悪女と魔獣〜王子に婚約破棄されて愛くるしさが過ぎる人外辺境伯の婚約者候補になったけれど、笑えるくらい心を開いてくれないので、観察記録をつけて彼の好みを探ろうと思う〜
煽り耐性のない者同士が言い争うと、結果的に肉弾戦になりがちよね!
煽り耐性のない者同士が言い争うと、結果的に肉弾戦になりがちよね!
「アエスタ様、目が覚めましたか?」
瞼を開くと、まず目に映ったのは淡いブラウンの瞳の美女。
どなた? と尋ねかけて、綺麗な編み込みをした栗色の髪から侍女のシレンティだと気付く。
彼女とまともに接したのは、先程が初めてだ。そのせいで記憶が薄い……ことに加え、初対面時からここに来るまでずっと無表情だったため、今みたいに心配そうな顔を見るのは初めてだったのだ。といっても、目周りをほんのり顰めている程度ではあるけれども。
「シレンティ、ごめんなさい。迷惑をかけてしまったわね」
寝かされていたベッドから身を起こし、私は己の失態を詫びた。
あと少しでお別れだというのに、最後の最後までやらかしてしまった。自分の不甲斐なさが情けない。
シレンティを始め、フォディーナ家から付き添ってきた数人の使用人達は、全員明日帰還させるつもりでいる。
彼らにとって、私は仕える家を存続の危機に至らしめた悪しき存在だ。だからここまで私と共に付いてきてくれただけでも、感謝を通り越して尊敬に値する。
誰も口には出さなかったけれど、本当は腹立たしくて仕方なかったことだろう。こんな奴のために長い時間をかけて、危険と噂される場所に同行しなくてはならないなんて、と腹の奥は煮え滾っていたかもしれない。そう思うと居たたまれなくて申し訳なくて、皆と目を合わせることも憚られた。
だから、皆には今夜だけ体を休めてもらったら、フォディーナ家に戻っていただく。たとえフォディーナ伯爵から、この地で私の世話をするよう命じていたとしても、だ。
私なら大丈夫、身の回りのことくらい一人でできる。フォディーナ家の養子となる前は、父さんと二人だけでずっと支え合って生活していたんだもの。外聞を気にして躊躇う者もいるかもしれないけれど、この地をよく知る人の方が役立ちそうだから新たに雇うとでも言っておけばいい。
私の決意を知ってか知らずか、シレンティは何か言いたげに憂いを帯びた目を向けた。けれどすぐに一礼し、さっと部屋を出ていく。
彼女はすぐに戻ってきた。
冷静なんだか失礼なんだかうっかりさんなんだか騒々しいんだかわからない、黒髪金目の獣人執事さんを連れて。
「先程はお恥ずかしいところをお見せして、大変失礼いたしました」
獣人執事さんが頭を下げる。
もうローブを羽織っておらず、頭の耳と太い尻尾もへにょんと項垂れさせていた。
お恥ずかしいなんてレベルじゃありませんでしたよね。耳を手で覆って尻尾を股に挟んでボールみたいに転がり回るって、なかなかハイレベルの大失態ですよね。ま、モーリス様の可愛らしさの前じゃ背景みたいなものだったから、そんなに見てなかったけど。
「私はベニーグ・クストと申します。最初に名乗らなかったのは、名乗ったところで意味がないだろうと思ったからです。あなたもこれまでのご令嬢達のように、どうせモナルク様のお姿を見ればすぐに逃げ出すに違いないと」
そういえば、婚約者候補としてここに訪れて一日保った令嬢はいない……とか聞いたわね。
皆がすぐに逃げ出したのは、美意識とプライドが高すぎたせいじゃないかしら。
貴族の令嬢さん方は、自分が主役じゃなきゃ気が済まない子が多いですもんね。どうせモーリス様の可愛さを目の当たりにして『どう頑張っても、この可愛さに勝てるビジョンが見えない……!』と絶望したんでしょうよ。モーリス様の人智を超越した可愛さの前では、どれだけ着飾ろうと足毛の一本にすら及びもしませんもの。
せめてもの矜持で、悔し涙を見せないように猛ダッシュで帰ったに違いないわ!
「あなたはよく頑張った方です。モナルク様の威嚇の舞を見ても、恐怖を堪えて拍手までやり遂げたところは評価いたします。ですので僅かばかりの敬意を表し、こうして自己紹介させていただくことにしました」
ふん、と鼻を鳴らし、ベニーグと名乗った自称レアな狼とやらのハーフ野郎は冷ややかに笑った。ついでに耳と尻尾もドヤァとばかりに立ち上がる。
何よ、こいつ。何でこんなに上から目線で偉そうなの? わざわざ敬意を表されなくて結構だわ。
それにあの舞の、どこに威嚇要素があったというのよ? 思い出してみても、恐怖する点なんて微塵たりともございませんでしたが? 動作の一つ一つが可愛いに溢れ、可愛いに満ち、可愛いが滴り、可愛いが漲っているだけでしたが?
イラッとしたけれどぐっと堪え、私はお手本通りの令嬢スマイルで応対した。
「自己紹介してくださって、ありがとう。ではこれからはベニーグと呼ばせていただくわね。あなたも私のことは気軽にアエスタと呼んでちょうだい」
「はっ、これから?」
ベニーグが鋭い眦をさらに厳しくひそめる。そして、ふっとまた嫌味っぽく笑った。
「おやおや、まだ居座るおつもりですか。気を失うほどの恐怖を味わったというのに? モナルク様の恐ろしさは、あの短時間でも十二分に身にしみたでしょう。ええ、ええ、あなたのお家の事情は私もよく存じております。無理してでも頑張りたいというお気持ちも理解できなくはありません。ですがモナルク様と出会う度に恐ろしいと震え、恐ろしさに耐え兼ねて倒れられては、はっきり言ってこちらも迷惑なのですよ。ですから速やかに、お帰りいただくことをおすすめいたします」
まともに話したのは今が初めてだけど、私、もうわかった。こいつ、性格悪い。
しかも、何か勘違いしてる。
「はあ? 私は可愛いの過剰摂取で一時的に昇天していただけなんですけれど? 大体私はモーリス様を恐れてなどいませんわ! 頭から足の先までもっふんもっふんで、おまけに仕草までキュート飛び越えてギュードで、どこもかしこも可愛い要素の宝庫みたいな方でしたが? それともあなたにとっては恐ろしい存在なのかしら? そうよねー、ベニーグったらちょっと耳と尻尾を見られただけで取り乱して、クゥンクゥン鳴いて子犬みたいになっちゃうメンタル
「誰が激弱ンちゃんですか! 思ってもないくせに可愛いを連発するとは、不愉快極まりない! 痩せ我慢の強がりは結構ですから、とっととお帰りやがりくださいませ!」
私の稚拙な煽りに、ベニーグは簡単に乗ってきた。どうやら煽り耐性が低いらしい。
「何一人で勝手に決めつけてるのよ! 私は恐ろしくないと言っているでしょう! なのにいつまでもモナルク様を恐ろしいもの扱いして……そうだわ、どうせあなたが今みたいに婚約者候補の令嬢達の心を折ってきたのではなくて!? だったらあなたこそ不愉快だわ! 遠いお空にでも飛んでいって、そこからモナルク様と私の幸せをお祈りなさい!」
しかし、悲しいことに私も煽り耐性が低かった。
「私は令嬢達の心折るような真似はしていません! どいつもこいつも好き勝手に押しかけてきたと思ったら、恐ろしいと泣き喚いてさっさと帰っていったんです! おい待て……貴様、今モナルク様と呼んだな!? 馴れ馴れしい厚かましい図々しい! ぽっと出の分際で身の程を知れ、面皮極厚令嬢め!」
「身の程なら知ってるわよ! 私はモナルク様の婚約者になるの! ゆくゆくは伴侶にしていただくの! だから名前をお呼びしたって許されるの! 文句を垂れる暇があるなら、今の内に私のことをモーリス夫人と呼ぶ練習でもなさったら!?」
「だぁぁれぇぇぇが、そんなことするものか! 生意気な言葉ばかり吐き散らかしおって……声帯ごと喉笛を噛み切ってやろうか!?」
相当おブチギレなさったようで、ベニーグは尻尾の毛を逆立て、ついには鋭い牙を剥いて私に掴みかかろうとしてきた。
ふっ、その程度の脅しに屈するとでも? この私をなめないでいただきたい!
「やれるもんならやってごらんなさいな! ほぉぉーら、取ってこぉぉーい!!」
そこですかさず、私はベッドサイドに飾られていた絵皿を放り投げた。するとベニーグ、ぴょんと飛び跳ねてお皿をかぷっと口にくわえて着地する。
くくく……思った通り、ワンコちゃんと同じでお遊びには弱いみたいね!
「よーしよしよし、いいこいいこ。おりこうさんですね!」
取ってこいを成功させた彼を褒め倒したのは、私……ではなく、側にいたシレンティだ。
頭をナデナデされるとベニーグはふりふりと太い尻尾を振り、初めて顔全体を綻ばせた。
あら、んふーって目を閉じて口角を上げてるとなかなか可愛いわね。シレンティもあんなに優しい表情ができるのね。何だか癒やされる光景だわ。
「はっ! くっ……こんな卑怯な手に乗るほど、私はバカではありませんからね!」
が、ベニーグはすぐに我に返ってシレンティの手を振り払い、元の可愛くないしかめっ面に戻った。
バカじゃないの……簡単にあっさりうっかり乗っちゃうおバカさんじゃないの……。
「今日のところはこのくらいにしておいて差し上げます。ですが、明日からはこうはいきませんよ。精々覚悟しておくことですね。モナルク様の恐ろしさを思い知り、耳も立たせられないほど震えてキャインキャイン鳴くことになるでしょうから。とっとと尻尾巻いて逃げ出すが良い!」
このくらいにしておいてやると言われても何もされてないし、むしろやられたのはそっちだし……耳は元々立ってないし、どんなことがあってもキャインキャイン鳴くことはなさそうだし、巻く尻尾もないんだけどな?
ツッコミどころは満載の捨て台詞を残し、ベニーグは部屋を出ていった。毛を立ててさらに太くした尻尾を、ふん! とばかりにいからせながら。
やれやれ、尻尾まで偉そうな奴だわ。
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