Phase 16 朝日の存在理由
寝付けず、玲は使わせてもらっている東京校の寮の一室を出た。
玲は任務を明日に控え、すでに疲労感を覚えていた。同室の雄一郎と直樹は熟睡しているが、前回に続いて実戦投入される精神的プレッシャーは大きい。
気分転換に寮内を歩いていた玲が何気なく広いベランダに出る。そこには朝日がいた。彼女の長い黒髪が冷たい夜風にふわりと揺れる。
「明日は任務よ。早く寝たほうがいいわ」
「先輩も同じですよ……」
無言の朝日は玲から視線を外し、夜空を見上げる。
東京に来たばかりの時は少し浮かれた雰囲気もあったが、任務を言い渡されてからずっと彼女は気を張っている。少なくとも玲にはそう見えた。朝日は今どんなことを考えているんだろうか。
だから玲は聞いてみることにした。
「朝日先輩は……どうして戦うんですか?」
強力なクラプターを相手にすれば身の危険を感じることは多い。たとえミネルヴァスーツがあってもだ。同級生が持つ魔法化学士への憧れとは違い、別の何かがある気がした。
朝日は玲の方に向き直ると、靡いた髪をかき上げる。
「私は何でもやる。それが龍造寺総司令官のためなら」
冗談とは思えないほどの真剣さを帯びていた。玲は受け止めきれず、聞き返すことしかできなかった。
「何でもするって……死ねって言われたら死ぬんですか」
「死ぬわ」
迷いなく答え、朝日はこう続けた。
「私が生きているのは、総司令官のおかげだから」
そこには覚悟にも似た強い意志があった。
彼女の過去に何があったのか、玲には分からない。しかし朝日が頑張る理由が龍造寺への恩返しなのだとしたら、今回の任務も失敗したくないはずだ。
「…………」
朝日が張りつめていた理由を知った玲は、任務を成功させたいという気持ちが湧き上がってきた。決して同じものではないかもしれないが、誰かに認められたいという欲求は玲にもある。
朝日が時おり雄一郎と直樹の素行や言動に過敏に反応するのは、失敗できないと彼女自身が強く思っているせいなのかもしれない。しかし、ミスしても大丈夫などと気休めを言っても意味がない。
(高三の二人は自由過ぎるんだよなぁ。たぶん……というか絶対朝日先輩の中にある理想の魔法化学士チーム像と死ぬほど乖離がある……)
腕組みをして、玲は小さく唸る。
「そっちが聞いたくせに……急に黙らないで」
朝日が一見怒ったような、気恥ずかしそうな様子でそっぽを向きながら言う。
「どうしたらいいか考えてて……」
言葉足らずの玲に朝日は怪訝な表情を浮かべる。
まだ完全にはまとまっていないが、玲は踏み込みすぎないように言葉を選びつつ、提案する。
「朝日先輩には大きな恩があって……
今できるのは気休めで誤魔化すのではなく、無理だとしても理想の形に近づくように働きかけることくらいだ。
朝日は驚き、一瞬ハッとすると何かを考えるように目を閉じた。
玲の勝手な見立てだが、雄一郎も直樹も事情を話せば嫌とは言わないはずだ。
「そうね」
そこで朝日はゆっくり力を抜くように息を吐いた。
「何も言ってないんだもの。駄々をこねてる子供と一緒よね……あなたにも心配かけたわね。明日二人にも話してみる」
「いいと思います!」
一歩二歩と朝日が玲に近づいてくる。ベランダの淡いライトが彼女を照らした。
「……今日はありがと」
朝日が小さく微笑む。
それは玲が初めて見た柔らかな朝日の笑顔だった。
同時刻。アルカディア本校のとある一室に三つの人影があった。
「それで……日高玲はどうだ?」
龍造寺の問いかけに宮湖が口を開く。
「学園生活には馴染みつつありますね。魔法化学の勉強も編入当初に比べれば積極的ですし」
「朝日や大町雄一郎らと関わらせて正解だったな」
龍造寺は鷹揚に頷いた。
「やはりあの瞳はすごい。粒子あるいは粒子の反応を視覚情報として捉えている!」
晴気は楽しそうに報告する。
「できることなら、どうなっているのか解剖してみたいと思ってしまうほどの特異性です、アレは!」
「代えが利かないのだ、解剖は諦めろ。覚醒を促していくしかあるまい」
「お任せください、理事長。既に色々と考えていますから」
「はあ……あまり構い過ぎてウザがられないようにね?」
宮湖の苦言を解さず、晴気は笑みを浮かべる。
「心配はいらないよ、一人の人間として充分に信頼されていると自負してるからね」
「では、本日は以上とする」
話を終わらせる低い声が静かに響いた。
「ちょっといい?」
NIPPON未来技術研究所に向かう自動車の中で、朝日は切り出す。
運転席には雄一郎。助手席に直樹。後部座席に朝日と玲が座っている。
「こんなこといきなり話されても困ると思うんだけど……」
クラプターが引き起こした事件による両親の死。
その絶望の中から救い出してくれた龍造寺。
深刻にならぬように端的に朝日は語った。
「私は総司令には返し切れないくらいの恩がある。だから任務はしっかりこなして役に立ちたいの」
龍造寺は多くを語らない。魔法化学士として活躍することが恩返しになるのか。それでも朝日は自分のできることをするしかない。
「いいぜ。俺も別に無茶苦茶したいわけじゃねえしな」
「君のクソ真面目さはそういうことか。万が一明日以降作戦が継続したら東京校の生徒に謝罪し協力を取り付けるよ」
「いやいや、作戦関係なく謝罪はしたほうがいいですよ!」
玲が直樹にツッコミを入れた。朝日も静かに頷く。
「ふむ、一理あるね。ただ今は任務成功のために作戦案について聞いてもらえるか?」
NIPPON未来技術研究所の出入り口が確認できる場所に玲たちは身を隠した。目立たないように四人はミネルヴァスーツを着用していない。
「玲、そこから見えるか?」
「何とか……」
玲はちょこんと背伸びをする。
「黒い霧が見えたらすぐ教えてほしい。私と雄一郎でちょっとお時間をもらってくるから」
直樹の言うところの、お時間をもらってくる――とは分かりやすく言うと拉致って尋問だ。
正面突入はリスクが高く、未来技研の中にいるクラプターから直接情報を得るのが最善だと考える直樹の案に乗ったのだ。相手のクラプターの数も不正確なままでは、情報収集が優先される。
「仕方ないことね……」
朝日がどうにか割り切ったような声音でつぶやく。
「作戦中クラプターに対して人道的配慮は一切不要だからな。一般人だとちょい面倒だしよ。完全に玲頼りだぜ」
雄一郎は玲の背中を軽くポンと叩く。
未来技研から出てきた研究員を一人一人玲が確認する単調な作業だが、大事な役目だ。
「間違えないように頑張ります……あれ?」
そんなやり取りをしていると、研究所から小学生くらいの女の子が出てきた。
(平日の昼間にどうして? しかもこんな研究所から?)
けれど、玲の頭に残った小さな疑問は、次々と出入りする研究員を視認するのに追われ消えていった。
その後、わずかに黒い霧を漏らしていた肥満気味の男性を発見すると、雄一郎たちは電光石火の如く任務を遂行したのだった。気を失ったクラプターは《
「やっていることがまるっきり犯罪者だ……」
正しさは多面的で複雑さを持つという事実が玲を突き刺す。
「必要悪って奴だね。クラプターは人間じゃないしな」
「……それでも誰かに見られてたら通報されるわ。移動しましょう」
小太りの男性の誘拐が、大町班四人の初の共同作業になった。
《第4話 終了》
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