第53話 バッドエンド

 フィーネは闇落ちしていた。

 ヤンデレエミリのようにキャラが変わるだけなら良かったが、これは立派なバッドエンディングだ。


 レイは今まさに自分を殺そうとしたフィーネの手首を掴みんだ。

 彼女の魔法剣が体を貫ているが、HPという魔法によってどうにか動くことが出来る。

 だから、彼女を体ごと抱きかかえ、もがく闇落ち少女を無視して強引に連れて行く。


「死ね!止めろ!私を何処に連れて行くのよ‼それにドラグノフって何よ‼」

「四天王最強の武人ドラグノフだよ。ちなみに四天王と戦える状況になるのは、オーブが三つ揃えて結界を壊した後。今戦っても必ず負ける。それに、これって負けイベントだから、オーブが揃っていても変わらないかもな。仲良く、全員全滅のバッドエンドだ!」


 彼はフィーネを抱えてそのまま移動をする。

 煙を目印に、街の家の屋根を飛び移っていく。


「いいから、あんたは死になさいよ!あたしはもう、戻れないの!」

「分かった分かった。でも、それはもう少し後にさせてくれ。」


 早朝に一か所だけ煙が上がっている場所がある。

 爆砕魔法も使えるドラグノフがいるなら、あそこだろう。

 残念なら、アルフレド達の攻撃は1ポイントも通らない。

 今の状況でもドラゴンに1p以上は与えられる。だが、今回は0p。

 見えない壁の存在はそれほど絶大なのだ。

 それでも彼らなら戦うに決まっている。


 ——負けイベントとはそういうものだ。


「そうだ、おまじない!『強奪の達人キャッチアンドリリース』!これでお前の運気は上昇したぞ。」

「は?運気も何もないわ。絶命させればいいだけよ。っていうか、あんたはどうして、死なないのよ!」

「HPが残っているから。ちょっと急ぐ。おとなしくしとけよ。喋ってると舌を噛むぞ!」


 フィーネはまだ暴れている。

 だが、今のレイにはどうにかできる。


(HPが0にならなければ、って意味だけど。回復魔法を挟んでもらわないと、俺は多分死ぬな。……でも、それはこのイベントを回避してからだ‼)


 今のレイでも見えない壁を持つドラグノフには敵わない。

 これは頑張れば勝てる負けイベではないのだ。

 ダメージが通らないんだから、何をやっても絶対に勝てない。

 それほど、本命ヒロインであり幼馴染であるフィーネを追い詰めた罪は重い。

 だから、世界は彼らを。


「え……、うそ…………」


     ◇


 フィーネは声を失った。


 そしてそれはレイも同様。


 こんなものを見せられて、声が出せるやつはいない。

 全てがどうでも良いと思っていた彼女が、そう思うくらいだ。


 仲間を眠らせ、その隙に仲間に化けて他の誰かを殺そうとした、そんな少女が見ても引いてしまうほどの凄惨な現場がそこには広がっていた。


「酷……い。」


 声どころか息も出来ない。

 焦点が定まらない。

 あれだけ暴れていたフィーネが目を剥き、瞳を震わせて狼狽している。


 状況を無視すれば、目立つのはドラグノフだ。

 体高は5mを越え、四本の腕を持つ鬼神なので、嫌でも目立つ。

 彼はとにかく血を好む。そして強さを求める武人キャラ。

 魔法も使うが、9割は物理攻撃しか使わない。

 攻略方法があるが、それを知らないと持っているアイテムを全部使ってしまうほど強い。


 ——でも、今はドラグノフなんてどうでもいい。


 最初に目に入ったのは、当たり前だが酷い状態の仲間だ。


 本物のマリア、可哀そうに彼女の両腕が真っ黒になっている。

 そして右足も左足もはっきり視認できない。

 血か肉か、それとも。

 生命の一部だった何かが、周囲に飛び散っている。

 あれが戦いの、いや一方的な虐殺の傷跡だろう。


(マリア……、すまない)


 そしてその隣にはレイがあまり知らない少女キラリ。

 黒髪だから分かる。彼女の特徴である眼鏡は見当たらない。

 彼女も同じく腕と足が朧気にしか見えない。

 一度も会話をしたことがないレイにとって、初めて会うにはえぐ過ぎる姿だ。

 ムービーでも彼女とはすれ違っているから、この世界では本当に初めて会ったのに。


(キラリ……、ゴメン)


「あああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼」


 突然、フィーネがドラグノフに聞こえてしまうほどの奇声を発した。

 彼女には最初、何が起きているのか分からなかったのだろう。

 そんな彼女が最初に探した人物は。


「なんで?どうして? アルフレド……、あれじゃ……もう……。止めて!逃げ……て」


 アルフレドが最後まで抵抗したのだろう。

 彼がどうやら最後まで弄ばれている。


「ダメ!止めろぉぉぉぉぉ!」


 そして、今まさに彼の右腕が潰される。

 ここに居るのは再起不能な人間達。

 そして周りを彩るのは彼らの一部だった真っ赤な何か。


 ドラグノフに一人ずつなぶられたのだろう。


 『勇者とはこの程度のものか』


 と彼が笑いながら人間を壊す、有名はグロイベントだ。

 だから本来ここも暗転が入り、セリフと効果音と文字しか出ない。

 けれども、それはゲーム画面の話。


 ここには暗転が入らないらしい。

 だって、これはただのネタだ。

 トロフィ獲得の為のただのバッドエンドだ。


(エミリ、痛かったろうな……)


 あの赤毛の誰かがエミリだろう。

 赤い毛と血みどろの体で輪郭しか分からない。


(ソフィア。あれだけ慕ってくれてたのに……)


 ソフィアも少し離れたところでゴミのように転がされている。


「もう……、何もかも終わりだわ……。あんたの……。いえ、あたしのせい……」


 バッドエンドだから、終わり。

 それはその通りだ。


 でも


 でもでも


 でもでもでも


 でもでもでもでも


 でもでもでもでもでも


 でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも、——それでも!

 

 彼は……、諦めない‼


 レイは何でも知っている。


 レイは生きる為に何が必要かを学んでいた。


 絶対にあきらめて堪るか‼


「フィーネ!どっちの意味でもいいけど、とにかくはお前は俺の言葉を信じているんだったよな。空を見てみろ。あの時と同じだ。だから、もうすぐ勇者が死ぬ。」


 彼女は何も言わない、いや言えない。

 それは見れば分かることだから。


「ダメだ、フィーネ。諦めるな。諦めれば世界は高速スクロールする。そしてヒロインの死も同様だ。お前は自分の命を諦めるな!……でも、俺を信じているんなら分かるだろ?……まだ、エンディングロールは流れていない。だったら終わってない‼お前はあの建物を目指せ。そこで待ってろ。俺がここから全員を助け出す!」



    ◇


 フィーネは頭が真っ白だった。


 何が起きたのか分からない。

 確かにこの男の言っている通り、この男の言葉は真実だ。

 でも、この男の意味が分からない。

 だから彼女は全てを諦めかけていた。

 いや、ほとんど諦めていた。


「無理……よ。もう、無理……、私のせい?私のせいなんでしょ!?あんな状態で世界が救えるわけが……、もう世界は滅んだ……の。——痛っ!何するの⁉」


 彼女の頬に痛みが走った。

 そして、その痛みを与えた人物は、明るい笑顔を水色髪、メインヒロインへと向けた。


「そうだよ、俺はなんでも知っている。そしてフィーネの闇落ちにも気付いていた。だから、こんなこともあろうかと、抜け道を用意しておいた。魔族の方が医療技術が進んでいる。その名医を見つけていたんだ。三日間、俺が何してたと思ってんだよ。この事態を読めていた俺が、何をしたと思ってんだよ。……だから、さっさと行け!この道をまっすぐ行って、突き当たった建物で先に待ってろ。今のお前は何も出来ないけど、そこではお前の力が必要なんだ。だから、お前は仲間の為にそこにいち早く辿り着け。」

「ここまで……、読んでいた?あんたは……、私の……。……うん、分かった」


 そしてレイは、彼女の視界から消えた。

 フィーネもあの男を信じて、仲間達のためにその場所へ向かう。

 ここにいるのはマスクドパンツマンではない。

 彼らの知る、レイだ。


「へぇ……光栄だね。まさか俺が四天王の一番強い奴とこうして対面できるとは。本来なら、あり得ない組み合わせだろ?」

「なんだ貴様。このドラグノフ様がメビウスの使徒と戯れているのを邪魔するつもりか。」

「戯れる?そうしているようには見えないけど。俺の仲間を俺が居ない時間に襲って楽しいの?」


 銀髪の男は肉塊を拾い上げて、そう言った。


「我が不意打ちをしたと?違う!身の程を知れ、この義賊かぶれが‼‼」


 ドラグノフの声は重低音効きすぎというくらいに大地をも揺るがした。

 だが、問題なのはそこじゃない。

 体に結界が張られているから、戦っても意味がない。


「なぁ、どうしてお前がそこにいると思う?」


 もう一つ、肉塊を拾う。


「おかしいよなぁ。本当のお前ならこんなヒヨッコの勇者は見逃す筈だ。」


 更にもう一つ。

 更にもう一つ。


「さぁ、俺は誰だっけ?まぁ、いいや。それでなぁ——」


 ドラグノフの癇に障る言葉を選びながら、彼の心を揺さぶる。

 そして、同時にレイは身を低く構えていた。


「ほう。仇討ちか。やってみせろ!」


 今まさにドラグノフに飛びかかる、少なくとも戦狂いのドラグノフにはそのように見える。

 だから、ドラグノフはボロボロの勇者アルフレドを地面に叩きつけた。


「やってやんよ‼お前のせいかは分からないけど、今はお前のせいで……、——1人の女の子が悲しんでる。……だから、俺はこのルートを絶対に認めない!ジャイアーニ!」


 彼は一瞬体の重みを感じるも、ドラグノフに飛びかかる、——フリを見せる。

 だがその直後、彼は後方に跳躍した。

 これは全力の戦いではない。

 これは全力の命乞いではない。


 全身全霊を込めた、——略奪行為だ!


「甘い。逃げられると思うな。」


 レイの耳にその言葉は届かない。

 ジャイアーニは他人の落とし物を俺の物だ!と言って、ぶんどる悪徳スキルだ。

 そして、そこでレイの強運が発動した。

 既に四人分は回収していた。

 だから、残るは彼の、ゲーム主人公の体だった。

 そして、レイモンドの豪運が見事にドラグノフの落とし物、アルフレドをつかみ取った。


(多少は目を瞑ってくれる筈だ。全部のパーツが無くても大丈夫だろ。)


 だから彼が考えていたのは、——全部合わせても「軽すぎる」だった。

 そしてここに来て彼が思ったのは。


(レイモンドで良かった。この長い腕じゃないと全員分は抱えきれない)


 自分が大柄なレイモンドであったことが幸運。

 この体じゃないと五人分を運ぶことが出来ない。


「逃げられない? ばーか、そんなわけねぇだろ。ここはコマンドバトルじゃないんだよぉ!だから俺は逃げられるんだよぉ、脳筋野郎!」


 コマンドバトルに見られる『絶対に逃げられない』、『絶対に回り込まれる』はこの世界には存在しない。

 だって世界は自由なのだ、オープンなのだから、素早い者が勝つに決まっている。


 それにここは街だ。

 人々の為に『逃げられない』なら分かる。

 でも、このイベントは流石につまらなすぎる。


 そして何より、この世界はレイモンドの為に存在している。

 だから、レイモンドを無視した世界が許される訳がない。

 だから、彼はドラグノフの四本の腕をスルリと抜ける、……ではなく、単純に彼が入り込めない路地に逃げ込んだ。

 流石にあの四本の腕を仲間を抱えた状態で逃げられるとは思えない。


「ドラグノフ、お前はもっと熱い戦いが好きだろ?頼むから見逃してくれ!ここは続けた方が、絶対に面白いぞ‼」


 そして逃げた先はゲームではいけない死角ゾーン。

 彼が三日間利用していた裏路地である。

 闇落ちフィーネが仲間に化けた後は、ドラグノフがやって来る。

 可能性はあったのだから、マスクドパンツマンとして、この道を確認しない筈がない。

 だから、イベントで出現したドラグノフはレイの居場所をいとも容易く見失った。

 最初から彼専用の、最後の城での戦いイベントでは別かも知れないが、今は違う。

 今だけは彼から逃げられてしまう。


「今度は正々堂々と戦えるといいな、ドラグノフ」


 彼は必死に走る。

 仲間を一片も落とさないように必死に走る。

 ほぼ直線ルートになるように誰かの庭さえも通過する。


「これはアルフレドの功績だ。お前のお陰でまだ世界は終わっていない」


 ——そして銀髪の青年は、見事に最短距離で約束の場所に辿り着いた。


 勿論、彼女は青い顔でしか出迎えてはくれなかったけれど。


「フィーネ、ありがとう。そこの人、三回も要らない。一回で通せ‼」


 レイの凄みに負け、受付人は道を譲った。

 多分、アイテムとかも必要だっただろうが、ここにいるのは感情を持つ住民である。

 そして、彼はフィーネを連れて、仲間たちを元に戻してくれる『神』のところに急いだ。

 フィーネには魔族と言ったので『悪魔』のところかもしれないが。


 だが、彼は辿り着いたところで悟った。


「クソ。まだ、ダメなのか。このままじゃ……」


 このままだとゲームオーバーだ。

 だが、諦めない。


「フィーネ、全員に治癒魔法を掛けろ。持っている一番良いのを使え‼口応えはするなよ。そしてそれが終わったら心臓マッサージだ。やり方は分かるよな?」

「……分かった。全体治癒魔法ミナケイミル全体治癒魔法ミナケイミル全体治癒魔法ミナケイミル‼」

「その調子だ!そしてアルフレド‼ 今回の英雄はお前だ‼お前が最後まで仲間を守ろうとしてくれたお陰で、まだかろうじて全員に息がある。」


 彼が最後まで抗ってくれた。

 だから、彼はドラグノフに捕まっていた。


 レイは少女に見本を示すように勇者の胸を何度も叩く。

 彼の心臓を何度も圧迫する。

 肋骨も胸骨も何もかもが全て折れているが、そんなことは気にしない。

 何度も何度も呼びかけて、そしてその都度、胸の鼓動を確認する。


「なんで……。なんで……。もう遅いよ……、こんな……。私……、もう……」

「大丈夫だ。これも予定通り!これも俺の知っている未来なんだ!だから、ちゃんと元通りになる。フィーネは全員の名前を呼び続けろ。彼らが生きるのを諦めないように。皆が自分はまだ生きているんだって思ってくれるように……」



 絶対にみんな大丈夫だ



 これはそういう決まりなんだよ、フィーネ



 でも



 でもね、フィーネ



 結局俺は



 フィーネに



 嫌われるんだ。



 だから、先に。



「フィーネ、よく頑張った。」



 と言っても彼女の顔はまだ青いまま。



 それでも血塗れになった銀髪の彼は言う。



「先に言っとく。ゴメ——」



 その瞬間、アルフレドの心臓が一度だけ脈を打った。



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