悪女と魔獣〜王子に婚約破棄されて愛くるしさが過ぎる人外辺境伯の婚約者候補になったけれど、笑えるくらい心を開いてくれないので、観察記録をつけて彼の好みを探ろうと思う〜
胃袋と心を掴んで、次こそおいでおいでしていただくわ!
胃袋と心を掴んで、次こそおいでおいでしていただくわ!
シレンティが運んでくれた朝食を高速で食べ終え、高速で身なりを整えると、私は昨日と同じように屋敷の玄関脇で待機した。
すると、やってきました!
ピンクの大きなモフモフした可愛らしい姿が!
ベニーグの姿も見かけなかったし、思った通り、この時間はモナルク様のお散歩タイムらしいわね。
「モナルク様、おはようございもふ! 昨日は大変失礼いたしもふした!」
身を潜めていたアプローチの木立から飛び出し、私はモナルク様に元気良くご挨拶した。昨日の非礼もしっかり詫びる。
頭を上げてモナルク様のお顔を見ると、ものすごく嫌そうに眉をひそめていた。けれども、片手を掲げてフイフイッと振ってくれる。
「お、おいでおいで、と仰っているのですか!? お近付きになることをお許しくださり、ありがとうございもふ!」
「違う! 逆ですよ! 今のはどう見てもシッシッでしょーに!!」
一歩進んだところで、モナルク様の背後にいたベニーグから突っ込みを入れられた。
あら、シッシッだったのね……ならば仕方ない。私は一歩下がった。
「シッシッというと、このくらいでよろしいでしょうか?」
笑顔で尋ねるとモナルク様は首をフリフリと横に振って、もう一度シッシッと手を動かした。
「このくらいでしょうか?」
もう一歩下がる。またもやお首フリフリ、おててシッシッされる。
「このくらいですか?」
さらに下がる。またもやフリフリ、シッシッ。
「このくらいです?」
下がる。フリフリ、シッシッ。
「このくらい!?」
下がる。フリフリ、シッシッ。
「こーのーくーらーいー!?」
下がる。フリフリ、シッシッ。
このやり取りを何度繰り返しただろう――アプローチから門を出て、森にまで到達したところで、やっとモナルク様のフリフリシッシッが見えなくなった。
ついでに、お姿も消えていた。お屋敷にお戻りになられたらしい。
「……私達も、戻りましょうか」
ずっと付き合ってくれたシレンティが、背後から静かに言う。
ああっ! モナルク様がアクションしてくださったことが嬉しくて、チャンスを逃してしまったわ! 何も会話できなかったぁぁぁん!!
「今日は、食事の支度をお手伝いしていただきます」
本を読破したことを報告すると、ベニーグは本日のミッションを告げた。
若干ニヤついているのは、恐らくモナルク様に置き去りにされた私の姿を面白可笑しく眺めていたせいだろう。
「先にも申しましたように、この館には使用人がおりません。ですのでモーリス領辺境伯夫人となられる方には、家事くらいはできていただかなくては困ります」
「確かにそうね。万が一、ベニーグが倒れでもしたら大変だもの。特に食事に関しては、皆して飢え死ぬことになりかねないわ」
ベニーグの言葉に、私は納得の意を示した。
「まぁそういうことです」
ベニーグはじろりと私を睨み、強い口調で告げた。
「もしものもしもの万が一、ゼロどころかマイナスの可能性が引っくり返って奇跡が起こり、あなたがモナルク様の伴侶となった場合は、座っていれば茶が出てくるような生活はできないと心得ておいてください。温室育ちのご令嬢には、想像すらできないでしょうけれどね」
〆はそろそろ見慣れてきた嫌味スマイル。
けれど彼の言葉でわかったことがあった。
ベニーグはフォディーナ家の事情については知っているようだったけれど、私の出自についてまでは調べていないらしい。でなければ、この私を温室育ちだなんて言うはずがないもの。
「いいじゃない、退屈しなさそうだわ。お茶が飲みたくなったら自分で淹れるし、座っているより動き回っている方が私は好きよ。さ、厨房に案内してちょうだい」
嫌味スマイルをそっくりそのままお返しすると、ベニーグは一瞬呆けたような表情になった。が、すぐに咳払いして元のお固い顔に戻る。
「ふっ、心意気だけは立派なものですね。付いてきなさい」
ぶんと振られた太い尻尾に促され、私とシレンティは一階奥にあるというモーリス邸の厨房に向かった。
「今回作っていただくのは、ご自分の昼食です」
「えー!? モナルク様のお食事じゃないのー!?」
「当たり前でしょう! あなたのようなおバカに、モナルク様のお食事など作らせるものですか! 何を入れられるかわかったものじゃない!」
ベニーグに言い返されると、私はぐっと口を噤んだ。ここに来てまだ二日目、信用が皆無なのは仕方がない。
シレンティに髪を結んでもらい、教わった通りにエプロンを装着すると、私は室内を見渡した。
思ったより狭い。フォディーナ家の厨房の半分以下だ。けれどお鍋や調理器具が綺麗に並べられていて、どこもかしこもピカピカに磨き上げられている。
「キョロキョロしていますけれど、もしかしなくても厨房に入るのは初めてですか? そうでしょうねぇ、エプロンの着け方もご存知なかったようですからねぇ。仕方ない、では私がそれぞれの器具の使い方と料理の基本を」
「その必要はありませんわ」
ベニーグを制し、私は胸を張って笑ってみせた。
「料理なら経験があるの。ここはお任せしていただいていいかしら?」
今度こそベニーグは目を丸くした。
「そ、そこまで言うなら、やってみせてもらいましょうか。ここは私専用の厨房ですので、多少汚したり壊したりしても問題はありません。食材はどうぞご自由にお使いください。成果は昼食時に、モナルク様とご一緒に見せていただくとしましょう」
ランチはついに、モナルク様と同じテーブルでいただけるらしい。ベニーグはプレッシャーをかけるつもりで言ったのだろうが、私はさらに奮起した。
モフフフフ……そこらの温室令嬢とはわけが違うと思い知らせてやろうじゃないの!
そしてモナルク様に『わあ、アエスタの料理とても美味しそう! これからはベニーグじゃなくてアエスタに作ってほしいな♡』と思っていただくのよ!!
「……アエスタ様、あんな大口を叩いて大丈夫ですか?」
ベニーグが厨房から出て行くと、シレンティは不安げな声で尋ねてきた。
「大丈夫よ! お父さんと二人で暮らしている時は、私が食事を作っていたの。ドーンとガーンと任せてちょうだい」
答えながらドレスの隙間に忍ばせていた小さな弓と矢を取り出し、丁度良いところにあった板を矢尻で削る。後は矢尻を外した矢を突き立てて、弓の弦を矢柄に絡めて高速で回転させれば火起こしの完了だ。
「ええと、アエスタ様? そういった弓矢は常に持ち歩いているのですか?」
「もちろんよ。ハンカチなんかより役に立つんだから。淑女の嗜みに加えるべきだと思うわ」
「あの……かまどには既に火がついておりますから、そういった作業は省いてよろしいかと。それに火起こしの土台になさっている板ですが、間違いなくまな板だと思います」
「そうなの? 早く言ってほしかったなー。ちょっと焦げちゃったじゃない」
私は火起こしの手を止め、かまどに向かった。なるほど、火が煌々と燃えている。ちゃんと確認しとくんだったわ。
「火起こしの手間が不要になったから、時間はたっぷりあるわね!」
「アエスタ様はどうも知識がどえらく偏っているようなので、別のことで手間と時間がかかるかもしれませんが」
「せっかくだから、ベニーグの分も作ってみない?」
「そういったことでしたら、是非ご協力させていただきます。さあ食材をチェックしましょう」
即座にシレンティは態度を変え、ノリノリで食材選びを始めた。表情筋の動きは乏しいけれど、明らかに活き活きしている。
シレンティもやる気になってくれたようだし、モナルク様のついでにベニーグの胃も掴んで『アエスタ様、199,999点加算!』と言わせてみせるとしましょうか!
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