第102話 彼と彼と彼女達の関係
レイは咄嗟のことに自分の顔を触った。
変身魔法は解けていない。
魔王にまで上り詰めた魔人の変身魔法は伊達じゃない。
自分でも分からないくらい、完璧な変身だ。
アイザとゼノスはそもそも魔族だ。
そして二人は、新魔王と呼んだだけ。
彼と比べると魔力が桁違いだし、ドラグノフと歌姫たちが並んでいたから、新しい魔王だと、直感的に分かったのかもしれない。
アイザに至っては、ずっと心配していた姉を見つけている。
何かが違うと思える材料は揃っている。
でも、ソフィアは違っていた。
——彼女はレイだと見破ったのだ。
「な、何の話……かな?」
誤魔化そうと試みると、少女は半眼になった。
そして。
「戦っている時、魔王様はこれを落としましたよ。魔王様にこんな趣味があるなんて。……これ、着けないんですか?」
「え?それ、ソフィアのマスク?」
「はい!言質取りました!」
「え?マジ?」
「マジも何もありません。そのマスクは私の手作りです!……でも、拾っただけって可能性もありますよね。貴方が悪い魔王様じゃないというのは分かるのですけど……。そうだ!それじゃあ——」
(中略)
「私めは汚い豚です。どうか、この卑しい豚めを踏みつけてください……」
(中略)
「ありがとうございます、ソフィア女王様……。今日はこの卑しい豚の女々しい鳴き声に美しい罵声を浴びせて頂き有難うございました。」
「やっぱり!レイです!間違いありません!」
「って、そこで分かんのかよ! ……って、やばい。記憶がない。」
「うふふ。嘘です。戦いになった時に大体分かってました。それにさっき……」
そこで少女は言い淀んだ。
そして。
「あの時のように、ふわって……してくれました。……だがら、レイにぎばっでるじゃだいでずがぁぁぁ」」
ソフィアの目から大粒の涙が溢れ始めた。
そして彼女は彼の胸の中に泣きながら顔を埋めた。
魔王服の胸部分が彼女の涙で濡れていく。
魔人レイだったら上半身裸だから、涙を吸ってあげられない。
だから彼はこの時、魔王になって良かったと思った。
見えない壁もないから、跳ね返さずに彼女の涙を感じられる。
「……ふぇぇぇん、やっと……、やっと逢えたようぅ……。びぇぇぇぇぇん、レイだぁー。本物のレイだーー。えぇぇぇぇぇーーーん。ずっと、ずっとこうしたかったのに……。さびじがっだよよぉぉぉぉぉぉぉ……」
どうしてこの瞬間、攻撃が来ないのか、そんなことを考えない。
攻撃が来たとて、殺されたとて、彼女と一緒ならばと思ってしまう。
ソフィアは今まで泣き顔を見せなかった。
きっと過去の自分も、こんなソフィアは見たことが無いだろう。
それくらい、とっても愛らしい泣き顔だった。
「もう……、ひどいです。レイは私たちが殺したって思ったので、さっき車の中で散々泣き腫らしたんですよー。何もできなかった自分が許せなくて、車の中で暴れて、ソファに何度も当たってしまったんです。この頭の痛みを返してください。もう一度目の腫れを取らなければなりませんし……。あ、でも。クッションは大丈夫です。最後にみんなで頑張って直しましたから……」
ここで漸く。
彼以外が気付いていた事実が明かされる。
「え……?」
「え?じゃないですよ。あの距離なら見えていたでしょう?それくらい察してください。」
「いや、察せないだろう!車が、サスペンションが……、ギシギシ言って……。え?えええええええー⁉あれはアレじゃないのぉぉぉぉぉ⁉」
血の涙を流しすぎて、目どころか頭まで悪くなってしまったのだろう。
あんな馬鹿なところでギッタンバッコンする訳がない。
「何を考えているんですか?……ふふーん、またえっちなことを考えていたんですね?そんなわけないじゃないですか。あの場所なら戦闘にならないからって、アルフレドが気を利かせただけです。それに彼が乗らないと車にソファが現れないじゃないですか。泣き声を聞かれるのも恥ずかしかったので、代わりばんこで車の中で暴れてたんです‼」
レイの中で色々と頭がバグり始める。
自分が変態だからそう見えただけ……、いや、そうは思いたくない!
変態だからに決まっているのに、魔王様は認めたくない。
「紛らわしいんだよ! なんで車の中で二人きりになるんだとか、思うだろ‼」
その言葉を言ってしまった彼は「しまった」と思った。
彼女はその言葉を待っていたのだ。
てへっと舌を出して恥ずかしそうに笑った。
「それ、もしかしてヤキモチ?レイ!ヤキモチ焼いてくれたんですか?嬉しいです!今まで一度だってヤキモチ焼いてくれなかったじゃないですか‼ でも、心配しすぎです。私は最初からずーーっと貴方しか見ていませんよ? あ、そろそろキラリが攻撃してきそうですよ。レイ、また前みたいにふわぁぁぁってやってもらえませんか?」
変身魔法を使っていて良かった、とレイは思った。
たぶん、今、変身を解いてしまうと真っ赤な顔がバレてしまう。
頭に上った血が全身の毛細血管に搬送されて、自分がどれだけ愚かな考えをしていたのか、気付き始める。
あんなところでおっ始めるバカがいる筈がない。
それに戦いの中、車でおっ始める奴はアレをおっ立たせているのではない。
自分自身の死亡フラグをおっ立てているのだ。
映画でもアニメでも漫画でも小説でも、そんな奴は行為を終える前に死ぬに決まっている。
穴があったら入りたいが、今はミサイルが飛んできている。
だからレイはソフィアをお姫様だっこして、皆のいる場所に舞い降りる。
その間もソフィアはずっとレイにしがみついていた。
「私しか気づいていないかもです。だから説明が必要だと思いますよ。」
「あぁ。……そろそろどうするか、本当に決めないとな。」
そして、レイはソフィアを抱いたまま、地上に落下した。
その光景はあまりにも異様だった。
魔王に連れ去られた少女が、魔王に抱きついて降りてきたのだ。
ただ、そのままだと恥ずかしいので、彼は彼女をゆっくりと立たせた。
その行為が不服だったのか、彼女は頬を膨らませている。
でも、はっきり言って何の解決にもなっていない。
結局イベントは見つかっていない。
レイはまだ、彼女の愛情に応えることが出来ない。
「もう……、茶番は辞める。アイザも出てきていい。」
その言葉に幼女アイザは飛び上がり、新魔王様レイに抱きついた。
「魔王たま、新魔王たまはやっぱりレイなのら!」
アイザはエルザを救ったレイの手口を知っている。
死亡イベントを回避できるレイを知っている。
ただ、このまま正体を明かすわけには行かない。
その理由ははっきりとしている。変身魔法を解けない理由がある。
だから、彼女にはちゃんと謝らないといけない。
フィーネに謝らなければならない。
「フィーネ。あのさ——」
だが、彼女は。
「レイ!やっぱりレイ……なのね。これ、拾ったから。もしかしてとは思ったけど。」
その言葉を言った時、フィーネはレイの直ぐ側にいた。
そして彼女は自分の額をコツンと彼の肩に当てる。
ついでに彼女も「あるアイテム」を手に持っている。
全く。忘れ物と落とし物が多い魔王である。
マスクがあるなら、あれもあるではないか。
流石に自分の下着くらい彼女も分かる。
でも、彼女場合はソフィアのように喜ばしい再会ではなかった。
「俺。理由があって——」
「待って!私に言わせて。……生きていてくれてありがとう。私、やっと言える。やっと謝れる。やっと……、皆にあの事を話せる。」
レイは目を剥いた。
でも、彼女の顔を見て彼は直ぐに俯いた。
彼女の顔があまりにも痛々しくて、とても見ていられなかった。
「レイ、ゴメンなさい。貴方はちゃんと考えてくれていた……。それなのに私は。私ね、誰にも言えなかったの。だから、みんなも……聞いて」
皆、きょとんとしている。
ただ、一人だけ険しい顔をしているから、彼だけは気付いていたのだとレイには分かった。
「……私。私はデスモンドで、みんなを眠らせて、レイを殺そうとしました。」
青髪の少女の真っ直ぐな言葉に、レイは息を呑む。
エミリ、マリア、ソフィア、キラリの顔が険しくなる。
デスモンドには居なかったアイザとリディアでさえ、普段の表情とは別の顔になった。
そして彼は苦悶に満ちた表情を浮かべている。
「私はレイを殺そうとしたばかりか、そのせいで私はみんなを一度死なせた。いえ、私が殺したようなものだった。……それをあの時、彼が帳消しにしてくれた。レイはあの時、自分の命を投げ売って!……全部無かったことにしてくれたの。だから私に先に謝らせて欲しい。一番最初に貴方に……謝らなきゃって思ったから。生きてて、いえ、違う。悪魔になってでも生き返ってくれて本当に……ありがとう。そして、ゴメンね……、レイ」
少女はそこまで話して、涙をこぼし始めた。
レイはここで、彼女が抱えていた想いを知った。
あの時から、彼は勇者パーティとは離れて生活をしていた。
勿論、接近する機会はあったが、その時は大抵重要な任務を抱えていた。
ただ一つだけあった話せる機会も、あのピエロに邪魔をされた。
だからレイは今初めて知った。
彼女はずっと黙っていた、という事実を。
彼の目には、黙っていても問題ないことに思える。
だが、それは神の視点で見た場合だ。
彼女があのことで十字架を背負ってしまったことに、彼は気付けなかった。
「待ってくれ!それは俺の責任だ!」
そこで、彼がフィーネの前に立ちはだかった。
アルフレドはやはり気が付いていた。
彼の場合は後悔の顔を浮かべている。
「アル!貴方は関係ない!これは私が全部やったことだもん!」
彼女の目線ではそう映る。
そして彼は何も言い返せない。
言葉を思いつかない自分に嫌気がさしている顔。
アルフレドはアルフレドで、どうにかしようと思っていたに違いない。
だが、彼もフィーネと同じ事を考えていたのだ。
つまり、レイに自分とフィーネを一緒に裁いてもらおうと思っていた。
「レイ!違うんだろ?俺が悪い筈だ。だから、俺が悪いと言ってくれ‼」
魔王と勇者との戦いイベントなのに、全員が立ったままで動こうとしない。
これはこれで異常事態に違いない。
だが、そんな神視点を彼らに言うのは何か違う。
「フィーネ、アレさえも世界の意志だ。みんなも経験している筈だ。どうして自分がそんなことをしたか分からない時があった筈だ。俺だってそうだろ?急に乱暴な口調になることもある。あの時点でフィーネのソレを知っていたのは俺だけだ。——俺が、『闇堕ちフィーネ』に導いてしまった。だから、あの時のフィーネには回避不能だった。俺は色々と思い違いをしていた。それが全ての始まりだったんだ。」
「待ってくれ、レイ!俺はフィーネの気持ちを知っておきながら、何も言ってやれなかった。何もできなかった。……それにちゃんと覚えている。あの時、俺がフィーネを追い込んだ。俺は負けるのが怖くて、レイに頼りたくて……、あの時フィーネを見捨てたんだ。」
因みに、彼の言っていることは正しい。
あの場でかはさておき、アルフレドも彼女の闇落ちを防げる人間だった。
そこに気付けるまで、彼は成長していた。
だが、あの時の彼には、やはり回避は不可能だろう。
防げると言ったのは、彼が今くらい成長していたらの話だ。
二人はずっと悩み続けていた。
それなのに、破廉恥な妄想を抱いて、この戦いを雑に考えていた自分が恥ずかしい。
「あの場かは分からない。でも、イベントを回避できたのは俺とアルフレドだけ。俺も自分の命惜しさに見捨ててしまった。……いや、間違えてしまった。」
この話は結論はない。
だって、これは神の視点の話だ。
レイは自分がレイモンドだと思っていたし、アルフレドはそこに至れる程成長できていなかった。
でも、全ての原因の源流を辿れば、結局過去の自分自身に辿り着く。
だが、それも神視点。
俺が全ての責任、そう言いたいのに、それを伝える術を持っていない。
でも。
「分かる……かも。アタシが全部ぶっ壊したくなる時……、殺したくなる時……、それもそういうこと。……アレと一緒だよね。でも、後でちゃんとフィーネはみんなに謝って欲しい……かな。一発殴るだけで、殺しちゃうかもしれないけど……、って冗談!」
エミリの声。
こわいこわーいエミリがレイの腕に絡み付いて来た。
「……私にはまだよく分からない。でも、私もあの頃はちょっとおかしかったから、何も言えないかな。だから私もエミリと同じ!後で一発蹴らせてね。それにしても、すごい!まさか魔王様になっちゃうなんて!マリアぁ、怖い男。大好きだよぉー! それにぃ、なーんとなく、レイっぽいなぁって思ってたもん。」
マリアの声。
甘えん坊設定の筈なのに、この世界の彼女はしっかり者だ。
「マリアぁ、それは嘘だよー。先生の首に刃物ぶっ刺しそうになってたじゃん。アタシは闇魔法を見て、気付けてたもんねぇー。」
彼女達も勇者である。
「私も許します。レイがそう言うのですから、そうなのです。そんなことより、レイは渡しませんよ。うふふ、そこだけは譲りませんからね。」
ソフィアの声。
レイが言った、それだけで許すと彼女は言った。
全く、恐れ入る。
「うーん。僕は訳が分からなかったからなんとも。それより僕のスコープに、もしかしたら映ってたのかなぁ。僕も知っていた筈なのに。それとも魔王様には効かないタイプ?」
レイは静かに頷いた。
キラリは相変わらず。
相変わらずだから、今でも申し訳ないと思ってしまう。
「わらわは?わらわは?」
「うーん、アイザの場合はちょっと複雑だな。フィーネのアレがないと俺はここにいなかったかもだ。アイザに会えなかったどころか、エルザも」
「おー!そうなのか!フィーネ、グッジョブ!」
グッジョブかはさておき、アイザのお願いで自分は一歩前に踏み出せた。
だから、アイザには感謝している。
「でしたら、私もそうなるのですか?フィーネのお陰でレイに出会えた?」
この世界ではそれが正解なのだ。
あそこでフィーネが闇落ちしなければ、あのイベントは起きず、世界が詰んでいた。
「そうなる。結局、どう足掻いても俺は人間を辞めなければならなかった。だから、俺の方から謝らせてくれ。フィーネ、お前の好意を無駄にして悪かった。」
その言葉に彼女の顔は赤くなりながら、険しい顔という変な顔に変わった。
「アルフレドにも謝りたい。途中で投げ出して、悪いかった。」
「そんなことは……、ある……かもしれない。俺はどれだけ寂しかったか……」
アルフレド、そしてヒロインたちの表情が緩んでいく。
成長したのはアルフレドだけじゃない。
ここにいる全員が成長したのだ。
だから、こんな不可解な世界で起きた、フィーネの悲しい事件だって、皆が居れば解決できる。
皆、よくここまで成長した。
そんな顔をしている魔王様。
——だが、変身魔法の裏側のレイはずっと険しい顔をしている。
まだ何も見つかっていない。
結局、これは戦わなければならないイベントなのだ。
そうでなければ、終われない。
アズモデの真の姿も現れない。
すなわち勇者の無気力試合となり、世界が終わる。
そしてそんな中、彼女がレイに最大のヒントをもたらした。
「そういえば!レイ!有難うございます!」
その言葉に目を剥く魔王。
先ほど敢えて名前を飛ばした少女。彼女の名前はリディア。
彼女にはまだ話したりないことがあったらしい。
それが、彼の見落としていたムービー部分を補完することになる。
「サラのことも助けて頂いたんですね!本当に感謝しかありません!」
そしてその言葉で、彼は立ち尽くす。
リディアの口からサラの名が出た。
それはサラの設定を考えれば、当然の事。
だが。
「サラ……は」
リディアはサラを知っていた。
あのムービーでもリディアはサラの名前を出した。
だが、それは本来、レイの記憶には無いもの。
だってサラはレイも知らなかったネイムドキャラだ。
そこで魔王レイは気付かされる。
「……ちゃんと保護している。でも、そうか……」
そして、彼は絶望した。
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