第4話 氏川成観香《うじかわなみか》の説明書
【名前】
部室での練習の合間。クラリネット担当の一年生、氏川さんが腰まで伸ばしたポニーテールをなびかせやってきた。いつもカバンに文庫本を忍ばせているこの子は、ほんわか夢見がちな文学少女といった印象だ。
「春岩くんの下の名前って、なんだか女の人みたい。素敵……」
「素敵かどうかは分からないけど、よく言われるね」
『美』も『智』も女性の名前でよく見る漢字だ。
「自分ではもっと男らしい名前がよかったんだけど……」
「そんなことない……! 繊細な春岩くんに良く似合ってる」
「……!」
妙に強く否定した氏川さんが突然僕の手を取った。これ、きっと無意識にやってるんだよね? なのに僕だけめちゃくちゃドキドキしてしまっている。恥ずかしい……。早まっているだろう脈拍に気づかれたらどうしよう……。
「ほら、女の人みたいに細い指……。大きさだってわたしと変わらないし……、可愛い」
『可愛い』っていうのは誉め言葉なんだろうか? それとも『貴男のことは異性として見ていませんよ』というサインなのか。小学生の頃から僕はよく言われていたんだけど、未だに真意が分からない。
【話題】
ある日曜日。市の公共スペースで演奏する機会があった。
その日たまたま上下共に黒い服を着て、楽屋である会議室に入った僕。
「お疲れ様です」
扉を開けてすぐの場所に氏川さんを見つけた。今日も今日とて、演奏開始までひたすら文庫本を読みふける彼女。曲の確認などは大丈夫なのだろうか。
と、僕に気づいた彼女が本を置いて尋ねてきた。
「ねえ、春岩くんって黒い服が好きなの?」
「うん、そうだね」
なんだか残念そうな表情を浮かべる氏川さん。他に好きな色でもあるのかな?
「わたしは、とっつきにくいだとか、怖いイメージがあると思うんだ……」
なにがだろう。僕が? 黒い服が?
「だからね、入梨先生はもっとフレンドリーになったほうがいいと思うの」
何のこと? いつの間に顧問の話になってるの?
「ちょっと待って、話の流れが……」
「そうだ、来月の入梨先生の誕生日になにかプレゼントしたらどうかしら? 春岩くんは何がいいと思う?」
聞いてはいないようだ……。
【キャラクター】
部活の休憩時間。
「男性の意見も聞きたいな……、そうだ、春岩くん」
なんの話だろう。氏川さんが唐突に話を振ってきた。彼女の隣には早橋さんがいて、机には物語の本だろうか、カバーの掛けられた文庫本が横たわっている。
「このお話の主人公の女の子がね、同時に二人の男の子から告白されるんだ。それで春岩くんだったらどっちを選ぶのかなって思って」
早橋さんはページをぺらぺらとめくりながら僕に尋ねる。
本を受け取った僕は、キャラクターの特徴だけでも掴もうと適当なページを開いて拾い読みする。
「ねえ、どっちの男の子が好きかな?」
氏川さんが僕に詰め寄る。いや、まだキャラの性格もあんまり把握できていないんだけど。あと、距離が近いんですが……。
リンスの香りなのか何なのか、甘い匂いで僕の頭の中がいっぱいになり、ストーリーもキャラクターもよく分からなくなってしまった。
「どっちも、素敵なんじゃないかな」
気に入って読んでいる本だ。けなしてはいけない。そう思った僕は微笑んでそう言った。
「そうじゃなくって!」
突然語気を強めた氏川さんに僕は驚き、椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「真剣に考えてくれているの!?」
いや、僕もしっかり考えたいのだけれど、貴女がすぐそばにいると集中できなくてですね……。それから男の僕に『どっちの男性キャラが好きか』訊かれても……ね。
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