第56話 戦場の歌姫MKB

 レイの体は人間の時の体をかなり忠実に再現している。

 というより、レイの体そのもの。


 ——これは設定である。


 そして、ご都合主義である。

 大爆発に巻き込まれたり、奈落の底に落ちて行ったり、時には体ごと破裂しても、悪魔になれば蘇る、悪魔でなくても蘇る。

 悪役とはそんなものである。

 そんなレイは今も下半身を露出させている。

 だって、仕方ない。

 彼は緊張しているのだ。


(やっぱりそうだ。俺は冷静だ。元気なのと冷静は同じ意味だったのだ。俺は彼女の胸の谷間を見てたのではなく、名前を見たかったんだ。怪しまれないように胸の谷間を見るふりを……、胸を見るふりを……、胸を見よう!)


「レイ?魔族は何でもありじゃないわよー。あんまり見ちゃダーメ。」

「あ、いや。そこは確かに。見せているのは見てよいとは違う。常識です。そ、それよりマロンさん、ですよね?もしかして本物ですか⁉」


 すると、女悪魔は目を剥いた。


「そ、そうだけど。……私達、そんなに有名人かしら。ううん。魔王軍だと顔は知られているけれど、君、人間の頃の記憶——」

「やっぱり! マロン、カロン、ボロン。アーマグ大陸を占領中の魔王軍の戦場の歌姫、美人三姉妹。SNSのファンアートでも、同人界隈でも頻出していた人気魔族幹部。……すげぇ、生で見れた。それに直接話せてる。生声だ。あの、えっと……、と、とりあえず、サインください!」


 彼は被せ気味に、興奮しながらサインをお願いした。

 その同人誌を思い出し、彼は慌ててパンツを捲し上げる。


「魔力も結構なものじゃない。ふーん、報告書の記載通りね。これは評価すべきポイントなのかしら。私たち、そんなに有名なのね。うふふ、サインだっけ? いいわよ。MKB魔王軍強化部隊配属希望ってことでいいかしら。そこにサインしとくわね?」


MマロンKカロンBボロン配属⁉ これは……まさか……!いや、間違いない。あの同人誌の設定だ。マロン、カロン、ボロン三姉妹のユニットで勇者相手に色んなことを……。そんな設定がまさか……。いや、あり得る。あの同人誌はリメイク前から存在していた。ドット絵でここまで妄想できるのかと舌を巻く作品。なるほどな。今、完璧に全てを理解した。つまりキャラデザイナーもあの同人誌を読んでいたのだ。そしてあの同人誌に思いを馳せながら、キャラデザインをした。ということは、これはマジでそうなのだ。 MKBの付き人、いや護衛、マネージャー!なんでもいい!そういうことなら、俺、頑張れます‼)


「はい!MKBのサインをお願いします!で、できれば、レイ君へって書いてください!」

「ん?当たり前でしょ? 君の名前もちゃんと書いてるわよー。常識でしょ?」


(なるほど、確かに。転売するような輩が現れては困る。常識すぎて恥ずかしい。けれどこれで安泰だ。俺は戦いには参加せずにすむ筈だ!)


 そしてレイはとても穏やかな気分で、朝の健康チェックを無事クリアした。

 ここで不健康や状態異常が発見されると再びベッド送りらしい。

 彼は退院し、ここで漸く魔物として行動が出来るようになる。

 そして、彼はベッドにある荷物を纏め、新人研修へと向かった。


     ◇


 魔王軍が管理している施設は清潔である。

 西の大きな大陸の人間達よりも清潔である。

 なんせスラドン系が定期的に徘徊している。

 おおねずみ子爵13世先輩が換毛期を迎えたとしても、スラドンがぶよぶよと通過するだけで、床はピカピカだ。

 他にも似たようなべとべとモンスターがいるので、隅々までピカピカである。


「あのさ、13世先輩、なんかあのスラドンめっちゃ変な色してないっすか?」


 どうやら先輩もMKBへの配属を狙っているらしい。

 やはり、こういうタイプはMKBが好きなのだ。

 レイが並んでいる列だけが異様に長い。

 

「バカ、よそ様に向かって変なことを言うんじゃねぇ。……スラドンはモンスターの原種とも言われている。そして、内容物によって個体が変わるんだ。お掃除役も兼ねているが、それを指摘されるとめっちゃ嫌な顔をされる。……あ、違うんす。こいつ、まだ生まれたばっかなんで、こっちの常識を知らないんすよ!ほら、お前も頭下げろ!」


(なるほど。プログラマーやデザイナーには思い入れがあって当然だ。スラドンに種類があるのは、捕食した物による変化だったのか……。 でも、今はそれどころではない。たった三人のアイドルユニットだ。倍率は絶対に高い。ここにいるモンスターは全てライバルだ。でも、一応先輩に聞いておくか。)


「こんだけ列を作っているってことは。大広間で新人研修してるって感じじゃないですよね。もしかして面接とか試験とかも待ってるんじゃあ……」

「ったりめぇだろ? やる気のねぇやつを囲うほど、MKBは甘くねぇよ。」


 やはり。

 MKBは伊達じゃない。


「なるほど。やはりそういうことか。つまり先輩と俺はライバル。俺、負けないっすよ。MKB専属の座を勝ち取ってみせます!」

「ふーん。言うじゃあねぇか。まぁ、やる気だけは認めてやるよ。でもおおねずみ子爵一世から伝わる一子相伝の技を持つ俺にゃあ到底及ぶまいよ。募集定員が多いことを願っておくんだな。」


(ツッコミたい!300匹以上いたから、一子相伝が駄々洩れてますよ!)


「三百子相伝……」

「なんだって?」

「なんでも、ありません。」


     ◇


 そこから彼らは鬼のように待たされることになった。

 他の列は短い上、かなりスムーズに進行している。

 だから余計に長く感じる。

 椅子を持ってきている魔族がいるので、そうすれば良かったと後悔をしている。

 珍妙なカードゲームを持っている奴もいる。


(そうか。カジノを運営しているのは魔王軍。……あぁ、暇だ。暇すぎる) 


 混乱が起きないようにテーマパークにあるようなテープで仕切られているグニャグニャの列。

 だから、さっきのスラドンと何回も目があってしまう。


(気まずい。……いや、そんなことはどうでもいい。悲しそうな顔……と思われる表情で帰って来る奴が多い。当然だろうな。歌姫と付き合えるかもしれないんだ。これは気合を入れねば。マロンさん、カロンさん、ボロンさん。あー、誰が好きって言われたらどうしよう……)


 今のところ百人以上入った筈だが、同じく百人近くが引き返している。

 しかも悔しそうな顔を浮かべて。


「MKBは魔王軍のアイドルだ。そりゃ倍率だって高くなる。こりゃ、本当にジュウさんとお別れしなきゃならないかもっすね。」

「思ったよりも合格率低いんだなぁ……、ってなんだ、そのジュウさんって?」

「同じモンスターなら名前が一緒っすから、ちゃんと見分けられるようにしたいんすよねぇ。『ジュウ』さんなら、名前の一部も入ってるからちょうど良いかなってね。ま、お互い頑張りましょう!」


 そんな話をしていると、ついに順番が回ってきた。

 大鼠のジュウさんも気合が入っている。

 

「お前が先に行け、後輩。俺が通ることは決定だからな。」

「了解っす。じゃあ、合格したその先で待ってる!」


     ◇


 カーテンを捲った先には大きな部屋があった。

 白い大理石の床だけは豪華に見えるが、それ以外は実に簡素な作りだった。

 魔王軍という言葉だけで、地獄のような光景を想像していたが、この施設は研究所と呼ぶべき場所だった、だからここも研究室と呼んだ方が良いかもしれない。

 だが、面接に舞台は関係ない。

 壁際にはメガネをかけたアークデーモンが三体立っている。

 ガチムチというよりは細マッチョな体つき。

 褐色の肌に直接黒のジャケットを羽織る二体と、同じく褐色の肌に赤のジャケットを羽織る一体。


(いや、壁の作りは体育館か。見学席にも十数体。やはり見られている。)


 マロン、カロン、ボロンの姿が見えない。

 あの三人が気に入らなければ、面接など意味がない。

 あの三人に気に入られたら、合格。

 その場合も面接官に意味はない。


(つまり、上の魔族、下のアークデーモンは全てトラップ。カメラかそれともマジックミラーでMKBが見ているな?ならば、やはり。)


「ルーールルルルルーーー。ルールルー。ルールルー。」

「おい。お前!」


 そこでレイという銀髪の魔人は目を剥いた。


「あ、すみません。前奏は省きます。……わーれーらーはー♪ ヘルガヌスさーまーのー♪忠実なーはいーくわぁぁぁ♪下僕たちぬぃぃぃー死はぁぁぁ必然んんんん♪にーくくぃぃーーー勇者共とーーーー♪メビウスーーー」

「待て待て待てぇ!貴様、なんでいきなり歌い始めているんだ⁉呼び止めたのはそういう意味じゃないから‼その、あれだ。歌姫様の持ち歌だということは理解できるが、ここは試験会場だぞ!」


 赤いジャケットのアークデーモンがレイの歌、いや歌姫の歌を止めた。

 この歌はゲーム中、フルコーラスで流れる。

 しかもデラックス版を買うとCDまでついてくる。

 けれど、どうやらアークデーモンさんたちはお気に召さなかったらしい。


(だが、君たちは罠だろう?)


 だが、MKBの御三方は違っている。

 前奏を省いてしまったのは口惜しいが、あの行列をきっとMKB様は案じていらっしゃる。

 その気遣いまで分かっていますよ、と伝えた。

 今頃、裏で感動しているかもしれない。

 だから、これ以上歌うのも良くない。


(見てますよね。マロンさん!俺ですよ!)


 レイはそのままスッと彼ら三人の前まで歩いていく。

 人の言うこともちゃんと聞く。

 これも重要な評価基準だ。


「失礼いたしました。気分がたかぶってしまい、誠に申し訳ありませんでした。私の名前は『レイ』と言います。今日はMKBのスタッフ面接ということで、張り切って参りました。」

「なんだ。普通にできるではないか。確かに歌はよい。戦意を鼓舞するからな。それでレイと言ったか。とりあえず、やる気を聞きたい。志望動機を教えてくれ。」


 志望動機、至って普通の質問だ。

 この質問で何かが変わるとは思えない。

 なんせ五十倍以上の難度だ。

 だが、魔人レイはきっちり瞑想して、あの同人誌の記憶をほぼ蘇らせている。

 彼らには響かなくても、あの御三方には必ず響く答えを用意できる。


「お答えします。マロン様のエロティシズムは凛々しいお顔とキリリとした性格で御座います。そしてカロン様は艶やかな容姿と、その見た目通りの派手な性格です。そしてやはりボロン様は名を体で表すというか……、その……分かりますよね?」


 ピシィィィ


 その瞬間、真ん中の赤ジャケットのアークデーモンのメガネに亀裂が入った。


「分かるか! 貴様はさっきから歌姫様の話しかしていないではないか!しかも表現が卑猥すぎる!あれか?貴様は魔王軍強化部隊を愚弄するために、ここに来たのか? もう良い。こいつは欠陥品だ。特別製と聞いていたが、やはり失敗作だ。お前たち、こいつの破壊を命じる。」


 すると、左右のアークデーモンが眼鏡を胸ポケットに引っ掛け、首の骨を鳴らし、指を鳴らしながら近づいて来た。


(成程、アンチ対策か。もしくはMKB様を狙う悪漢への対策。更には剥がし係。マロン様、カロン様、ボロン様。見ていてください!俺が三人まとめて……、——そして永遠に貴女達をお守りします!)


 唐突に始まった、レイとアークデーモン二体の戦い。

 散々説明を受けたが、正にその通りだった。

 レイは人間だった頃の性質を引き継いでいる。

 その上、魔族の力も得ている。

 相手はレベル30もあれば余裕で倒せるモンスターだ。

 レベルが70まで上がっていたし、ドーピングでステータスも上々。

 

 ——だが、やはり殺してはいけない。


 アイドルグループのスタッフは乱暴すぎてもいけない。


「おっと。御触りは禁止ですよー!よっと。はい、次の方が来ますからねぇ。」


 暴漢対策、ハガシ、それらを意識して、相手は傷つけない。


「てめぇ!舐めてんのか!ちょこまかと!」

「——いえ。舐めませんよ。マロン様、カロン様、ボロン様は器の大きな方。だからこそ、入り込んでくる害虫は我々がお守りせねばなりません。その意識の違いです。」


 そんな壮大な勘違いをしている彼の裏で、別の何かが動き始めていた。

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