EP-07 迷いと安堵
帰ってきたケイルはトールにカイリ草を渡し、森の中にいた蛇型魔物についての報告をした。
「そうか…。さらに色々とやることが増えるのが憂鬱だが、ひとまずよく無事に帰ってきたな。お疲れ、後のことは任せて少し休むといい。」
魔物がもう既に現れていたことや、その魔物が森の主である巨熊を縄張り争いで倒したこと。報告を受けて色々と頭が痛いトールであったが森の生態系の変化による様々な被害に対する対策や、警備のさらなる見直しなど増えた仕事を片付けるために自分の部屋へと戻っていく。
ケイルもすり減らした精神や強行軍で疲弊しきった体を休ませるため、昔からここに来る度使わせてもらっていた部屋で睡眠をとることにした。
ケイルが目を覚ましたとき、窓の外の景色は橙色から紺色へと移り変わるところだった。寝起きの頭が覚醒するのをベッドの上で待っているとケイルの腹から栄養を欲する音が聞こえてくる。極限状態であった探索から帰ってこられて体も安心したらしい。
頭がある程度覚醒したケイルは自分のポーチに入れていたカチカチの干し肉を水で無理やり飲み下し、話を聞くためにトールの部屋へと向かうことにした。
(…セリアさんはどうなったんだろう。症状が落ち着いていればいいけど。もし薬草が足りなかったらもう一度あそこへ行かないといけない…………。)
トールの部屋へと向かう道中、ケイルが思い出すのは森に居た蛇型の魔物のこと。
思い出しただけでも足がすくみそうになる。奴と自分との間にはそれほどの力の差があった。それは理解しているし、それに対して恐怖を感じることが悪いわけでもないということも頭では理解できている。だがそれでも、胸の中には悔しさが
(あのとき、俺は逃げ出してしまいそうになった。自分がやると言ったことを投げ出してしまいそうになった。一度やり遂げると決めたのにも拘わらずに。ただ感じた恐怖のままに。…………本当に俺は、使命を果たすことができるんだろうか。俺は………。)
目的の場所はまだ遠い。
ケイルがトールの部屋の扉をノックすると、疲れの滲む声が答えた。顔を合わせたトールは今までずっと仕事をしていたようで、先程よりもひどく疲れた表情をしていた。
「十分休めたようだな。話したいこともいくつかあるし、夕食でも食べながら話そうか。」
仕事にひと段落を付けたトールはケイルが目覚めたら食事を用意するよう言っておいたと心なしか軽い足取りで部屋を出る。
食事中には蛇型魔物への対応や周辺の詳しい状況から考えられる行動範囲の推察など色々なことを話した。それはケイルにとっても興味深いもので、元冒険者ゆえの考えや対応にケイルは真剣に耳を傾けていた。
一通り話が終わり弛緩した雰囲気が漂う中、それでも優れない顔をしているケイルを見てトールは敢えて軽い口ぶりでセリアが目を覚ましたことを告げた。
「目を覚ましたんですか?!」
「ん?ああ。」
「よかった…本当に……。」
その安堵はセリアの無事に対するものだけだったのだろうか。
大きな安堵感を覚えた表情の中、まだどこか顔色が優れないケイルをトールは不思議そうな目で見つめていた。だがトールはあえてそこには触れず、ケイルに再び話しかける。
「セリアもケイルが薬草を採りに行ったと伝えたらとても喜んでいた。先ほどまでケイルの部屋に突撃しようとして止められていた程だ。」
「もうそこまで元気になったんですね。本当に、よかった。」
トールは再びケイルの顔を不思議そうに見つめる。
違和感を感じるところは数あれど、セリアの快復に対するケイルの安堵の大きさにはどうしても自分と認識の違いがある。そう感じたトールは顎に指を当てつつ今までの会話を振り返る。先日森へ行く前にした会話から今しがたの会話まで。
トールはその中で一つ思い当たる節があった。
まさかとは思いつつも、トールはおずおずと口を開く。
「どういう勘違いをしていたのかはわからんが、セリアはもともと普通に意識があるぞ?昨日の昼前にケイルがうちに来たときは眠っていただけだ。それに急を要する病ではないと伝えなかったか?東方特有の地域風邪みたいなものだ。」
そのとき、部屋の時間が止まった。
言葉の意味が理解できず、ケイルはゆっくりと言葉を咀嚼していく。
思い返すと確かにトールの言動は深刻な病に娘がかかっているようなものではなかった。深刻な病ならば、他の何よりも優先してトールが薬草を採りに行っただろうし、トールの表情に関してもセリアの前で心配そうな顔をした以外普段と変わっていなかったとも取れる。それに門番も深刻そうではなく顔を見せに行ってやれとしか言っていなかった。
(まさか、俺が一人で早とちりしただけ……?!)
自分の勘違いに気づいたケイルは、今の自分が顔から火が出そうなほど赤面していることに気づく余裕すらなかった。
「そ、そうですか。……セ、セリアさんに顔を見せに行ってきていいですか。」
「あー………。んん”ッ!ああ。おそらく今ならセリアも食事をとっている頃合いだろう。セリアも会いたがっていたんだ、ケイルから会いに行ってくれるなら喜んで迎え入れるだろうさ。」
「はい、ありがとうございます。じゃあ行ってきます。」
トールはいつも通りにふるまう。ケイルもそれに乗る。
足早に席を立ちセリアの部屋へと向かったケイルを見て、トールは小さいころのケイルを脳裏に浮かべる。立派な男になったがこういうところはまだ子供だなとトールは亡き
トールが昔の思い出に浸っている頃、ケイルはセリアの部屋の前にいた。ここまでの道中で幾分か気分は落ち着いた。大きく深呼吸した後、ケイルは扉に向かって少し大きな声を上げる。
「セリアさん、入っていい?」
「あ、その声はケイル? ちょ、ちょっとまってね……いいよ!入って!」
部屋の中から聞こえる声は思っていたよりも元気なものだった。
入室の許可が出され、ケイルが部屋へ入ると声の主はベッドの上で体を起こしていた。
苦しそうに閉じられていた瞳はかつてのように生気あふれるきれいな緑に輝いており、少し赤く染まった頬だけが病の痕跡を残している。
先日よりだいぶ快復したセリアを見て、ケイルは笑顔を浮かべてベッドへと近寄る。
「セリアさん、元気そうで安心したよ。」
「あらら、ちょっと見ない間に立派になって。お姉さんうれしいよ。薬草もケイルが採ってきてくれたんだよね、ありがとう。」
セリアからの感謝の念がまっすぐに突き刺さり、ケイルは恥ずかしげに頬を掻く。
「いや、小さい頃ずいぶんと世話になったからね。これで少しは貰ったものを返せたならいいんだけど。」
「ううん。…カイルさんの話、聞いたよ。大変なときに私のために動いてくれて本当にうれしいんだ。もう十分返してもらったよ。」
沈痛な面持ちを見せるセリアにケイルは旅に出ることを告げた。もう前を向いていることを、そして少なくともそこには囚われていないと伝えるために。
それを聞いたセリアは驚き、自暴自棄になったわけじゃないのかと聞こうとした。だがケイルのまっすぐな眼差しを見て、自分のしたいことをしようとしているのだと悟る。記憶の中のケイルと今目の前にいるケイルがぶれた。
外見とは違う内面の成長。ケイルがセリアを姉だと思うように、弟だと思っていたケイルの成長を見てセリアの胸中には色々な感情が渦巻いていた。
「そっか…………。」
胸中を占める感情が溢れそうになる。
けれど、セリアが発露できたのはその一言だけだった。
少しの間、沈黙が部屋を支配する。
話した後、そうする必要はないのに何故か顔を下に向けてしまっていたケイルがようやく顔を上げた。そうして見たセリアの表情に、ケイルはつい笑みをこぼす。
「なんかさ、セリアさん…トールさんもなんだけど、自分のことを心配してくれてるんだろうなって感じる場面が何回もあるんだ。なんていうか、家族でなくとも俺のことを家族のように思ってくれてる、というか…。だからさ、ここに来てゼロニア村だけじゃなくてここにも大切なつながりがあるんだって嬉しくなったよ。真剣に俺の身を心配してくれてるセリアさんの前で喜んでるのもどうなんだろうとは思うけどね。」
意識せず彼の口から洩れたのはこんな言葉だった。
「―――ケ、ゲイル゛ゥ~~!!!」
「セリアさん?! わ、ちょ、やめて!」
ケイルの心の中を聞き、セリアはどうしようもなく嬉しくなった。それは弟のような存在だった彼の成長を感じたからなのか、彼が自分たちに強いつながりを覚えてくれているということを知ったからなのか、それともまた別の理由なのか。
感極まってしまったセリアはベッド横の椅子に座っていたケイルに飛びつく。
ケイルは嬉し恥ずかしい気持ちになりながらも反射的にセリアを離そうとするが、セリアはその細腕のどこから出ているのかわからないほどの力で強くケイルを抱きしめ続けた。
久しぶりの対話は何ともわちゃわちゃした雰囲気のまま進む。
ケイルが根負けをしてセリアの背中を撫でてていると親ばかセンサーでこの状況を察知したトールが怒鳴り組んでくるということはあったが、それはまた別のお話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます