知ってた? 足を動かすだけで行きたい場所に行けるのよ!

「ゔぅ……いいばなじじゃないでずがぁぁぁ」



 シレンティが涙を流し、鼻声で言う。ああ、泣く時も無表情なのね……。



「いい話どころか、お父さんも自分の欲望のままに生きたかっただけよ。お父さん、野外訓練でアウトドアにハマったらしいの。お母さんの影響も強かったみたいね。おかげでそれこそ野生動物と同じような生活をしていたわ」



 とはいえ、そういった生活が自分にとっての普通だったから、嫌だと感じることも違う暮らしがしたいと思うこともなかった。

 お父さんと試行錯誤して狩りをしたり、美味しい木の実を発掘したり。時には失敗して肉食獣の群れに追い回されたり、変なものを食べてお腹を壊したりもしたけれど、毎日が充実していた。お母さんも年に一度は顔を見せに来て、お土産や冒険譚を聞かせてくれたから、寂しくはなかった。


 とても幸せだった。なのに、そんな生活は終わりを告げた。お父さんが亡くなってしまったせいで。


 お父さんは自らに迫る死期を悟り、亡くなる前に二通の手紙を出していた。一通はお母さんに向けて、伝書鳥で。もう一通は自分の弟、フォディーナ伯爵に。


 伝書鳥が届くかどうかは賭けみたいなものだったけれど、お母さんはたまたま隣のオキデンス国で依頼された鉱物探索をしていたそうで、おかげで手紙を出して数日で帰ってきてくれた。


 お母さんが来るのを待っていたように、お父さんは眠るように逝った。フォディーナ伯爵からのお返事が届いたのも、その日だった。



「お父さんは自分が死んだ後、私のことを弟に託していたのよ。私はまだ十歳だったから、時々様子を見てやってほしいといった旨を伝えたようなんだけれど、フォディーナ伯爵は自分の娘として迎え入れたいと申し出てくださったの。それで、フォディーナ家に養子として引き取られたってわけ」


「アエスタ様の母君は……それで納得されたのですか?」



 シレンティがそっと問う。私は笑顔で頷いた。



「もちろんよ。『お母さんですら飛び込んだことのない未知の世界が経験できるのよ、楽しんでいらっしゃい』って背中を押してくれたわ」



 お母さんは冒険者の世界しか知らないまま、冒険者になった。だから娘の私にはいろんな経験をして、いろんな世界を見てほしいと言っていた。経験を積んだ上で、冒険者になりたいと思ったらいつでも待ってる、とも。


 シレンティは私が言い終えるのを待って、遠慮がちに口を開いた。



「アエスタ様、いつか私も連れて行っていただけませんか? レントゥス様の……憧れの方の眠る地に。もうお会いすることは叶いませんが、せめて追悼の祈りだけでも捧げさせていただきたいのです」


「え? お父さんの遺体ならお母さんが持って行ったから、ワスティタにはないわよ?」



 私が答えると、シレンティの目が真ん丸に見開かれた。



「ああ……ええとね、お父さん、体の一部が大変なことになっていたのよ。お母さんも驚いていたくらいにね。それでお母さんは、せめて元通りしてから葬ってあげたいと言って、その専門の筋の者を頼ってお父さんを背負ってさっさと行っちゃったのよね」


「そ、そんなにひどかったのですか……ご病気で? それとも事故でしょうか? いえ、すみません。レントゥス様の名誉のためにも、いまだ心の傷が癒えないであろうアエスタ様のためにも、迂闊に聞いてはならないことでした。どうか失言をお許しください」



 シレンティったら、真っ青になって頭を下げちゃった。


 うーん……そんなにひどいことでもないんだけどな。いいか、言っちゃっても。どうせお父さんはもういないんだし。


 一つ吐息をついてから、私はシレンティに真実を告げた。



「ハダカケナシグマのせいよ」

「ハダカケナシグマ」



 シレンティがリピートする。



「あら、知らない? 裸で毛がないクマよ」

「裸で毛がないクマ」


「そのハダカケナシグマに、髪を引っこ抜かれたの」

「髪を引っこ抜かれた」


「かなりごっそり毟り取られて、ハゲちゃったのよね」

「ハゲちゃったの」


「それから一気に弱ってしまって、ろくに食事もとれなくなったの。ハゲたショックで」

「ハゲたショックで」


「最期はガリガリに痩せていたから、恐らく栄養失調で亡くなったんだと思うわ。でも本当の死因はハゲね」

「死因はハゲ」


「でも、仇は取ったわよ」

「仇は取った……というと、もしや?」



 私の言葉を噛み締めるように繰り返していたシレンティは、ここでまた目を大きく瞠った。


 そう――私はたった一人で、宿敵を倒したのだ。お父さんの心身を深く傷付けた、ハダカケナシグマを。


 奴は事もあろうか、お父さんから奪った毛を自らの顎周りに貼り付けていた。

 それを見た瞬間、凄まじい怒りが湧いて我を忘れそうになった。


 あれはお父さんの髪の毛なのに!

 どうです? 素敵な髭でしょう? みたいな顔で自慢気に見せびらかして!


 それでも必死に冷静さを取り戻し、私は奴に戦いを挑んだ。このプラチナブロンドの長い髪をチラつかせただけで、奴はすぐに食いついてきた。


 ハダカケナシグマは強かった。想像以上の苦戦を強いられ、何度も髪を掴まれそうになった。寸でで躱し続け、体力を限界まで消耗しつつも気力で立ち向かい、まずはお父さんの髪を全て取り返すことに成功した。


 その頃にもなると、ハダカケナシグマの攻撃も精彩を欠くようになった。


 そしてついに大きな隙が生まれた。それを逃さず、私は奴の唯一にして最大の弱点――頭頂部に生える太い一本毛をしっかりと掴み、全力で引き抜いた。



「ええと……ハダカケナシグマって、そんな方法で死ぬんですか?」


「死なないわよ」



 ふっと笑い、私は何故か引き気味のシレンティに教えた。



「その毛を抜くと、ハダカケナシグマは普通のクマになるの。ぼわっと針金みたいな毛が一気に生えてきたから、全速力で逃げたわ。その時はさすがに疲弊していて、ただのクマでも倒せるだけの体力は残ってなかったのよね」


「体力が有り余っていても、素手でクマを倒せる者はあまりいないと思いますが」


「仇討ちを終えたその足で、すぐフォディーナ家に向かったわ。お父さんの遺髪を持って」


「体力が残っていなかったという割に、恐ろしいほどアクティブですね。ワスティタからケントルまで、徒歩だと丸三日はかかりますよ?」


「だって、お待たせしていたのだもの。フォディーナ伯爵は、お父さんが亡くなったとお知らせしたらすぐにでも迎えを寄越すと言ってくださったのに、どうしてもとお願いして仇討ちを終えるまで待っていただいていたのよ? しかも十日もよ? 早く行かなくちゃって焦るじゃない。それに歩きなら結構時間がかかるけれど、走れば半分のタイムで着くわ」


「確かに歩くよりも走る方が早いですけれど、肉体的負担も倍になりませんか」


「走るのに負担なんてある? 足を交互に素早く動かしてるだけでいいのよ? 楽ちんじゃない」


「申し訳ございません。アエスタ様の理論は私のような常人にはハイレベルすぎて、たまに理解しかねます」



 ちまちまツッコミを入れられはしたけれど、シレンティの問いには全てしっかり答えられたと思う。


 今夜はいろいろ語りすぎて遅くなったから、縫い物は明日にすることになった。

 最強にして最高に面倒臭い糸通しはもうできてるし、次回は流血なしでささっと始められるわね。ふふっ、今から楽しみだわ!




■アエスタによるモナルク様観察記録■


・モナルク様の毛を入手した! それもたくさん!

・毛はとても柔らかくて軽い。淡いピンクで日に透かすと金色に輝く。まさに宝石ならぬ宝毛。

・一番多く採取できたのは、モナルク様専用の厨房前の廊下。どうやら食事のメニューが気になって、ベニーグが厨房に入ると行ったり来たりしているらしい。食いしん坊さんなのね♡



□シレンティ用ベニーグ情報□


・あんまり毛が落ちてなかった。

・聞けば、こまめにブラッシングしまくっているんだって。ハゲそう。気を付けるように注意すべきかも?



[シレンティからの追加情報]


・モナルク様はやっぱり、私が移動する先々についてきていたらしい。縄張りを荒らされそうで不安だったのかな……何だか申し訳ない気持ちになった。

・モナ毛、扉の蝶番にも挟まってたって。すごいわ、モナ毛!

・ベニーグの抜け毛も少しばかり拾えたとか。見せてもらったけど、モサゴワだった。一本プレゼントしてくれようとしたけどお断りした。ごめんなさい、いらない。

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