最大最高最上のビッグ・プリティ・チャンスを逃してしまったのですわ!

「ほら、とっとと食べて皿を空けてください。私は午後から出かけなくてはならないと何度も言っているでしょうが」



 そうだっけ? モヤモヤ考え込んでいたせいで、全く聞いてなかったわ。


 とは言わず、私はベニーグに急かされるがまま、吸い込む勢いでハムたまごサンドを飲み込んだ。シンプルな料理なのに、これまた頬肉が蕩けそうなほど絶品である。


 今日のランチは、モナルク様がいらっしゃらなかった。私達が戻るのが遅すぎたため、先にお召し上がりになられたらしい。

 お腹が空きすぎて庭園のお花を片っ端からモグモグモフモフした挙句、勝手にお昼寝タイムへ突入したらしく、『やっと健康的な生活習慣を身に付けたのに!』とベニーグが怒っていた。

 四六時中うるさいのが横でワンワン言ってるんだから、たまにはぐうたらモフモフしたっていいじゃない。誰にだって休息は必要よ。


 ご一緒にランチできなかったのは残念ではあるけれど、今はモヤモヤしてるからついぼへーっとお間抜けフェイスになりがちだし、変な顔を見せずに済んで逆に助かったかもしれない。



「出かけるって、どこへ?」


「魔法障壁が綻んでいるようなので、修復に行くのです」



 食事を終えて尋ねると、ベニーグは心底面倒臭そうに答えた。


 魔法障壁……?

 聞き慣れないながらも聞き覚えのある単語。そうよ、村人が言っていたやつだわ!



「…………アエスタ様も、ご同行されますか?」



 ベニーグからの思わぬ提案に、危うく食後の紅茶を零しかけた。



「いいの!? 是非ご一緒させていただきたいわ!」



 むくむく湧き上がる好奇心に任せて、私はお誘いに飛び付いた。


 だって魔法障壁よ、魔法障壁。どんなものなのか、見てみたいじゃない!



「ええ、ではすぐに参りましょう。……私も今一度、確かめたいことがありますので」



 そう告げたベニーグの表情は、何故か少し曇っているように感じた。




 そよそよと、あたたかな風が目の前の桃色を柔らかく揺らす。


 私は視線をやや落とし、ぷりんぷりんと左右に振られる大きなお尻をじっと見つめていた。正確には、尾てい骨辺りにちょこっと生えた尻尾だ。

 今のところ、役割はさっぱりわからない。

 ベニーグの尻尾みたいに感情を表すこともないようだし、あれだけ小さいと単独で動かすこともできなさそうである。

 退化して形だけ残ったのかしら? 同族とコミュニケーションを取るという時に使われたけれど、その必要がなくなって筋力が衰えて名残のみとなった……とか?


 可愛い、ということはよくよく理解できるのだけれど。



「アエスタ様、ちゃんと付いてきておりますか?」


「ええ、はい! ごめんなさい。たくさん珍しいものがいるから、とても興味深くて……」



 さっと顔を上げ、私は少し先を歩くベニーグに答えた。


 ベニーグって頭が固すぎる上に思考が偏ってるのよね。モナルク様のお尻を見つめていたなんて知られたら、またあらぬ方向で怒られかねないわ。



「はぁ……貴族のご令嬢には、こんなただの森の風景も刺激的なのですね。ですが、散策を楽しむのは帰りになさってください。目的地に行くことが最優先なのですから」



 ベニーグは溜息混じりに言うと肩をすくめ、両手を天に向けて首を左右に振った。

 彼の後ろで足を止めたモナルク様も、倣うように同じ動きをする。


 グフッ! やれやれのポーズもモナルク様がなさるとこんなにも可愛いのか!

 ベニーグは小バカにしてるようにしか見えないのに、対比効果やばし!


 私の背後にいるシレンティを含めた四人……獣人と人外の竜らしき存在がいるから二人と一ベニと一モナ? 面倒臭いから四人ということにしておくが、屋敷の周辺を囲む森を徒歩で移動していた。


 ベニーグ曰く、この森は巨大な魔法陣のようなものなのだという。森の各地に魔法を施し、モーリス領全域の防御を行っているのだとか。


 防御といっても張られた魔法障壁自体には攻撃を弾くほどの力はなく、外敵の侵入を伝える程度の微弱なものだというけれど……それにしたってすごいわ。魔法については無知な私でも、そんなにも広範囲に絶え間なくバリアを張り続けるには相当の魔力が必要だとわかるもの。


 この森に植物から生物まで見慣れない種が多いのも、動植物を乱獲する不届き者から守られているおかげだろう。見たこともない種類の七色に輝く木の実には心奪われかけたけれど、私はぐっと堪えて前を向いた。


 しかし私が興味深くウォッチしているのは、この森の生態系ではない。のしのしもふもふと前を歩く、モナルク様だ。

 モナルク様もご一緒にいらっしゃると聞いて、今日も楽しく可愛く観察をしているのですわ!


 とはいえ、観察というのは難しいものだ。改めて思い知らされた。

 観察に大事なのは、やはり客観性。可愛さに負けず、平常心でもって相手の状態を注意深く見極めなくてはならない。


 共にお出かけできる喜びを気持ちを押さえ、浮かれてあれこれ話しかけたくなる喉を押さえ、少しでもお近付きになりたいと距離を詰めようとする体を押さえ、私は沈黙と一定の間隔を保って、モナルク様ウォッチングに勤しんだ。


 すると、ひらひらと大きな銀の蝶が通り過ぎる。かと思ったら、ふよふよとモナルク様の頭の上を旋回して、ついにはそっとピンクのふわふわの毛にとまって羽を休めてしまった。


 これは……平常心なんて無理! 客観的なんて無理! ちょうちょのおリボンなモナルク様! 背面だけで絵面がデンジャラスキュート!

 見たい……正面から見たい、見たい見たい見たすぎる!

 可愛さで心が爆死して、お父さんのもとに召されたとしても悔いはないから……お願い、振り向いて!



「お疲れ様です、着きましたよ」

「むふん」



 ベニーグと同時に、モナルク様も可愛らしい声で目的地到着を知らせる。願いが届いて振り向いてくださった……けれども、蝶は既に飛び立った後だった。


 くっ……ビッグ・プリティ・チャンスを逃してしまったわ。でも初めてモナルク様の方からお声をかけてくださったのだから、良しとしよう。


 ああ……でもやっぱりおリボンなモナルク様、見たかったなぁぁぁ……。

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