恥ずかし涙が溢れるくらい愛されていたのですわ!

 翌日は、大広間でフォディーナ家の皆と共に最後の朝食をとり、昼前には彼らを見送ることとなった。


 ここに来るまでの間は、彼らとは必要最低限のことしか話さなかった。ううん、フォディーナ家で共に暮らしていた時もだ。


 私は一人で勝手に思い込んでいた。自分など、誰も受け入れてくれるはずないと。

 いくら伯爵家の血を引いているといっても、私は生まれてからずっと『庶民』――もしかしたらそれ以下かもしれない暮らしをしていた。何もかも自給自足で、家すらない野生動物みたいな生活が当たり前だった。

 そんな自分をフォディーナ伯爵令嬢だと認めてくれる者など、いるわけがないと。


 けれど王太子殿下の婚約者なれば、少しは皆にフォディーナ家に相応しい存在だと思ってもらえるかもしれないと期待した。なのに婚約は破棄されてしまった。もう合わせる顔がないと、皆の目すら見られなくなった。話しかけることなんてできなかった。


 皆に対して、壁を作っていたのは私だ。シレンティのおかげで、それを知ることができた。


 出立の支度を終えた皆の前に進み出て、私は初めてフォディーナ家から付き添ってくれた五人の使用人達――残るシレンティは私の背後に控えているため除く――に、自ら真っ直ぐに向き合った。



「皆、ここまで一緒に来てくれて本当にありがとう。ずっと言えなかったけれど、心から感謝しているわ。頼りないでしょうけれど、私のことなら心配しないで。どんなことがあっても、皆のことを思って精一杯頑張ります」



 そして、一人一人の目を見て感謝の気持ちを述べる。



「アエスタ様、こちらでも元気いっぱい遊び心いっぱいでお過ごしください。餌付けして集めた庭の虫達をお友達に見立てて、楽しく語り合っていた時のように!」



 最初に言葉をくれたのは、護衛としてついてきた大柄な男だった。

 快活な笑顔と大きな声に、私もぎこちなく微笑み返した。



「激励の言葉をありがとう。でもこっそり見られていたのは仕方ないにしても、ここで恥ずかしい遊びを晒すのはちょっとやめてほしかったかなぁ……あれはただ単に、気を遣わずに話せる相手がほしかっただけなの。本当は人と話したかったの。あなたが話しかけてくれて仲良くなれれば、虫達とお茶会ごっこだとか戦争ごっこだとか三角関係ごっこだとか、そんな不毛な遊びはしなかったと思うの。そこだけは理解していただけると嬉しいわ!?」


「アエスタ様、どうかお体にはお気を付けてくださいませ。春が来たとはいえ、こちらはまだ冷える日もあるとお聞きしております。荷物の中に毛布をお入れしました。アエスタ様のお好きな、猫と栗鼠の柄のものでございます。どこでお拾いになってきたのか、何匹もの猫と栗鼠をこっそりと寝室に潜ませて、その中に埋もれてニヤニヤなさっていたくらいですものね。あの毛布があれば、こちらでも心癒されるひとときを味わえると思います」



 お次は、フォディーナ家で私の専属として側に仕え続けてくれた中年の侍女。

 薄っすらと目に涙を浮かべる彼女の肩をそっと抱き、私は労いの言葉をかけた。



「ええ、あなたには本当に苦労をかけたわね。その件は悪かったと、今も反省しているの。慣れないツルツル質感ばかりの寝具に嫌気が差して、柔らかくてあたたかくてモフモフしたものを求めて必死に編み出したのがあの行為だったのよ。でもその結果、寝具ばかりか寝室まで毛だらけにしてしまったのよね。全て自分の体毛だ、体毛がとんでもなく濃い上に抜け毛がひどいんだと今思い返しても無謀な言い訳を信じるフリをしてくれたこと、心から感謝しているわ……」



 どうしよう。何だか私まで泣きそうになってきたわ。いろいろな意味で。



「アエスタ様、ここでお別れしなければならないことをとても寂しく思います。けれどアエスタ様ならきっと、難攻不落と名高いモーリス領辺境伯閣下のお心も射止められると信じております。あのぼへーっと気の抜けた面白可愛いお顔をひとたびお見せになれば、モーリス様もたちどころに虜となりますよ! あのお間抜けフェイスこそが、アエスタ様の強みだと思っておりますので!」


「わあ、あなたも私のぼんやり顔を推してくださっていたのねー。嬉しいわー。でも私の強みって、他にももっとあるんじゃないかと思うんですけれどねー? 思っていたんですけれどねー!? 思いたかったんですけれどねー!?」


「アエスタ様、離れても我々はずっとあなたを思っております。あなたのことは決して忘れません、いえ、忘れられるはずがありません。アエスタ様ほど面白可笑しく、言動行動が奇妙奇天烈複雑怪奇な方はそうおりませんから。お皿の上に乗ったお皿を料理と勘違いし、手刀で割って齧ろうとした時は何とか堪えました。しかし間違いをただされるとさらに勘違いをこじらせ、テーブルクロスを咥えて噛み始めたのには我慢できず、本当に腸が捻れそうになりました。笑いに厳しい私を呼吸困難にさせたくらいなのですから、どうか自信を持ってください!」


「あーあー、そんなこともあったわねー。あの時はまだフォディーナ家に来たばかりで、確かマナー講師に『皿に乗って提供されるもの全てが料理とは限らない』とキレ気味に指摘されて逆に混乱したのよねー。私としては忘れたい出来事なんだけど、今も思い出し笑いしてるほどだから忘れてくれそうにないわねー?」


「アエスタ様、どうしてもつらくて堪らなくなった時はどうかご無理なさらず。しかしアエスタ様のことですから、限界を超えても頑張られるのでしょう。フォディーナ家でもずっと、一人頑張り続けていらっしゃったのですもの。せめてもの発散の一つとして、時折自作の楽曲を諳んじておられましたよね。アエスタ様の類稀なる感性が綴る言葉の数々と独特の曲調に、大変感銘を受けました。歌は力になると聞いたことがありますので、応援の気持ちを込めて、歌わせていただきます。どうかお聴きください」


「え、楽曲? 待って、そんなの作った覚えは……」



 私が否定するより先に、五人が一斉に口を開いた。



「『ルンルン〜ラン、ランラン〜ルン、ルンラン言ってみたけれど〜、ち〜っとも楽しくならナイナイ〜ン、何故なのか〜わからナイナイ〜ン、ルンランルン〜ランルンラン〜、あ〜眠た〜い〜勉強〜イヤイヤ〜ン』」



 背後からも、声がする。シレンティも歌っていた。皆で練習したらしい。


 ええ、はい……そういえば自室で勉強する時は、こんなような節を呟いていたわね。

 ああ、そう……これもしっかり聞かれていたのね。


 いやもう、本当に涙が出てきたわ。悪気がないどころか、逆にめいっぱいの好意の表現なのよね。だから、恥ずかしすぎて地面に埋まりたくなってるけど、何も言えない!


 泣いてしまった私を、皆は必死に慰めてくれた。感極まったせいだと思われていたようだけれど……間違いではないから否定せず、改めて全員にありがとうと告げた。


 そして、シレンティ以外のフォディーナの者達は名残惜しげにモーリス邸を去っていった。


 目が離せない珍獣みたいな扱いではあったのかもしれない。けれども、私は彼らに愛されていた。それがとても嬉しくて、だからこそもっと早く自分から心を開いていればと悔やまれて――様々な思いが溢れて、止まったはずの涙が再び滲み出そうになるのを堪えながら、私は皆の馬車が森の緑の奥に消えるまで見送った。


 夜は暗黒だった森も、この時間帯は春のぬくもりを帯びた陽射しに照らされて生き生きとした緑に輝いている。おかげで悲しみや寂しさはあれども、爽やかなお別れだった。


 だけど悔いることだけはもうしたくない。

 この一ヶ月、死ぬ気以上に食らい尽くすつもりで挑もう。


 フォディーナ家のある首都ケントルに比べてまだ肌寒い春風の中、私は決意を新たにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る