力に囚われ

彼らは「ある障害を持っている」人々であります。彼らは「ある障害」により就労が困難であった人々です。「職を選択する自由」というのは、単に一般労働能力、労働という商品の質の言い換えであって、汎用と自由とはほとんどまったく違う。彼らは商品としての資格を持っていない。彼らはしっている、価値と名乗る気持ちの悪いものをしっている。だれよりもその資格を要求され、その社会に強迫的な観念を駆り立てられ、圧迫されている。障害とは、そへの挫折であり、そへの拒絶である。そのところの敵対である。



 おまえはなんではたらくのだ


 なんでというのは何故だ

なんでという問いは荒唐無稽にばかだ


 「しょくを選ぶ自由がある」とおまえはいうではないか、


 それがなんだというんだ、といっている


 だから、おまえはそれにつけて「生きるためにはたらく」というのだろう、おまえはどうあがいても生きる自由がないことを、だいだいというが、なんでそんなに無産者である自分を憐れむ必要があるのだ!と問うているのだ

おまえは生きるために働くのだ!


 それはばかだ!おまえは死にたいのか?

おまえこそ、なにもしらないのだ!なにもしらないから言えるのだ!


 おまえらは働かなかったら死ぬと誰におどされているのだ。そうだ!おまえらは働かなかったら間違いなく死ぬ。そうだ!おまえらは働かなかったら、又日には働くことを要求される。そうだ!そうするまで、おまえは病院か、家か、社会の内部の外部に疎外される。そうだ!そのためにぼくらは働く。国家はそういうふうにしか動かないだろう。資本にそういうふうにしか動かないからだ。人々にそういうふうにしか言われてないからだ。

そうだ、ぼくはなにもしらない。それはなんだ、イデオロギイだ。ぼくのアナキズムだ。おまえはなんだ、チシキジンめ

お手か、お座りか、待てと良しを、そらを彼らに言えたか、その力を示たか、衣食住を実行できるようになったか、ああ卒業だ、はればれ働けるぞ!そうだ、ぼくらは労働者として!

 

 おまえはそれができないだろう?できる、できないの話をきみはわからないだろう

いきるために働くのだ、我らは生きるために働くのだそして、集団の中に生きる、それが国家や家族や社会だろうが、それが資本というものに動かされようが、おれらは生きるしかないし、変えることをおまえはしたいのだとしたらその中で変えるしかないのだよ

それをできる、できないの話を是非しようでないか。おまえはそれをできないのだよ、できないのだよ、一人で生きることができないのだよ

だから一個の巨きな力をみんなでつくって、その周りで夜をすごす

そして鉄砲を持ち戦争に出るのだよ、そして社会に溶解するのだよ、そして溶解しきれないものに溶解を要求するのだよ、そして無力なものにハンデを要求する

無力なものには力はつくれない

だが信仰はだれにでもできるのだ


できるできないの話を誰がするか

ぼくは無力であることに、その力とやらを手放すことをするのだ。行為しないということをする。人間的に生きるなんていうのは、どうもそういう信仰とやらの、巨きな力だということがよくわかった。ようくわかった。

だから、せいぜい山に帰ろうか

非力万歳!無力万歳!

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ただいう 殺す @denrokera

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