ブラックアウトならぬピンクインしてしまったのですわ!

 じたばた藻掻いた甲斐あって、靴が脱げた。即座に腹筋を駆使して跳ね起きる。冷静に考えてみれば、腰を下ろして立ち上がればいいだけだった。でもそんな余裕なんて欠片もなかった。だからこれは仕方ない。


 恐る恐る、扉の方を振り向いてみる。


 ほら、見間違いなんかじゃない。ピンクの巨大毛玉がででーん且つどどーんと立っている。その大きさ、縦に私が1.5人分、横に私が3.5人分はすっぽり収まりそうなビッグサイズ。


 しかもよく見ると、毛玉じゃない。


 顔面積の割には小さいけれど、くりくりとしたつぶらな黒い目が二つある。子犬のような逆三角の小さな鼻と、猫のウィスカーパッドによく似たふっくらむふむふ笑ってるみたいな口もある。ふんわりもっふり全身を覆う柔らかそうなピンクの毛並みに埋もれてわかりにくいけれど、ちゃんと手足もある。手も足も太くて短くて、おまけにお腹もぼよんと出てるせいで、ボールっぽく見えたというわけだ。なるほどね! ……って納得していいのかしら?


 サプライズブリッジからの奇声付きカニ歩きにひどく驚いようで、ピンクの巨大毛玉もどきさんは少しの間固まっていた。けれど私が立ち上がると思いだしたようにえっふんと咳払いを一つして、こちらへと歩いてきた。

 よどみない二足歩行である。ふわんふわんと毛を揺らし、ぷりんぷりんともっこりお腹を揺らして近付いてくる。


 そして謎の巨大生物が、ついに私の目の前に立った。

 視界一面に広がるピンクを、半ば呆然と見つめていると。



「むんっ!」



 ピンクが跳躍した。おおっ、結構高い! かなり脚力があるのね!



「ほんっ!」



 ピンクが着地した。ほうっ、体勢にブレがない! 体幹がしっかりしているのね!



「にゅんっ!」



 締めは、両腕を大きく開いてのポージング。力こぶを見せ付けてくれたのかもしれないけれど、残念ながら毛に埋もれて確認はできなかった。


 ここで一連のアクションが終わったようなので、私は惜しみない拍手を送った。



「素晴らしい舞をありがとうございます! こんなに歓迎してくださって、嬉しいですわ幸せですわ可愛いですわ可愛いですわ!」



 感動のあまり、ついついポロリと本音が出てしまった。



 だって!

 だってだってだって!


 か わ い す ぎ る!!



 可愛い。何度見ても可愛い。可愛いが可愛いで可愛い!


 何これ何これ何これ!? こんな可愛い生き物、見たことないんですけど!?


 やばい可愛いいつまでも眺めていられる可愛いこの造形でピンクとかズルい可愛いモフモフぬくぬくそうで可愛いとってもおっきいところも可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い!!



「ふ……ふっ。どうやら恐ろしさのあまり、言動がおかしくなっているようだ。モナルク様、さすがでございます」



 ようやく立ち上がった執事の男が、口元と耳を引き攣らせながら訳のわからないことを言う。



「恐ろしい? 何がです? もしかしてモーリス様のお噂の件でしょうか? 私は噂など信じておりませんわ。それに、このような素敵なおもてなしを企画してくださったのはモーリス様なのでしょう? 恐れるどころか、とても趣味の良い方だと感激しております! ところで、モーリス様はまだいらっしゃらないのかしら? ではお先に、こちらの可愛らしくて可愛らしすぎて可愛らしいにも程があるお方に自己紹介させていただいてよろしいでしょうか? よろしいですよね? 私はアエスタ・フォディーナと申します。仲良くしていただけると嬉しいわ。あなたのお名前も聞かせてくださる?」



 執事の男の了承を得るより早く、私はニヘラ〜っと緩みそうになる口元を押さえてもニッコニコと溢れるハッピースマイルでピンクのモフい可愛いの権化にご挨拶した。



「…………こちらがモーリス領辺境伯、モナルク・モーリス様です」



 彼の名を明かしてくれたのは、本人……人? じゃないから本人外?……ではなく、執事の男だった。彼はこの可愛いモフモフピンクさんの通訳も兼ねているのかもしれない。



「まあ、モナルク・モーリス様とおっしゃるのね! ん? どこかで聞いたような……って、え!? モナルク・モーリス様!? モーリス領辺境伯の!? モーリス領辺境伯の、モナルク・モーリス様!? こちらが!?」



 彼の言葉が信じられず、私は同じことを何度も何度も尋ねてしまった。



「だからそう申しているではありませんか。フォディーナ様は、頭があまりよろしくないようですね。おっと失礼、恐怖で錯乱しているだけという可能性もありますか」



 嫌味混じりに執事の男が答える。わあ、まだ会ったばかりなのに遠慮のない言い方をなさること。名前もまだ知らないあなた様は、あまり性格がよろしくないようですわね。


 それよりも、ですよ!


 この可愛すぎ警報発令しっ放しの可愛い生物が、あの噂の辺境伯なの? 本当に?



 …………誰よ、化物みたいに恐ろしい姿をしてるなんて言った奴は!?


 もしかして可愛すぎて恐ろしいっていう意味だったの!? ならわかるわ、全私が全力全同意だわ! こんな可愛さを見せつけられたら、そりゃ恐れも抱きますわよね!



「し、失礼いたしもふした! モフルク……いえ、モナルク・モーリス様、私がアエスタ・フォディーナでございもふ! 本日よりこちらにて、『婚約者候補』としてしばらくの間お世話になりもふので、どうぞよろしくお願いいたしもふ!」



 噛み噛みになったのも無理はない。


 だってモーリス様ったら、キュートな黒い目の上に薄っすら生えた眉毛ともっちりもっふりした口角をちょこっと下げて、何ともお間抜け可愛らしい表情で惑わせてくるんですよ?


 魔性だ……魔性の可愛いがここにいる……!


 さあ、気になるモーリス様の私へのファーストアクションは!?



「ふんっ!」



 モーリス様、キッと眉毛を釣り上げてつんとそっぽをお向きになられちゃった……。


 ええ……いきなり嫌われたぁぁぁ……?


 いやいや、極度の人間嫌いだという噂だったじゃない。今だけは噂を信じよう……ほら、占いだっていいことだけ信じるものですし?


 取り敢えず、今のやり取りから察するに、モーリス様は人の言葉を話せないにしても、理解はできるらしい。


 私から顔を背けるとすぐ、モーリス様は踵を返し、ドスドスとわざとらしいほど足音を立てて部屋を出ていった。


 大きな後ろ姿を目にするや、私の心拍数はさらに跳ね上がった。


 待って、後頭部もまんまるもっふんじゃない! くっ、鎮まれ……私の撫でくりまわしたい欲求!

 ああ、あの広くて大きな背中にもふふーんと抱き着いてみたい……え、ちょこれ無理。お尻お尻お尻ぃ! ぷりんぷりん振ってるお尻の先っちょに、ちっちゃい尻尾が付いてる!? 嘘でしょ、どこまで可愛いの!?


 背面まで可愛いとか、可愛いの限界突破よーー!! 可愛いを突き抜けて突貫トッカンドッカン可愛いーー!!



「フォディーナ様」



 が、まだ居残っていた失礼執事野郎が目の前に割って入ってくる。これには私も、ブチギレてしまった。



「ちょっと、モーリス様がビッグおちりとミニちっぽをプリプリしながら歩いてる姿が見えないじゃないの! 邪魔しないでよ、バカワンコ!」


「はああ!? バカワンコ!? 失礼な、バカでもなければ犬でもありませんよ! 犬じゃなくてウルフです! それも希少種のヘルウルフのハーフです……って、あれっ、何で……えっえっえっ!? うわあああああ!!」



 執事君が鋭利に切れ上がった金色の目を大きく見開き、激しく狼狽える。


 慌てて隠そうとしたところで、時既に遅し。彼の頭には、髪と揃いの漆黒の毛並みをした二つの尖った耳。そしてお尻からは、彼の胴ほどもありそうな太い漆黒の尻尾が飛び出していた。ローブがすっかり脱げ落ちてしまっていたことに、今の今まで気付いてなかったらしい。


 別に驚きはしない。

 たとえ獣人がこの国では稀有な存在だとはいえ、モーリス領辺境伯が超絶可愛い人外だってことに比べたら大したことではないもの。


 邪魔者が蹲ってくれたおかげで視界が晴れた。改めてモーリス様を目で愛でようとしたら、こちらの騒ぎに気付いたのか何と振り向いてくださっている! ぎゃあん、目が合った! えっ……むきーって歯を向いたわ!? 左右にちっこい牙がある! さらにべえって舌を出して……舌までちっこい! 体毛より薄いピンク!


 何なの、どういうことなのよ……口の中まで可愛いって!!


 ついに、ここで私の可愛い耐性は臨界点を超えた。



「アエスタ様!」



 遠退く視界の奥に、こちらへと駆け寄ってくるシレンティの姿が映る。


 あなた、こんな綺麗な声してたのね……というか話せたのね……表情も変えられるのね、私のために動くことをしてくれるのね……などなどいろいろなことを思ったけれど、何一つ口に出来ないまま、私は意識を失った。

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