Phase 32 クラプターの変質。そして――
「きゅ……らぎ……さ、ん……ぁ、うぁ……」
大の字に倒れた男の身体は鎖骨のあたりから袈裟切りに大きな裂け目ができている。強靭なはずのクラプターの身体は一部がゾンビ化したように形を保てなくなっていた。
「死に……たくない……死ぬ、のは――」
死への恐怖をかろうじて言葉にするだけの何かになり果てている。
「これ、どういうことなんでしょう?」
朝日も分からないと首を横に振った。
何度もクラプターを倒してきたが、このような事態は玲も朝日も初めてだった。あれほど漏れ出ていた黒い靄も今はほとんど見えない。
(誰にも被害は出なかったし、クラプターや
通信機能が回復したマジック・デバイスで、
しかし、クラプターのことを世間に隠し続けられるのか、それが正しいことなのか。疑問が玲の頭の片隅に残った。
「こいつの目的を聞き出したかったけど、無理そうね」
「何度か呟いてるきゅらぎって、
「そうすると、爆破予告の一件も
朝日の表情は厳しい。件の人物こそ、現在掃討作戦に協力しているクラプターたちのリーダーだ。このクラプターが穏健派だったかは定かではない。
「……まあ、可能性は」
「朝日先輩は疑ってるんですね」
「
「協力関係ですからね……それに」
玲は倒れているクラプターを見つめる。身体のあちらこちらが腐るように形を崩していた。死んでしまったクラプターも見たことはあるが、それとも明らかに異なる状態だ。
「さっき連絡がついたから、回収するための
事態の急変に備えて、玲も朝日もミネルヴァスーツを装備したままだが、先ほどまでの緊迫感はない。
「一安心ですね。にしても朝日先輩のあの一撃、カッコよかったですよ」
威力もさることながら、黒い靄を掃う鮮やかな一刀だった。
「ありがとう。あれだけうまくいったのはあなたのおかげ。あの氷でわずかでも動きが止まったから」
「運がよかったですよね」
「ああなったタイミングは運だけど、訓練の成果には違いないでしょ」
「大変でしたけど、頑張ってきてよかったです」
褒められて、努力が結果に結びつく楽しさを玲は噛みしめる。
「色々と協力してくれて、助かったわ。でもダメね」
玲は少し首をかしげる。
「きっと先輩たちがいたら、四人ならこんなに苦戦しなかったはずでしょ?」
「ああ、そういう」
玲も合点がいった。
「通信障害の時もいったんトンネルの外に誰かが出れば、すぐ解決したかもですしね」
「鍋島先輩がいたら、もっと戦いやすいところに誘導できたかもしれない。あと、大町先輩が前衛にいてくれると、戦いやすさが違うわ……」
やはり四人のチームがいいと玲たちは再認識する。
「大町さん戻ってきてくれるといいんですけどね」
「本当に困った先輩よね、あれで妻帯者なんだから意味わかんない」
他愛のない会話の中、二人は自然と笑みをこぼしていた。
目下進行中のクラプター掃討作戦に直接は関われなくとも、街の平穏を守れたことに玲と朝日は充足感を感じていた。
翌日は久しぶりの雨で、湿度がいつもより存在感を増していた。
学生寮の談話室の窓には時おり大粒の雨が伝っている。
「神社でクラプターがいるの放置して、学校に走ったほうがよかったと思いますか……? 規則を優先して」
玲の前にはソファに座り、仏頂面でアイスを咥えている朝日がいた。
シャリとかじる音が微かに聞こえてくる。
「私たちが……
大町班活動停止中の禁を破り、無許可でクラプターと交戦した玲と朝日は、無期限停学――アルカディア校から提供されていたマジック・デバイスを没収されてしまったのだ。
戦闘に入る直前連絡しようとしたが、通信障害で報告できなかったと弁解したが、発見時にすぐに報告すべしと正論で見事に封殺されてしまった。
これで自主パトロール活動も完全にできなくなった。
「夏休みが終わる頃には停学処分も解除されるだろうって宮湖先生が言ってましたけど」
「チームのことは秘密だし、そうなるでしょうね。巻き込んで悪かったわね……玲」
「気にしないで……え、今名前……急にどうしたんですか!?」
玲は名前で呼ばれたことに驚き、大きな声を出していた。
「声大きい。……いつまでもあなたとか、日高って呼ぶのも、ちょっと他人行儀だし……年下だしいいかなって」
朝日の頬がほんのり赤くなっている。
玲もドキドキして少し体が熱い。こんな風に呼ばれ方が変わるというのは初めての経験だった。
「嫌なら……やめるけど?」
「えっと、玲で……お願いします」
玲も朝日もすぐに次の話題が思い浮かばず、二人だけの談話室で雨音だけが聞こえてくる。
そんな空気感をかき消すように、玲のマジック・デバイスに通信が入った。玲が触れると、雄一郎と直樹のホログラムが立ち上がる。
「よぉ、停学初日はどんな気分よ?」
雄一郎の第一声に朝日が近づいてくる。
「はぁ!? 元はと言えばアンタが勝手に辞めたせいじゃない!」
ご立腹である。
「悪い悪い、これからは軍規違反者同士仲良くやろうぜ、復帰したからよ」
雄一郎はさらっと在校生チームに復帰したことを告げた。
「な!? 一番納得いかないんだけど!」
朝日はホログラムに映った雄一郎に掴みかかる勢いだったが、
「まあ鬼丸が怒りたい気持ちも分かるが、作戦状況を知りたくないか?」
直樹の一言に朝日は踏みとどまり、お願いしますと先を促した。
穏健派から教えられた危険なクラプターはほぼ一掃された。だが、その代償は小さくなかったという。一般市民に被害者はないものの、連日の戦闘で
「それだけの人たちが頑張った結果ですし、クラプターが起こす事件が減って共存の道が模索できたらいいですね」
「……そうね」
朝日はこの作戦に何かしらかの違和感を覚えているのだろう。声が少し暗い。
「おう! 共存の第一歩として、中度クラプターになっちまってる石動を治療してくれるようにこれから上にかけ合ってくるぜ」
反対に、雄一郎の声は全体的にポジティブな雰囲気だ。
「石動たちのクラプターグループは少数でメタトロンとは関わりがほとんどないみたいで、今回の掃討対象じゃなかったんだと」
かつての仲間を助けられる可能性が出てくるのだ。当たり前の反応だと玲は思った。
「こいつ一人で行かせてもまとまるものもまとまらないからな。私が提案書を作成しておいた。クラプターのサンプルが増えるんだから、学園側にも十分メリットがあるはずだ」
「つーわけで、昨日ダメだったから、今から行ってくるわ。お前たちは夏休みを満喫しろよ」
突然の通話は終わる時も同様だった。
「もう、何なのよ……」
「でも、また四人で活動できそうでよかったですね」
「絶対余計な面倒事も持ってくると思うわ」
言葉とは裏腹に朝日の口角が少しだけ上がっていた。
――玲たちが談話室で時間を過ごしている頃。
強まる雨脚が、学園には似つかわしくない者たちの足跡をかき消していた。
その中の一人が小さくだが、明瞭な声を発した。
「これより国立軍附属魔法化学士アカデミー・アルカディア本校に侵入する。各自、課されたミッションをこなせ」
《終了》
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