Phase 2 黒髪の刀剣少女
狙われてる?
誰に? なんで? 何のために?
玲は数々の疑問と一緒に唾を飲み込む。頭が追い付かない。
青年は申し訳なさそうに眉毛を下げる。
「込み入っていて、ここでは話せないんだ。だから私と一緒に来てほしい」
玲は必死に思考を巡らせる。
土地勘のない場所で、マジック・デバイスも手元にはない。残っているとしたら後ろのバンの中だ。
「ま、待ってくださ――」
「今は急がなければ危険なんだ! 一緒に来てくれ!」
青年の大声に玲はビクッと身体を震わせた。
「連中が諦めず、もっと強硬な手段を取る危険性だってある。私を信じてくれないか! 君のためなんだ!」
青年は玲に真剣に語りかけてくる。
有無を言わせぬ迫力が恐怖を一層強める。
(ヤバいヤバい……絶対ヤバいって!?)
連れていかれるのは絶対ダメだと玲の本能が警告を発する。
玲に手を伸ばす男から黒い霧がブワっと噴き出てくる。
「……っ!」
それが決定打。
玲は咄嗟にその手を払いのける。男に纏わりつく黒い霧は渦巻きながら、角を持つ異形の姿をかたどっていく。玲は自分の心拍数が上がるのを全身で感じていた。
男は払われた手を見て、一瞬だけ目を見開くと優しい笑みを向けてくる。
「おや?」
玲は走った。
走りながら次の行動について考える。生身で自動車を受け止める人間から逃げるにはどうしたらいいのか。
答えは何一つ出ない。それでも、玲は走るしかなかった。思い切り地面を蹴った。腕を振り、腿を上げる。少しでも速く少しでも遠くに!
だが、男の姿は眼前にあった。スーツには少しの乱れもないままに。
瞬間移動と言われれば信じるほどの速度だ。
「ひどいじゃないか逃げるなんて」
立ち止まり、肩で息をしながら後ずさる玲。しかし、玲は足がもつれて尻もちをついてしまう。
「どうやら完全に嫌われたようだ。俺を信じてくれた方が楽だったのに、これじゃ芝居を打った意味がなかったな」
青年はため息をつき、玲を見つめる。玲は黒い霧に取り込まれそうになる感覚に襲われる。もう一度動くことはできなかった。
(……もうダメだ!)
男が笑う。
黒い霧が玲に迫る。
「クラプターおよび保護対象を発見。ただちに処理を行う」
凛々しく若い女性の声音だった。そう告げるや否や、その声は勇ましいものに変わる。
「――はっ!」
現れた少女はスーツ姿の青年に向かって刀を振り下ろす。
ガシャン――ガラスの割れるような音が響く。
刀を受け止めたのは、男を守るように突如出現した氷の膜だ。周囲には微かに黒い霧が立ち込めていたが、割れた氷の膜はすぐに崩れ落ちた。
「不意打ちすべきだったわね……」
少女は不満げに声をこぼした。男は仕切り直しとばかりに妨害者である少女からやや距離を取り、観察するように鋭い視線を向けている。
いきなり現れた刀を持った制服少女、恐らく男が出したのだろう氷の膜――どちらも現実感が希薄で、玲は呆然としたまま眺めていた。
少女は庇うように玲の前に立ち、振り返る。
「よかった。無事みたいね。早く立って」
「は、はい……!」
刀を構え、彼女は男と対峙する。
黒の長髪をポニーテイルにまとめた少女に促され、玲はゆっくりと立ち上がる。玲の目を引いたのは彼女が着ていた制服――魔法化学士アカデミーのものだ。彼女の歳の頃は玲よりも二、三歳年上。身長は同じ一六〇センチ程度もしくは彼女の方が少し高いかもしれない。一瞬見えた彼女の横顔――キリっとした目が、特徴的で強い意志を感じさせた。
「邪魔をしないでくれないか?」
「嫌よ。自動車をあんな風に破壊できるクラプターはすでに中度に達している。放置できるわけがない」
クラプター。玲には聞き慣れない言葉だった。
けれど、青年は不愉快そうに目を細めた。空気が張り詰める。
「……仕方ない。お前からだ」
男は高速の蹴りを繰り出す。
「……!」
回し蹴りだ。髪を揺らしながら少女はギリギリのところで躱す。
「ふっ!」
すぐさま彼女の刀も斬撃を走らせた。
「……っ」
剣先を突きつけられ、男の打撃が止まる。
「あなたの目的は何? 彼をどうするつもり?」
(すごい……これが魔法化学士の力……!)
とんでもない怪力の男を押しとどめている。黒髪少女は一歩も引いていない。玲は彼女から目が離せなくなっていた。
「お前が知る必要は――ないッ!」
男が跳躍し、少女の腕を掴もうと手を伸ばす。身軽な彼女の動きを止めることを第一に考えたのだろう。化け物じみた力で腕を掴まれたら骨が折れるのは間違いない。
「危ない!」
玲は咄嗟に叫んでいた。
少女が迫る男へと突進する。
「!」
驚きは玲だけではなく、男が目を見開いているのが分かる。少女は男に生じた一瞬の迷いを見逃さない。彼女は直前で伸びた腕の軌道の外側へと避けたのだ。
流れるように身体を翻す少女――次の刹那、男の指は切り落とされていた。
「あああああっ! クソがっ……お前何なんだよ!」
黒霧が大きく噴き上がる。男の生身の姿を覆い隠すほどに。クラプターと呼ばれた男の頭には相手があえて前に出るという考えがなかったのかもしれない。
優勢に思える少女だが、その表情から伝わってくるのは真剣さだけだ。
「あなたの思い通りにはさせないわ」
少女は戦いながら玲の近くから徐々に離れていく。憤怒に染まった男はもはや刀を振るう少女しか見ていないようだった。
今は壊れた大型バンの近くで交戦が続いている。遠目では速すぎる両者の動きはほとんど把握できない。
しかし、舞うように戦う少女の背中を玲は必死に目で追う。
(あのお姉さん、僕をずっと気にかけて戦ってくれてる?)
刀を振るう彼女は、あの男と玲の間に位置取ることが多いことに気づく。さらに言うと、時々こちらを見ている気がした。
短時間で誘拐と誘拐未遂を経験すれば、三度目を疑ってしまう気持ちは玲にもある。
けれど、彼女から黒い霧は一切出ていない。むしろ彼女の刀が黒い霧を霧散させているように玲の瞳には映っていた。
その戦う様は清廉な雰囲気に満ちていて、玲は彼女を信じたくなっていた。
しかし、次の瞬間――少女の身体は宙を舞った。
男が蹴り上げた一撃によって。
<イラスト>
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