マイナス二十万点だけは避けられたのですわ!

 まず最初に行われたのは、屋敷内の間取りの簡単な説明だった。


 二階建てではあるものの、とにかく敷地面積が広い。けれど他の貴族の屋敷とは違い、己の財力を見せびらかすような無駄な豪華さは一切なかった。どの部屋も、家具から造りまで非常にシンプル。

 しかし空間の使い方は、王宮に匹敵する贅沢さだ。

 天井は見上げれば首が仰け反るほど高く、廊下は五人で手を繋いで横に広がって歩けるほど広い。全ての部屋の扉がまたすごくて、どれもこれもアクティブにジャンピングしつつアグレッシブにダンシングしつつクレイジーにローリングしながらでもぶつからずに通り抜けられるくらい大きく作られている。


 それもこれも、主の体格に合わせたためだ。

 この屋敷は王家が建設し、モナルク様にモーリス領辺境伯の爵位を授けると同時に贈られたそうで、全てがモナルク様規格となっているのだとか。


 ちょっと使い勝手に戸惑いそうだけれど、私も狭くて豪華なお家より広くてシンプルな方が好きだから問題ない。フォディーナ伯爵邸も狭くはなかったけれど、あちこちに貴重なオブジェが置かれていたりドアノブやら窓の桟やらベッドヘッドやらに繊細な細工が施されたりしていたものだから、ワンアクション起こすだけでも神経を遣って大変だったもの。


 お次は、二階にある部屋へと案内された。

 天井が高いのは他の部屋と同じだけれども、背の高い書架が幾重にも連なり、見渡す限りぎっしりと本が並んでいる。



「うわぁ、すごい蔵書ね。ここはモーリス家の図書室なの?」


「そのようなものです。元は私が仕事の資料を保管しておくために使っておりましたが、読書家でいらっしゃいますモナルク様が読み終えられた本などもこちらに収納していたら、このような状態になってしまったのです」


 モナルク様は本好きなのね。

 どうしよう……私、本なんてほとんど読んだことがないから、話題が合わないかも。



「アエスタ様、モナルク様におすすめの本をご紹介していただいたらいかがですか? きっと知見も世界も広がりますよ」



 不安になっていると、こそっとシレンティがナイスな提案をしてくれた。

 んもー、本当に頼れる侍女だわ!



「モナルク様のおすすめでしたら、私がお教えしますよ。どうせこの部屋にあるでしょうからね」



 しかしすかさず、ベニーグが潰しに来る。チッ、余計なことを。

 んあー、本当に面倒臭い執事だわ!



「このくらいでしょうか。ではどうぞ、お座りください」



 書架の間をあちこち巡っていたベニーグは、戻ってくると背の低い長テーブルの上にどっさりと本を置いた。促されるまま、その側にあるソファに腰掛ける。ここは恐らく、資料に目を通すスペースなのだろう。



「昨日はどこの誰かさんにバカワンコと罵られたせいでお伝えしそびれてしまいましたが、モナルク様は『人間が大嫌い』です。それをまず知っていただき、今後は馴れ馴れしい行動をお控えください。先程のような軽率な行為をなされると、冗談抜きで命に関わります」



 ベニーグの警告に、私は改めて反省した。


 やはり『人間嫌い』という噂だけは真実だったようだ。


 嫌いな種族にいきなり触れられかかったら、お怒りななるのも当然よね……私だってハダカケナシグマに抱き着かれたら、相手に悪気がないとしても振り解いてキックしてパンチして関節技までキメてしまいかねないもの。



「次に知っていただきたいのは、モナルク様の種族についてです。これまでの婚約者候補の令嬢方はここに到達することも叶いませんでしたから、モナルク様について語るのはあなたが初となります」



 ドキリと胸が高鳴った。


 そうだ、モナルク様は人ではない。私もそれなりに動物やら多種族やらと接してきたけれど、モナルク様のような外見の生物は見たことがない。



「モナルク様は、竜の一種に分類される生物なのです」

「竜」

「竜」



 ベニーグの発言に倣い、私とシレンティが抑揚なくリピートする。


 だって、竜といったらドラゴンでしょ?

 ドラゴンといったら、固くて長くて超巨大な生物よね?

 希少だというから見たことがある人は少ないだろうけれど、大体皆そんなイメージを抱いているわよね?


 このシニストラ国で目撃された例はほとんどないというし、私ももちろん出会ったことはない。けれど、お母さん――フォディーナ伯爵夫人であるお母様ではなく、実の生みの母の方――が旅の途中で、何度か遭遇したという話は聞いている。そのお母さんが、固くて長くて超巨大だったと言っていたんだから、皆がドラゴンに抱くイメージと実物はそこまでかけ離れていないと思う。


 モナルク様が、まさか竜種だとは……毛糸と同じ種と言われた方がまだ納得できたかもしれないわ。



「ふふ、恐れおののいて言葉も出ませんか。無理はありません。何せ竜ですからね。ドラゴンですからね!」



 固まった私を見て、ベニーグが得意気に唇を釣り上げる。この人ったら、まだ私がモナルク様を恐れてるって勘違いを絶賛継続中なのね。



「ま、まぁ人にもいろいろ個体差がありますし、竜と呼ばれる種にもいろいろあるのでしょう」



 が、訂正してもキリがなさそうなので、さっくりと受け流すことにした。



「ほう? この事実を聞いても泣き出さないとは、大したものですね。無礼で生意気で色ボケしたとんでもおバカだと思っていましたが、なかなか根性だけはありそうだ。よろしい、一点加点してあげましょう」



 ベニーグがキラリと金の瞳を輝かせて言う。


 まだ出会って一日も経ってないのに、私の印象ひどすぎない?

 でも一点もらったから良しとしよう……まだマイナス99,999だけど。



「モナルク様はモキュアと呼ばれている種で、数ある竜の中でもかなり希少で」


「モキュアですって!? やだ種族名まで可愛い! 素敵! 抱きたい!」


「だだだ!? だ、抱きたいだと!? 何と淫らな! そそそんなはしたない欲望を恥ずかしげもなく堂々と叫びよって、この色欲の権化が! 黙ってろ口を開くな息をするな、マイナス十万点!」



 落ち着いていたベニーグの尻尾がたちまち逆立つ。さらには牙を剥かれて、グルグルと唸られてしまった。


 えぇ……一気にマイナス199,999になっちゃったわ。そこまでマイナスされたら、もう取り返しつきそうにないじゃないのよぅ……。



「ベニーグ様、失礼ながら進言させていただきますが、アエスタ様をいちいち叱っていては時間がいくらあっても足りませんよ。この方は良く言えば天真爛漫、悪く言えば無礼で生意気なとんでもおバカです。昼食の時間も迫っておりますし、多少のおバカ発言には目をつぶってお話を続けた方がよろしいかと」



 と、ここでシレンティが救いの言葉をかけてくれた。

 さらっとベニーグの悪口に乗っかりはしたけど、色ボケの部分を抜いてくれたところにほんのりと微かに僅かに優しさを感じたわ……。ありがとう……。



「それもそうですね。私も暇ではありませんし、さっさと話を済ませましょう」



 そう言うとベニーグは、積み上げた本の中から一冊を引き出して広げた。



「この頁に書かれておりますが、モキュアは竜種にしてはとても小柄です。恐らく、あらゆる土地で暮らしやすいように進化した種なのだと思われます。肉体がコンパクト化した結果、外敵からの脅威が増えたのでしょう。そのため身を守るために群れを作って生活をするという、他の竜種では見られない性質を持つようになったとされております」


「群れ? でもモナルク様は」


「ここに、モキュアに関する資料を用意しております。あとはご自分で読み、ご自分の頭で理解なさい。それができれば、加点して差し上げますよ。では私は昼食の支度をせねはなりませんので、失礼いたします」



 私の言葉を遮って言いたいだけ言い終えると、ベニーグは不敵に笑ってみせてから部屋を出て行った。


 ……って、待って? この山程の本を読めということ!?


 ウソでしょ。私、本を一冊読み終えるのに一ヶ月かかるくらい読書が苦手なのよーー!?

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