第92話 血の涙を流して
アルフレドは女神像に触れた。
一応これは癖づけられている。
レイの言う通り重要なポイントには、必ずこの像がある。
もしかしたら二度と行かないかもしれない場所でも、念のために触っておけと彼は言った。
それにしても、とアルフレドは辺りを見回した。
日が落ちてしまったので、光の魔法と車のフロントライトで辺りを照らしている。
その光が湖の中央にある奇妙な紋様を照らす。
そして、その紋様が湖面で反射したのか、崖の一部がキラキラと輝いていた。
「なんだ?」
ぽっかりと口を開けた崖の一部、そこには奇妙な石造りの扉があった。
「ここが最初に回るべきオーブの祠か。」
「
ソフィアは祠を見つけた瞬間に神聖魔法の上位光源魔法を唱えた。
そして彼女は奇妙なものを見つけたらしい。
「うーん。何かを引き摺ったような……。もしかして、凶悪なモンスターが偶然ここに来ていた旅人を⁉」
エミリが軽い身のこなしで祠の入り口まで跳躍して、恐ろしいことを口にした。
その言葉に反応して、全員が祠の入り口に集合する。
「何これ、獣の足跡もあるけど……、とにかく急ぎましょう。誰かさんが時間を無駄にしたせいで、大変なことになったのかもしれないわね。」
フィーネが悪態をついて、祠の中に入っていった。
これはフィーネの好感度が比較的高い時に起きる現象だが、アルフレドには知る由もない。
「分かっている。とにかく急ごう。どっちにしても今の俺たちの敵じゃない。」
「俺たち?俺だけで十分と言った筈だ。」
「うわー、この男ども、調子に乗ってるわよ、エミリ。」
「そんなこと言わない、マリア。アタシ達も急ぐわよ。」
そんな感じではあるが、確かに彼らの心に余裕があるのは確かだ。
適度に情報を得ているのが尚更よい。
この奥には齧歯類系のモンスターがいることは既に知っている。
そのタイプのモンスターなら、十分過ぎるほど戦ってきた。
そしていつもの如く前衛と後衛に分かれる。
アルフレドは女の子を盾にしているようで気にしてしまうのだが、エミリを前に置くのが常識らしいので、今回も彼女が一番前を歩いている。
ゼノスに関してはまだ扱いが分からない。
彼に関してのみ、レイは情報をほとんど残していない。
本当に可哀そうなゼノス。
そして数十mほど進んだだろうか、突然巨大な地鳴り音がダンジョン内に響き渡った。
「エミリ、大丈夫か?」
「ん? 中型のネズミが居たけど、あたしには向いてないかもぉ。マリアー。」
「えー、やだよ。ネズミでしょー。きっとゼノス様がカッコ良いところを見せてくれるわよ。」
「そ、それはいいが、エミリ……さん? その巨人族の剣を収めてくれないか。ほら、俺の勇姿が後ろの姫君に見えないから……。俺は紳士的な戦いを姫にお伝えせねばならないんだ。」
その瞬間に前方で爆発音がした。
その音でゼノスは飛び上がってしまう。
「あ、今の僕。ネズミがいたから。」
「なるほど。獅子は小鼠をも全力で爆破する……、正解だぁ!」
ゼノスは自分の立ち位置を分かっていない、それは皆も理解している。
だが、理解できないのはこの洞窟も同じ。
強敵がいるという話は嘘情報なのか、そう疑ってしまうほどに静けさに包まれている。
でも、猛獣の臭いは奥から漂ってくる。
「わ、わらわが
「レイが立てる計画って絶対安全に勝てるまで、経験値を稼げだった。それはあり得るかも。悪魔アズモデの強さを見てしまったから、身構えてしまっているのかもね。それより、引き摺ったような跡がまだ続いているわ。とにかく急ぎましょう。」
彼ら彼女らは洞窟の内部を走り始めた。
本来ならば決してやってはいけないこと。
デストラップに引っ掛かれば、全てが水泡に帰す。
けれど、彼らは呆気なくダンジョンの終着地点に辿り着く。
しかも、開けた場所には分かり易く玉座が鎮座していた。
「何もない?じゃなくて、モンスターがいない?」
「待って。僕が調べる。……ん?本当にいない?外出中かな?ずーっと座っているのってやっぱりしんどいし。」
「成程、あり得るな!今のうちにオーブを探すんだ。」
そして、彼らは無事に玉座の後ろにあった宝箱を見つけた。
因みに要した時間は30分程。
「これがオーブ?……でも、ボスは帰ってこない。どういうこと? 」
宝箱を見つけたフィーネが呆気ないという異様さにたじろいでしまう。
ただ、赤色に輝くオーブは見ただけで、それが神聖なものだと分かる代物だった。
警戒しながらそれに触る勇者アルフレド。
だが、彼が手にした瞬間、周辺の様子に変化が起きた。
地面から紫色の染みが浮かび上がる。
そしてアルミラージやら大ネズミやらが紫の染みから形を成す。
「そういうこと?オーブを取ると発生するっていうことかな。アルぅ、どうする? 戦う?」
「いや、ここは時間短縮を選ぼう。」
アルフレドの中に昼間を無駄にしてしまった、という気持ちが残っていたのだろう。
だから彼は逃げるを選択した。
ただ、甲高い声でそれが取り消しになってしまう。
「あ、マリア、今、もう一つ宝箱発見しましたーぁ!これ、開けていいやつぅ?」
「待って。僕のスコープで見てみる。……うん。開けていいやつだよ。」
キラリのスコープはミミックのような敵でさえ判別ができる。
だからこそ、レイはキラリのスキルを最も恐れていた。
その様子を瞬時に嗅ぎ取って、アルフレドは全員に命令をする。
「エミリ、ゼノス。二人を守れ!残りは俺たちが……」
これからボス戦を迎えるのだ。
彼らの気合も今やマックスを迎えていた。
というより、結構前から気合が入っていたものだから、逆に鬱憤が溜まっている。
「
だから、ソフィアは容赦なく最大魔法武技を放った。
当然のように、アルフレドの声を待たずに。
彼女は早くオーブを集めて、早くレイに会いたい。
だからここは一気に片付けようとした。
ただ、敵の発生は思ったより少なく、たった一発の最大火力魔法で、あっという間に殲滅してしまった。
そして、静かになった空間にマリアの声が鳴り響いた。
「何これ、宝の地図……かな? アイザ……読める?」
古びた地図が一枚だけ。
それが宝箱の中身だった。
そして、そこには人間の文字とは思えない文様が描かれている。
だからマリアは、アイザなら読めるかもと思って、幼女に手渡した。
「わらわ?ふむふむふむ。これは本当に宝の地図かもしれないのらね。ミッドバレーの噴水の中……、そう書かれているのら。」
「とにかく、これで撤収だな。オーブはあと二つだ。今日のところは車で休もう。」
彼らは周囲を警戒しつつ祠を出て、車へと戻っていった。
そして休憩地点を見つけて、いつものように休息を取る。
車の後部座席にはベッドが9個。
それを見て、エミリはつまらなさそうな顔をして眠りについた。
▲
アイザ「ひ、人里……、わらわは……、入れない……」
薄紫の髪が揺れているのは、彼女が震えているからだ。
魔族と人間は相容れない存在。
——彼女はそう教わっている。
だから、いくら勇者の仲間といえども、人間の村落に入るのは怖い。
そんな中、そっと彼女の頭に手が置かれた。
光の勇者は彼女の髪を撫で、膝をついて幼女に笑顔を見せた。
アルフレド「君は大丈夫だよ。こんなに可愛い子、誰も怖いなんて思わないよ。」
アイザ「でも!わらわは、わらわは!」
アルフレド「大丈夫。アイザはどこからどう見ても可愛いよ。それに俺が——」
そして、彼は幼女を抱きかかえた。
彼女の柔らかい髪が頬をくすぐる。
アイザ「た、高いのらー。怖いのらー」
アルフレド「大丈夫だよ。俺が絶対に離さないから。離すものか。こんなに——」
アイザ「——♡」
アルフレド「——♡」
そして二人は——♡
▲
レイは血の涙を流し、辛酸を舐めていた。
▲
ソフィア「懐かしい場所……、でも私にとっては辛い場所でもありました……」
アルフレド「あぁ。分かっている。でも、今は俺がいる。」
ソフィア「でも、私は聖職者ですが、それと同時に穢れています……」
アルフレド「君は綺麗だ。穢れてなんていない。」
ソフィア「……本当に穢れているんです。全身痣だらけだし。……見て、みますか?」
アルフレド「……あぁ」
そしてソフィアは——
そしてアルフレドは——
ソフィア「本当に、本当にありがとう。あなたのおかげで私は……」
アルフレド「——♡」
ソフィア「——♡」
アルフレド「——♡」
そして——♡
▲
レイの目は血走り、コウモリの羽は七色に脈を打っていた。
▲
フィーネ「なんだか、嘘みたい。だって——♡」
アルフレド「俺もだ。——♡」
フィーネ「嬉しい!——♡」
アルフレド「——♡」
そして——♡
▲
臥薪嘗胆、そんな言葉もあったっけ?
▲
エミリ「ねぇ、肩車して。——♡」
アルフレド「——♡」
エミリ「ちょっとー。今、ワザと——!」
アルフレド「暖かい。癒されるよ。エミリ。」
エミリ「——♡」
そして——♡
▲
レイはそんな思いで今、西の大陸での最後の大仕事に取り掛かっていた。
「古龍ベンジャミール、あとはお前だけだ。何も言わずに俺と来い!」
「笑止。なぜ魔族がオーブを欲する。むしろ邪魔なだけの筈だ。よもやオーブを破壊する、などと申すつもりか。卑怯極まりない。」
「違う! オーブはいらない。俺は全てのネイムドモンスターの命を守る。そう決めたんだよ。」
その言葉に古龍は腹の底から笑った。
「何を言うか。ネイムドもノーネームも変わらぬ命。お主が言っているのは、ただの綺麗事だ。」
その言葉に銀髪の悪魔も笑う。
「綺麗事だぁ? 違うね。こういうのは我が儘っていうんだよぉ! 力づくでもお前を引き摺り出してやる!」
▲
マリア「勇者様!」
アルフレド「ん?どうした、マリア。」
マリア「呼んでみただけ―。」
アルフレド「じゃあ、マリア。」
マリア「なーに?——♡!」
アルフレド「——、ごめん。マリアがあまりにも——♡」
マリア「うん。いいよ。——♡」
そして——♡
▲
「いい加減にしろぉ!今なぁ、俺の嫁がなぁ、嫁たちがなぁ……。現在進行形で勇者に寝取られてんだよぉ‼時間、使わせんじゃあねぇよぉ!分かってんのかぁ? 俺の気持ちがさぁ!嫁たちがあんなことやこんなことをしている姿が、毎回毎回俺の頭に映り込んでんだよ!俺の脳に直接、あんな映像やら、こんな映像やらを送り込んでんだよぉ‼そんな俺の気持ちがお前に分かるか!……そりゃ、一理あるさ。勇者の好感度を下げたらゼノスがバッドエンドNTRを実行しちまう。だからぁぁぁぁ‼俺は身を削ってんだよぉぉぉ‼勇者の好感度は上げておく必要があんだよぉぉ‼それになぁ、まだ理由はあるんだよ!勇者のイベント絡みとなれば、あいつは絶対に動けない。……っていうかなぁ、おかしいじゃあねぇか。これってあんまりだろぉぉ?何が悲しくて!俺が!この俺自身が‼そんな計画を立てなきゃならないんだよぉぉ‼」
体長30mはあろうかという古龍の周りを、小蝿のようにレイは飛び回っている。
「何を訳のわからぬことを言っている。その醜い嫉妬ごと焼き落としてくれようぞ。」
そう言った古龍は灼熱の炎を口から放出した。
直径5mはあろうかという、真っ赤なレーザービームにも見える。
だが、レイはその攻撃に怯むことはない。
「
その瞬間、レイの体は鋼鉄をも弾き返す竜王の鱗に包まれた。
これこそが、四天王第二席の力の権限だった。
銀髪被りの力で、銀の悪魔は勢いそのままに、ベンジャミールの口の中に突撃する。
そして下顎には蹴りを、上顎には拳を突き立てる。
▲
リディア「勇者様!私達、同じ髪色よね。」
アルフレド「そうだな。なんか運命を感じるよな。」
リディア「運命……。私にはもっと辛い運命しかないと——」
だが、彼はその先を言わせなかった。
アルフレド「リディアの運命は俺と出会うことだったんだ。」
リディア「勇者様——♡」
アルフレド「リディア——♡」
そして——♡
▲
「分かるだろぉ‼ 最終イベント前は好感度イベントが連発すんだよ!特にリディアイベントは乱発しまくるんだよ‼だって、しょうがないよなぁ?ここのルートでほぼヒロインが決定するんだよぉ‼リディアの為にたっくさんのイベントを用意してんだよぉ‼一気に他のヒロインを捲るのがリディアなんだよ!このゲームの登場キャラならそれくらい知っとけ‼っていうか、古龍ってんだから、なんとなくの雰囲気で分かるだろうが‼お前の炎なんか、俺の中の大炎上で鎮火してんだよ‼さっさと——」
「ご主人!もう、ベンジャミールさん、気を失ってます!」
そして古龍はレイの嫉妬心という怒りの塊を、その身に受けて意識を失った。
ここまで来れば、彼の血で血を洗う作戦が分かるだろう。
レイは単身で城に乗り込むが、そのための準備が必要だった。
だから彼はアズモデの気を逸らすために、オスカー、ワット、その他のスラゴン、アークデーモンを各地に仕掛けて、その恋愛イベント発生場所にアルフレドを誘導していた。
勇者が戦う意志を示さないから、バッドエンドを迎える?
今までならそう思っていた。
だが、そんなことはない。
アズモデがそのことに対してヤキモキする?
一瞬だけ、そう思ったが、やはりそんなことはない。
だってこのゲームの一番美味しい部分は正に今なのだ。
ラスボス退治など、食後のコーヒーにも劣る。
このイベントがないというのは、アペタイザーもメインディッシュも無いコース料理と同じである。
このゲームの一番の推しを寄り道扱いにする筈がない。
そもそも、過去の自分がそうしただろうという、過去の自分にも嫉妬しながら考えた地獄のロードである。
「だから、お前は金輪際、俺の言うことに指図するんじゃないぞ。」
「ご主人、もう気を失ってますってwww」
「あぁ!もう!とにかく無理やり連れて帰るぞ。イーリ、チューリッヒそっち側を持て。」
「なんか、旦那。荒れてますねぇ、最近。」
「ご主人はNTR耐性が低いようですから。」
その言葉に巨大ネズミは首を傾げる。
「あの……。その娘にも手伝いを……」
だが、彼には分かっていない。
今の彼に見えているものが真に理解できていない。
彼にとって、彼女が唯一の心の拠り所である。
「あぁ? ラビは俺の中でヒロイン枠、いや嫁枠だからいいんだよ !ってか、俺が一番重い方持ってんだから、つべこべ言わず運べ。ベンジャミールは大量の
「ウチ、ヒロイン‼更に嫁‼ご主人‼勇者のイベントは残すところ、オーブ二つですよ。このままオーブの解放を待たれた方がよろしいのでは?」
レイの中で無理やりヒロイン枠にされた魔族少女。
ただ、レイはその言葉には首を横に振った。
「いや、オーブを全て集めた瞬間に結界が解けるのか。それともデスキャッスルに到達した時に解けるのかが分からない。それに解けてしまった場合、俺がそのまま取り込まれる。レイモンドは封印解除後のデスキャッスルで姿を表す。何が起きるか分からないから、封印されたままの状態で城を落としたい。そもそもアズモデが戻ってきてしまうだろ?今アズモデに来られると厄介だ。」
「なら、旦那。わざわざチューリッヒ殿やベンジャミール氏を連れてこない方が良かったのでは? だって、勇者がオーブをゲットしやすくなってしまいますよー!」
古龍の反対側からイーリが叫んでいる。
そして彼の言うことは、まさにその通りに聞こえる。
けれど、魔王を目指す者は一度瞑目して、彼の真意を部下に打ち明ける。
「俺の知っている世界なら、こいつらが絶対に必要なんだよ。ってか俺が使える手札は多い方がいいんだ。あと……、ベンジャミールが言った通り、これは俺の我が儘だ。死んでほしくないからチューリッヒも連れてきているに決まっている。……って、いいから、さっさとアーマグに戻るぞ! MKBがこれで完成するんだ。」
レイが設立した新魔王軍はMKBの名がつけられている。
今度こそ、マロン、カロン、ボロンの略称であり、その親衛隊である。
今、アーマグは勇者のオーブ待ちという意味の無意味な状況。
——今こそ世界中の魔物を集めて勇者に総攻撃を仕掛けるべき
そんな無粋なことは起きない。
だからある意味でやりたい放題ができる瞬間でもある。
ここで時間を稼ぎながら、できる限りのモンスターをアーマグへ連れていく。
それが温故知新、臥薪嘗胆、唯一無二、千載一遇のレイの作戦の一端である。
文字通り、血の涙を流して、彼はこの世界の魔王への道、魔道を歩んでいく。
「さぁ、これから城落としの時間だ。」
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