生モナ毛に触れられないなら、抜けモナ毛をモフればいいのよ!

 翌日、ベニーグに命じられたのはお屋敷の清掃だった。


 実は私、お掃除は初体験。まともな家に住んだのは、フォディーナ伯爵邸が初めてだったからだ。フォディーナの家ではお掃除は使用人の仕事だったし、チャレンジする機会が全くなかった。


 でもシレンティに基本的な道具の使い方を教わってからは、拭き掃除に掃き掃除にと自分なりに頑張ったわ!


 モーリス邸は主のために、普通のお家より大きく作られている。全部綺麗にするのに丸一日かかったけれど、でも全然苦じゃなかった。


 だって、あちこちにモナルク様のピンクの毛が落ちていたんだもの!

 触れたい触れたいと思っていたお宝が、至る場所に満ち溢れているのよ? しかもそれを好き放題に集められるのよ? 最高じゃない!?

 ええ、もちろん丁寧にしっかりもっふり集めたわ!


 おかげでお屋敷は、あのベニーグが驚いて声を失うくらいピカピカになった。私も、お掃除が大好きになった。


 かき集めたモナルク様のモフ毛は想像していた以上に柔らかくて軽くてふわふわで、すごく感動したわ!

 でも生モナ毛は、きっともっとずっと極上の質感なのでしょうね……お母様――実の母でなく、フォディーナ伯爵夫人の方――が動物の毛で作られた襟巻きを持っていたけれど、実物の滑らかさとは程遠かったもの。食べ物だって、とれたて新鮮が美味しいし。


 でもほわんほわんもふんもふんしすぎているせいで、よく舞うみたい。おかげで変なところでも見かけたわね。何故か照明の内側にまで入り込んでいて、思わず笑ってしまったわ。

 けれどモナルク様にとっては、ご自分のモフ毛のモフ飛散はあまり嬉しいことではなかったみたいね。照明を外して毛を取り除いている私を扉の陰から監視していたモナルク様……何だか申し訳無さそうな顔をしていた。

 その後、こそこそちょこちょこ自分の体をさわさわして、抜け毛をチェックしていたっけ。


 全然気になさらなくていいのに。下手に触りすぎたり気にしすぎたりしてハゲちゃったら大変よ。

 ハゲは怖いのよ……時には、ハゲによって死ぬことだってあるんだから。



 夜になると、私とシレンティは観察記録を交換し合った。始めたばかりだから、まだまだ情報は少ない。


 一通りの報告を終えると私はシレンティに頭を下げ、一つのお願いをした。



「……まだ糸通しができないのですか。全く、アエスタ様は本当に手先が不器用ですね」


「この穴が小さすぎるのが悪いのよっ! いったー! 痛い痛い痛い!」


「あーあ、もう、またですか……何度も言っているでしょう? 針を持ったまま暴れないでください。ピンクではなく、血塗れレッドのぬいぐるみを作るおつもりですか」



 シレンティは溜息をつきながら、私の指をハンカチで押さえてくれた。最初こそ流血した私より青い顔をして心配していたけれど、もう十回以上同じことを繰り返しているせいですっかり慣れてしまったらしい。今回も軽く刺した程度だったので、血はすぐに止まった。


 シレンティにお願いしたのは、お裁縫の勉強。難しそうだと思っていたけれど、やってみると想像以上に難しかった。針に糸を通す作業だけで、既に一時間経過している。


 だけど指を針で何度突き刺そうと、何時間かかろうと諦めないわ……どうしても私は作りたいの! モナルク様のモフ毛でできた、モナルク様人形を!



「アエスタ様。裁縫を教える代わりに、と言っては何ですが……お聞きしてよろしいですか」


「ふんっ、なぁに? ふんっふんっ! 何でも聞いて? ふんっふんっふんっ!」



 小さな針穴と細い糸相手に格闘しながら、私は答えた。



「…………アエスタ様が、フォディーナ伯爵邸にいらっしゃる前のことです」



 シレンティが静かな声で言う。その瞬間、針穴に糸が通った。



「やった! やったわ、シレンティ! ほら見て、できたわよ! 糸が通った! こんなに小さい穴に! やればできるものなのね!」



 喜びのあまり、私はシレンティに思いっ切り笑顔を寄せた。



「ああ、はい……そうですね。オメデトーゴザイマース、ヤッタヤッター」



 が、荒ぶる私の鼻息を浴びたくなかったのか、シレンティは顔を背け、棒読みでお祝いの言葉を述べた。


 通した糸が解けないよう慎重に玉結びにし、針をピンクッションに刺す。その作業を終えると、私は苦笑いしてみせた。



「別に隠していたわけではないのよ。誰にも聞かれなかったから、言わなかっただけ。お父様……フォディーナ伯爵にも、特に口止めされていないわ」


「アエスタ様の本当の父上は……現フォディーナ伯爵の兄上、レントゥス・フォディーナ様でいらっしゃるのですよね? シニストラ王国近衛兵団、元副団長の」



 シレンティが恐る恐るといった具合に問いかける。



「あら、お父さんのことを知っているの?」


「ええ……レントゥス・フォディーナ様は、騎士の中では有名な御方ですから。年若いながらも剣の技において彼に敵う者はなく、次期団長の座が約束されたも同然の中、突然姿を消した――そういった謎めいた人物像ゆえに、伝説のような存在として語り継がれ、憧れる者も多いのです。私もその一人ですし」


「待って待って! 何でそんなカッコイイ感じになってるの!? 実物は全然謎めいてないし、憧れる要素もないわよ!? ただのおっさんよ!?」



 どうやらお父さん、皆様の中でとても良い方向に偉人化されているらしい。何だか腹が立つわね。



「お父さんが姿を消したのは、好きな人ができたからよ」


「え、結構ありがちなやつですね?」



 シレンティのツッコミは最もだ。むしろ神秘的な雰囲気で語られる方がおかしいのよ。



「野外訓練の時に出会ったそうよ。ただそのお相手が、伯爵家なんていう狭い場所に閉じ込めておけるような器じゃなかったのよね……」



 日に焼けたお母さんの快活な笑顔を思い出し、私は溜息をついた。



「冒険者だったのよ、私のお母さん。だった、じゃないわね。今も冒険者やってるわ」



 シレンティ、ぱかーんと口と目を開きっぱなしにしてる。

 うんうん、言いたいことはわかるわ。冒険者なんて本当に存在するの? そんな職業あるの? って思ってるんでしょうね。でもね、間違いなく存在するし、職業としてちゃんと認定されているし、意外と依頼の需要もたくさんあるのよ。


 お母さんのご両親も冒険者だったそうで、家族でパーティを組んであちこちの国を冒険する冒険者一家だった。当時はたまたまシニストラ国に来ていて、たまたま出会ったお父さんと恋に落ちた。


 けれどお母さんは、生まれながらの冒険者。愛する人ができても、冒険の旅に出ずにはいられない。

 それを理解していたから、お父さんはお母さんが私を身籠ったと知った時に決めた。生まれる子は、自分が育てよう。そして二人で、愛する人が羽を休めに戻ってくるのを待とう。世界で唯一の居場所になろう、と。


 そうしてお父さんは、私が生まれる前に伯爵家も騎士の職も捨て、これまで暮らしていた首都ケントルから離れた。


 新たな人生の拠点にしたのはシニストラ国の西部、オキデンス国との国境付近にある未開の地・ワスティタ。

 そこでお父さんとお母さんが過ごしたのは、私が生まれるほんの僅かの期間のみ。


 だけどお父さんは、私を産んでシニストラの地を去っていったお母さんをそこで待つと約束した。ずっと、いつまでも。

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