EP-06 大型魔物 - 蛇 -

 その魔物はケイルが倒したものと違い強靭な四足はなく、胴と首が長かった。

 狂暴性が滲みだしたかのような黒い鱗に似た模様はおとぎ話で聞いた竜を思わせ、口から出ている細長い舌とぎょろついた金の瞳は見るものを本能的に震え上がらせる。


 それに相対しているのは巨大な熊。

 蛇型魔物の近くに横たわっている血まみれの子熊の親なのだろうか。子熊と同じ色合いの毛皮を逆立たせ、蛇に対して地を這うような唸り声を上げていた。この熊もかなりの力を持っていることは明白だったが、蛇型魔物の前ではちっぽけな存在に見えてしまう。


 熊が臨戦態勢を取っている一方、蛇は余裕の表情で熊の動きを観察しているようにすら見えた。


 そこにあるのは絶望的なまでの実力差。


 熊もそれは本能的に理解しているのか、いつでも飛びかかれる姿勢のまま動こうとしない。静かな森は両者の圧によって緊張しているかのようで、風に揺れる草木がまるで森が震えているかのようにも感じる。

 それほどの緊迫感にケイルは瞬きすら忘れて息を殺す。


 おそらく勝つのは蛇の方。もし勝利した蛇に見つかったとして逃げ切れるだろうか。


 今の自分では勝つどころか逃げることさえできないほどの力の差があると悟ったケイルは脳内で素早い判断を下す。


 猪型魔物と戦ったときに培った自分の経験と知識を総動員し、魔物の索敵範囲を予測。静かに状況を見据える。


 巨熊が蛇型魔物へと襲い掛かった。

 その瞬間にケイルも立ち上がる。姿勢を低く保ちながら魔物と反対方向へ静かに移動し、戦闘音や雄叫びに紛れて草木をかき分けた。


 冷静な行動とは裏腹に、重く感じる四肢と荒れる呼吸はこの一瞬でケイルの体力が大きく奪われたことを示していた。ケイルは唇を強く結び、その瞳に悔しさを滲ませる。


 いくらケイルが魔物を倒したことがあるといえど、それはナイフに眠る陽神の力の残滓のおかげに過ぎない。魔物を根絶するために魔物についての知識や戦い方を身に着けようと王都に向かっているケイルからしてみれば、知識を得る前でありレストの安全を考える上でもトールへと報告せずに情報を持った自分が死地に吶喊とっかんする意味はなかった。

 

 悔しい気持ちはあった。無力感もあった。だが、それでも最初の目的であるカイリ草の採取とトールへの大型魔物発生の報告を達成するために最善を尽くすことをケイルは優先したのだ。


「ここまでくれば大丈夫か…。魔物が一匹とは限らないから気を付けないと。」

 

 沈む顔を上げ、ケイルは再び泉へと向かう。おそらくあの蛇の縄張りはここより森の奥側。それは入り口付近の森に特徴的な破壊痕がなかったことからも予測できる。動物たちも別方向の森の奥に逃げ込んだのだろう。

 

 野生動物の生息域がおかしかった理由も発覚し、この付近で注意するべきはあの蛇型魔物であるということを頭に入れたケイルは少しスピードを上げつつも魔物の痕跡を見落とさないよう慎重に道のりを進む。


 集中力と体力を維持した上で移動し、それらを回復させるための仮眠も木の上に登り安全を確保してから十分間だけ取る。ケイルは自分の体を追い込みながらも死のリスクを減らすため、強行軍で泉へと向かっていった。


 そして、体が限界を迎えないぎりぎりのペースで移動をすること暫し。

 ケイルは目的の泉にたどり着いた。



 その泉は開けた広い場所にあった。

 周辺には木が生えておらず、生物も見当たらない。透明な水面とそこに反射する陽光、そして小さな草花たちの持つ鮮やかな色だけがその空間を彩っていた。

 魔物さえいなければ何度も来たいと思うほど陽光の差しこむその泉は静謐で、心を落ち着かせる空間を創り出している。


 少しだけ泉を眺めていたケイルは、泉のほとりに情報通りの形をした草が生えていることを確認し警戒しながらもそれを採取した。


「目的のものは回収したし、速やかにこの場から離脱しないと。こんな開けた場所じゃあいつが現れたときどうすることもできないし。」


 ケイルが踵を返す。その時だった。


『ケイル、その泉の奥底に弟の力の残滓が宿ったものが沈んでいます。』


 突然頭に声が響いた。

 出所は腰に付けた陽神の短剣。ケイルが森の中に戻る直前だった。


 魔物の発生源である残滓の器が泉に眠っていると聞き、ケイルは慌てて駆け戻る。


「ど、どこですか?!というか残滓の位置をどうやって把握したんですか?!ああでもその前にそれを引き上げて壊さないと!」


 唐突なことで頭を整理する余裕もなく、ケイルは必死に水面を覗き込んで残滓の器を探す。幸い泉は透き通っており、底まで肉眼で確認ができた。


「そもそも何故それをもっと早く教えてくれなかったのですか!ど、どれですか!」


『適応者であるあなたとその短剣を中継に周辺の残滓を感知しているのです。残滓を見つけるためにはあなたとその短剣の両方が必要ということですね。……泉の中心に沈んでいる長剣が残滓の器のようです。』


 水に顔をつけんばかりに水面を凝視していたケイルは、中心部の水底みなそこに刺さっている一本の重厚な長剣を見つけた。装飾こそ施されていないものの、その無骨な造りに比例するように相当な重さがあるのは想像に難くない。


 沈んでいるのは一番深いところであり、水深はかなりのものだ。泉の広さから見ても飛び込んで回収した場合、長剣を抱えて泳ぐには体力を相当失うに違いなく、また泉に潜るには体力のさらなる消費を抑えるため装備を置いて行かなくてはならない。

 いつ魔物がここに来るかわからない以上、相応のリスクがあることは明白だった。


 ケイルは届くかわからないものの腰のロープに投げナイフをいくつかを括り付けて重りとし、投擲する準備を始める。


「あれですね。すぐに引き上げ……ッ!!」


『魔物が近づいてきます。今のあなたではまだ太刀打ちできないということはあなたが一番よく分かっているはず。早くその場から離れなさい。』


 つい先ほど聞いた蛇型魔物の移動音。ケイルは大声を上げてしまっていた自分を思い返し、心の中で自らを叱責すると同時に目的を変更。聞こえてくる音から遠ざかるように走り、茂みに飛び込んだ。


 現れた魔物は片目が欠損し、鋭い爪で切り裂かれたような大きな傷がいくつか刻まれていた。おそらく熊との戦闘に勝利したそのでこちらに来たのだろう。


 遠目ではあったが間違いなくあの巨熊はかなりの強さを持っていた。おそらくこの森の主だったに違いない。

 それにも拘らず、熊との戦いを制してもまだ随分と余力がありそうな魔物を見たケイルは、改めてその強さを実感し見つかったら命はないと必死に息を殺す。


 魔物は少しの間ケイルを探しているような様子だったが、既にこの場にはいないと判断したのか泉に顔を浸からせる。途端、水面がブクブクと泡立ち、顔を上げたときには傷など元々無かったかのように欠損していた目が再生していた。


(あれは残滓が濃く泉に溶け出ているということなんだろうか。いくら魔物とはいえ、俺が戦った魔物はあんな速度で再生なんかしなかった。残滓が魔物にもたらす影響も考慮に入れておく必要がありそうだ。それともあの魔物種特有の……。)


 心臓がバクバクと音を立て殺す呼吸も少し荒い。それでも頭は冷静に色々と考察を進めていく。

 極限の集中状態であるケイルを尻目に、目が再生した魔物は体についた傷も治し始める。ケイルの考察がひと段落する頃には、蛇は既に泉のほとりでとぐろを巻いて休息を取っていた。


 それを見たケイルは音を立てないようにその場を離れて帰路に就く。


 予期せぬ魔物との会合や残滓の器の発見、急速な魔物の再生や改めて知った魔物の脅威など、精神を色々な角度からケイルの精神をすり減らしたカイリ草の採取探索はこうして終わりを迎えたのだった。

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