ただいう
殺す
ころなういるす
コロナの蔓延がはじまったとき、ぼくはコロナに対してなんの閉塞感をもたなかった。それは多分その閉塞がぼくの生活への影響が当時、学生という閉塞と比較することも及ばないぐらいのことだったからなのか、それでも、マスクの必須条件や体育祭中止などの出来事はあったもののそれは出来事の範疇で、それよりも社会体制の崩壊をみた。それは社会の閉塞というより学校社会の、もしくは社会の崩壊をおこすものだという認識は、前からの閉塞のささやかな解放を暗喩するようなことに思えた。だが、それも解放などということではないというのはその崩壊面が低所得者、自営業者、医療など多くの弱者に向かっていることをみてすぐわかった。
だけれど、その崩壊は単にそのときの政策だけでなく、政権の方針から相当に前から崩壊していたからその閉塞は地続きなようで、学校社会の閉塞と同様の閉塞は社会にずっと前からある。その時周囲と露出した閉塞感を共にみた気がした。
コロナという閉塞に、学校の閉塞と同様の閉塞をもつようになった。それはウクライナ侵攻の閉塞とも、ミャンマーのクーデターも、政権にも、戦争にも、国家にも、資本主義社会にも、社会にも、きりはあるがきりがないほどの閉塞とも同様である。だから、この全ての閉塞の脱出口を語ることしか、ぼくらには語れないのだ。語れない、なにも語れない。閉塞など前からしているから終わらない。
テレビで石垣島の老人が、「まだ終戦していないというのにまた戦争が始まろうとしている。」といっていた
終戦はしていないし、閉塞は解放されていない。貧困や格差も、この閉塞が終わらない限りつづく、つづくというより終わらない
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