間違いなく、私を嫌っていらっしゃったわよね? だってお母様はほら、そのお父様の前は」


「ああ、奥様については勘違いなされるのも仕方ないと思います」



 シレンティが溜息を吐く。


 お母様――叔父であるフォディーナ伯爵の妻、オルキス・フォディーナ伯爵夫人は、元はお父さん――実父のレントゥス・フォディーナの婚約者だった。そう、お父さんはお母さんと結ばれるために家や仕事を捨てた時に、婚約者であった彼女も捨てたのだ。


 自分を捨て、他の女の元へ走った男を恨まないわけがない。ましてや、その二人の愛の結晶である私など、会うことすら嫌だったはずだ。

 私を養子に迎えるには、大きな抵抗があっただろう。きっと反対したに違いない。


 それでもお母様は胸に渦巻くであろう憎悪と嫌悪を堪え、務めて冷静に私に接してくださった。決して優しくはなく、言葉の端々に棘を感じることは多かったけれど、それでも虐げたり無視したりはしなかった。


 私にとってお母様は心からレディだと思える、淑女の鑑――だったのだが。



「奥様はレントゥス様との結婚が流れて、正直ほっとなさっていたそうですよ。レントゥス様とは旦那様も含めて幼馴染同士だったとのことですが、幼い頃は仲良くしていたものの、成長するにつれ価値観が合わなくなっていって、この方に付き合いきれるのかと悩んでいらっしゃったとか。ご婚約の際にも、『とても美味しいから食べてみてほしい』といった理由でプレゼントボックスにめいっぱいの虫を詰め込まれたものを贈られて、やっぱりこの人と結婚するなんて無理だ! と号泣なさったと仰っておりました」



 ああ、虫の詰め合わせセットね……うん、お父さんらしい贈り物だわ。レディに贈るものではないと思うけれど。



「ですから奥様は、アエスタ様が想像なさっているような暗い感情などお持ちでないのです。逆に長年の夢であった娘ができたことを喜んでおりました。木登りしてドレスを破いたアエスタ様を私達と一緒に眺め、『幼い頃のレントゥス様にそっくり……あの頃はまだ可愛いで済むやんちゃレベルだったのに……何故……』と密かに涙なされるくらいで」


「お母様もご覧になられていたの!? もう二度とフォディーナ家では木登りしないわ!」


「えー……それは面白いから続けてください。といっても、もしモーリス様の婚約者になれずに戻ることがあれば、あの家から引っ越すことになると思います」


「は!? 何故!?」


「王太子殿下に婚約破棄を受けた時点で奥様が激しく憤慨し、『こんな人を見る目がない者が王子だなんて、この国はもうダメだ! こちらから見限って国外に行こう!』と提案され、旦那様もシスコンバカ兄弟も『そいつぁナイスアイディアだ! 行こう、新天地へ!』と大賛成なさったのです。旦那様と奥様はすぐに南のメリーディ国で物件探しを始められましたが、アエスタ様がモーリス領辺境伯閣下との婚約者候補のお話をお受けになったので、現在保留にしていらっしゃいます」



『アエスタ、つらかったら戻っておいで。家のことなら気にしなくていいから』



 お父様が私にそう言ったのは、その移住計画があったからなのね……。もしかしてあの時、悲しげな顔をなさっていたのは、乗り気の南国生活が延期になったせいかもしれないわね……。

 というかシレンティ、さらりとフェルム様とルーペス様をバカ呼ばわりしたわね……。余程ひどい目に遭ったのでしょうね……。



「奥様は不器用なお方なのです。アエスタ様とお話した日は、毎晩ワインを最低でも三本は開けながら一人反省会をしておりました。母として認めてもらえなくても、せめてお手本となる淑女として娘に尊敬されたい。なのに淑女らしく振る舞おうとすればするほど、社交界で培った嫌味と皮肉ばかりが口に出る。本当はダンスも得意だし、ドレス選びもセンスに定評があるのに……と酔って泣いて管を巻く奥様を、私もよく宥めすかして寝かし付けるお手伝いをいたしました。飲んだくれた奥様は、本当に面倒臭かったです」



 お母様のダンスがお上手なことも、素敵なドレスを選ぶ確かな目をお持ちなのも知っている。

 パーティの時に連続十人と踊ってみせて、最後まで息も切らさず一度もステップを誤らず完璧にこなした。私のドレスを選んでくださっていたのも、お母様だ。


 けれどダンスを褒めた時は、



『あのくらいできて当然です。わざわざ褒められるということは、私が必死に頑張っているように見えたのかしら? だとしたら心外ですわ』



 と、冷ややかに突き放された。


 ドレスを選んでくださったことに感謝した時は、



『感謝など不要よ。フォディーナの名が付く者に、みすぼらしい格好はさせられないというだけです。しかし中身に関しては、私には着飾れませんのでご自分でどうにかなさい』



 と、皮肉混じりに返された。


 いやいやいや、これは気付かなくても仕方ないでしょう! 飲んだくれて管を巻く面倒臭いお母様なんて、私には想像もできないわよ!?



「こ、今度お母様に、お手紙を書いてみるわ……文章でなら、素直なお気持ちを聞かせてくださるかもしれませんし」


「是非お願いいたします。アエスタ様を心配するあまり、酒量が増えてさらに面倒臭さがパワーアップしている可能性が高いので」



 シレンティも、私の提案に頷いてくれた。


 ところで、何か忘れてる気がする。


 そうだ、ベニーグだ! ベニーグが話していたのに割り込んだ挙句、除け者にしてしまっていたわ!

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