悪女と魔獣〜王子に婚約破棄されて愛くるしさが過ぎる人外辺境伯の婚約者候補になったけれど、笑えるくらい心を開いてくれないので、観察記録をつけて彼の好みを探ろうと思う〜

節トキ

悪女になれるほど器用なら、こんな時にブリッジしたりしませんわ!

 あーあーあー、どうしてこんなことになったのかなあーあーあー。


 窓の外を眺めながら腰掛けていた椅子を揺らしつつ、私は何度目何十度目何百度目になるかわからない溜息を吐いた。


 アエスタ・フォディーナ伯爵令嬢は、麗しい顔の下に恐ろしい性根を隠した、この上ない悪女だという。


 何でも、フォディーナ伯爵家に取り入って、まんまと養子となって令嬢という身分を手に入れ、挙げ句の果てには王太子殿下を誘惑したんですって。その証拠に、王太子殿下の婚約者の第一候補とされていた公爵令嬢を始め、自分の邪魔になりそうな家柄の良い令嬢達にも嫌がらせを繰り返して、さらには様々な令息達に色目を使って言うことを聞かせていたんですって。王太子殿下との婚約が発表された直後、そんな証言が山程出てきたんですって。怖いわねー、恐ろしいわねー。


 …………アエスタ・フォディーナ本人から言わせていただきますと、ないことないこと尽くしで身に覚えがなさすぎるんですが?


 この私にそんな器用なことができるか! 社交の場でも常にいっぱいいっぱいで、叩き込まれた令嬢スマイルを保つだけで必死だったというのに!

 確かに私は現フォディーナ伯爵の実子ではないわよ……でも向こうから是非にと養子に迎えてくださったの! 私だって自分がそんな大層な家柄の血を引いているなんて、父親が亡くなるまで知らなかったわ! それに王太子殿下についていうと、悪いけど顔すらうろ覚えよ! 婚約の話を持ちかけられた時だって喜ぶよりも意味がわからなさすぎて、何でどうしてナニユエに? って引いたくらいだったんだから!


 イライラを抑えようと景色を眺めて落ち着こうとしているけれども、窓の向こうは真っ暗で何も見えない。この屋敷は周囲を鬱蒼とした深い森に囲まれているそうで、今宵は月明かりもないため闇一色だ。噂じゃ、凶暴な野獣だとか珍しいモンスターがうようよいるって聞いていたのに。

 ここにくるまでにも数時間かけて通り抜けたけど、結局面白そうなものには全く遭遇しなかったわ。至って普通の森だったわよね。


 私の悪名も含めて、人の噂なんて根拠も何もあったものじゃない。又聞きの話はどれも当てにならないということは、よくよくよーくわかった。

 もしかしたらこのお屋敷の主でいらっしゃるモーリス領辺境伯も、私と同じで謂れなき風評被害を受けているだけなのかもしれない。


 そう思うと、幾分気持ちが和らいだ。ほっと肩の力を緩めて、実はずっと緊張し続けていたことに今更気付く。


 私が現在いるのは、フォディーナ伯爵邸のある首都ケントルから遠く離れた、このシニストラ国の最北端に位置するモーリス領。

 この地を治め、このお屋敷の主でいらっしゃるのがモーリス領辺境伯、モナルク・モーリス様だ。


 そのモナルク・モーリス様にお会いするため、私はここへやって来た。北部の防衛と管理に素晴らしい手腕を誇り、王家から一目置かれる存在ではあるものの、『極度の人嫌い』ゆえに社交の場には一切顔を出さず、また彼の姿を見た数少ない者は『化物のように恐ろしい』と称する、いろいろと不穏な評判の絶えない北部の辺境伯。


 彼の婚約者候補に推薦していただけたのは、この上なく寛大な措置だったんだろう。婚約破棄されただけならまだしも、悪行三昧のおまけ付きなんだから。


 本来ならば、王太子殿下を誑かした罪で軽くても国外追放されるところだった。けれども私に陥れられかかったという公爵令嬢が、お優しいことに恩赦を申し出てくださったそうで……辺境伯に話をつけて、父親である公爵閣下に懇願して推薦状を手配してくださったのも彼女だと聞いている。

 ありがたい話よね。これだけ悪名を轟かせたら、貰い手がないどころかお家存続の危機だもの。ええ、ええ、涙を流して喜ぶべきなんでしょうね。


 とはいえ、それは私が本当に悪女だったなら、だ。



『あなたでしたら、相手が本物の化物だろうとうまくやれるでしょう。お顔だけは麗しいのですもの。一時とはいえ、王太子殿下のお心をほんの少し揺らがせたくらいにはね。そのお美しくて分厚い面の皮で、精々頑張ってくださいませ。さん』



 王太子殿下の側にこれ見よがしに寄り添っていた、公爵令嬢のしたり顔と声が蘇る。ついでに、苛立ちも蘇った。


 面の皮が厚いのは、そっちでしょうが! ないことないことでっち上げて、私を社交界から強制排除した張本人のくせに!


 んああ、ダメだ。少し落ち着いたのにまたイライラしてきた。それもこれも、えらく長らく待たされているせいよ。

 なぁにぃが、『少々お待ちください』よ。もう半刻は過ぎてるんですけれど? こういう時の『少し』はいつも『少し』じゃないのよね! だったら最初から『とんでもなくものすごく驚くほど長い時間お待ちください、三日はかかるかもしれません』って言ってよ! そしたらこっちだって『そうかー、じゃあルンタン踊り狂ったりゴロタン転がり散らかしたりしてのんびり待とうかなー』って前向きに対処できるのに!


 苛立つあまり、鼻息が荒くなっていたようだ。ガラスが白く曇る。慌ててハンカチで拭くと、自分の顔が映った。


 ゆるくウェーブしたプラチナブロンドの長い髪に、顔面積に対してやたら大きな紫の瞳。鼻と口が小さくて顎が細いせいで、目の存在感がやたらと強い。


 何故か王太子殿下がとてもお気に入りだった顔。他にもいろんな人達に美しい美しいと持て囃され、おかげで『顔だけ令嬢』なんて陰で呼ばれる原因となった顔。目が二つ、鼻と口が一つ、自分にとっては皆と大差なく『人間の顔ですね』という感想しか出ない顔。その顔が、こちらを射殺すような目で睨んでいる。


 うっわぁ、私ったら今こんなおっそろしい表情してたの? いけないいけない、辺境伯がいついらっしゃるかわからないのよ。この目付きで出迎えたら、刺客と勘違いされかねないわ。


 顔面をマッサージしようと思ったけれど、念入りに分厚く化粧をされているから無闇に動かしたり触ったりはできない。こんな時は……そうだ、ストレッチよ!


 今日は朝から晩までずっと馬車に閉じ込められた挙句、この部屋に一時間近く放置されていた。おかげで、体中が凝り固まっている。こんな状態じゃ、所作もぎこちなくなってしまうかもしれない。身体をほぐせば、心も表情筋も和らぐはず。良い笑顔は、全身から生み出すもの。どうせ『顔だけが取り柄』らしいし、せめて第一印象くらいは良くしなくてはね。


 よし、そうと決めたら今の内にやってしまおう。足腰背中、一気に効くストレッチならすぐに終わるわ!


 思うが早いか私はドレスの裾を翻し、勢い良く背面に仰け反った。



「お待たせしました、フォディーナ様……っひい!?」

「むぎょっ!?」



 両掌がビタッと床についたと同時に、扉が開かれる。逆さまになった視界の中で、まず最初にひっくり返ったのはこの部屋に私を案内して待機するよう言い渡した人物。

 モーリス家の執事を担っていると自己紹介したものの、名乗らなかったので名前は知らない。おまけに全身をフード付きのローブですっぽり覆っていたものだから、体格と声音から男ということしかわからなかった。

 けれど今フードが半脱げになったおかげで、黒髪で瞳は金色、そして想像していた以上に若いようだ。


 いや、彼のことはどうでもいい。


 散々待たせて、どうしてよりにもよって今いらっしゃいますの? いくら何でもタイミング悪すぎませんこと? なんて非難がましい取り繕いの言葉も飲み込もう。


 それよりも――――後に発せられた、奇声の主だ。


 ええと……ブリッジしてるせいで頭に血が上っちゃったのかな?

 ものっすごく大きなピンクの毛玉が、扉の側でモフモフふるふる、略してモフルフルしてるように見えるんですけれど?



「ご、ごめんなさ……これは、その……あっ? あっあっあっ?」



 詫びつつ言い訳しつつ起きようとするも、起き上がれない。焦りで奇声しか出てこない。


 ど、どうしよう。まずいわ!

 いつもならさくっと跳ね起きられるのに、今日は普段にも増して高いヒールの靴を履いていたんだった! おかげで、ふくらはぎに力が入らない! これは由々しき事態!



「ほっ! はっ! ふんっ! ふんっふんっふんっ! おうっのうっ……そうだ、シレンティ! シレンティ、助けて!」



 焦るあまり、奇声を連打しながらカニみたいにザカザカ左右に横歩きしたところで、私はこの部屋にもう一人の人物がいることを思い出した。

 フォディーナ家から付き添ってきた、侍女のシレンティだ。家でも関わったことは一度もなく、口を利くどころか声すら聞いたことがないから、うっかり忘れていた。


 が、名前を呼んで助けを求めたにもかかわらず、シレンティはこちらに目も向けてくれなかった。この部屋に通された時と変わらず、出入り口の側で置物のように突っ立っている。


 ちょっとーー! 私を嫌うのは仕方ないけど、今くらいは助けてくれてもいいじゃない! まさか本当に置物になったとでもいうのーー!?


 叫びかけて、気付く。置物になったわけではない証に、ずっと無表情だった彼女の顔に僅かながら変化があった。首をやや動かし、目を軽く見開いている。その視線はやはり、扉の方向に向けられていて――。


 ということは、私の目がおかしいわけではないのね……?

 そちらに、見たこともない不思議なモノがいらっしゃいますよね……!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る