335 【ジーク】 不安になる
数時間前――。
僕は食堂にいた。シリウスからの知らせで「ルークが食堂でローガンに会うつもりらしい」と聞いて「ならば僕たちも同席する」と返した。当然だった。あんな獰猛な狼のような危険人物に会わせるのは反対だ。近寄らせたくないと僕の本能か第六感のようなものが叫んでいる。ルークのことを思えば、というのは勿論、理由はもう一つあった。
ルークは人誑しの天才だ。
恐らくあいつのことだから、あれよあれよと言う間にローガンとも友達になってしまうに違いない。僕らとしてはその方がいいのは間違いないが、……何か嫌だ。何となくだが、ローガンのように他者に全く心を開かない奴が一度心を開いてしまうと、心を開いた相手にめちゃくちゃ執着しそうな……そんな予感がある。だから、正直、仲良くなってもらいたくない。
決して、醜い独占欲からそう言っている訳じゃない。
「ジーク、大丈夫? 顔色悪いよ」
「……少々疲れただけだ」
「そっか。それもそうだね。今日はあちこち動き回ったから」
ルカの言葉に、僕は静かに頷いた。
今日は古語の解読と鍛錬の後ほとんど見回りに出ていた。もうわかっていたことだったし、自警団に入る前にも散々見て回ったけれど、この街の治安の悪い地区の酷さは目に余るものがあった。金持ちの地区はあんなに豊かなのに、貧民地区は痩せ細った子どもや老人がそこらに溢れ、ゴミと糞尿と泥水で汚れ、そこかしこで犯罪が起きていた。
この国の兵士らしき者もいるが、見て見ぬ振りをしながら通り過ぎている。恐らく彼らとて心は痛めているのだろう、だが無力なんだ。困っている人間を助けられる程の力がない。
結果、僕らはとても疲れている。本来兵士がやるべき治安維持を、僕らが担ったのだから。まあ僕がやったことと言えば動き回り怒鳴り指導して回り……実力行使はレオンやルカやサクラがやってくれていた訳だが。レイン? あいつは知らない。ローガンの戦い方が気になるとかで消えた。ローガンは今日も一人で見回りだ。願わくば食事の時間がずれて会わずに済めばいいのだが。
食堂には大勢の団員たちが詰め掛けていた。ちょうど夕飯時だからだろう。人でごった返して酔いそうだった。ルークたちはまだ来ていない。遅いのが気になったが、いちいち心配性になるのもどうかと思って努めて平静を装った。先に食べてもいいだろうという話になって、列に並んで大皿に盛られた料理を取っていく。
「いっぱい食べて体力をつけましょうね!」
「僕は肉はあまり好きじゃない」
「でしたらその分いっぱい食べましょう!」
「…………」
ニコニコ顔のサクラは皿に信じられないくらいの量を盛り付けていた。スープは並々だし、脂っこそうな揚げ物やら肉の塊やらパンやらサラダやらパスタやら……本当にそんなに食べられるのか? 本当に?
「いっぱい食べるサクラさん可愛いっす!」とニコニコ顔のディラン。
おい、距離が近いぞピンク頭。サクラに近づいて良い男はエイトだけだ勘違いするなよ。
だが量が尋常じゃないのはサクラだけではなかった。ルカはまだ少なかったが、レオンや他の団員たちもモリモリ食べている。
「…………」
あまり食べたいとは思わなかったが、体力も筋力もないのは事実だ。いつもよりかなり多めだったが、肉を選んで皿に盛った。席について、話を聞きながら黙々と口に運んだ。
「ローガン、遅ぇな…」
「あ、団長! 一緒にどうですか~?」
エイダが団長を見つけて手を振る。僕は団長の方を振り返ってぎょっとした。さすが体がデカいだけあって皿に盛り付けた量も尋常じゃない。団長はよっこらせ、と席に座った。
「ローガンが見当たらないな! まだ見回りか」
「あー……俺のせいかもっす。昨日のことがあったからますます一人になりたがって……」
「昨日?」
「まあいろいろあってさ~……俺があいつの地雷を……踏んじまったっつーか……」
ディランがごにょごにょと言葉を濁す。
まあ元気出しなさいよ、とエイダが肩を叩いた。その辺りですでに僕は満腹近くなっていたが、それを堪えて機械的に食べ物を口に運んだ。
それから、しばらく経った。
「いや~やっぱ食堂の料理もうめぇな!」
「当然でしょ? 毎日仕込み頑張ってるんだから」
「食後はまた体を動かしたいですね!」
「サクラ、少し休んでからの方がいいよ」
あれだけの量を盛っていたのに、どうして皆こんなに食べるのが早いんだ? あっという間に皿が空になって、モソモソ食べるのは僕だけになった。こいつら本当に早すぎるだろう。噛んでるか? 流し込んでないか? 大丈夫か?
「…………」
「ジーク、大丈夫? ちょっと苦しそうだけど」
ルカに話しかけられ、無言で首を縦に振った。大丈夫だ、別に。そう示して見せたが、心配の色は消えない。
「ムリはしない方がいいよ」
「……問題ない」
「でも……」
「問題、ない」
本当は問題しかなかったが、普段より多いとは言え決して大した量でもないし、何より僕自身が取ってしまったんだ。満足に食べられなくて苦しむ子どもがいる街で食べ残しなんてあり得ない。食堂で余った料理や食材はそういう子たちに無料で振る舞われているらしいが……これは僕が一度手をつけてしまった料理だ。責任を持って最後まで…………
そう思ったところで、ひょい、と皿を取り上げられた。誰だ――――顔を上げたら、あいつが……ローガンが、無言で僕の皿を奪って少し離れた席に座ったところだった。
「な、き、さま……何考えてる!?」
僕が怒鳴りつけると、ローガンはじろりと僕を睨んだ。それから自分が取ってきた分と僕の分をひょいひょいと口に運んでいく。
「だから何勝手に食べてるんだ! それは僕の――――」
「むりに食って吐かれたら困る」
「!! は、吐きはしない! ちょうどいい量だ!」
「よく言う」
立ち上がってローガンから皿を奪い返そうとしたが、届かない。手を伸ばしてはいるが僕が取れないようにあっちへこっちへ皿を移動されるせいで取り返せなかった。
「お前は子どもか!! 返せと言っている!!」
「子どもはお前だ。大人なら自分が食える量を取れ。いきなり許容量以上を食っても吐くだけだ」
「別に食べれると言っている!」
「吐かれたら困ると言っている」
何なんだこいつは……!? 何がしたいんだ!?
そうこうしているうちにローガンはあっという間に僕の分を平らげてしまった。そして空になった皿を僕に突き返す。片付けろと言わんばかりに。
「ローガン……機嫌がいいのか?」
「珍しいな」
ディランは目をパチクリさせ、エイダや団長たちも驚いていた。団員いじめが機嫌がいい証拠なのか? とんだ性悪。いや……いじめ、ではないか。僕は確かに満腹だった。これ以上食べたら吐くんじゃないかと言うギリギリのところだった。水筒を渡された時と同じだ。僕はこいつに……助けられた、のか。
「…………」
「さっさと席に座ったらどうだ。突っ立っていてもお前の料理はもう出てこないぞ」
「…………フン」
感謝、など口にするものか。僕はイライラしながら席に戻った。
ローガンという男がわからない。わからないからイライラする。心を読めればわかったか? いやどうだか。読めたとて理解できなければわからないままだ。
ローガンは黙々と自分が取った分を口に運んでいる。笑顔はないし口数も少ない男だ。なのに団員たちからは熱烈な視線を受けている。……特に女性から。
「寡黙なところも素敵…」
「ねえ、ローガンさんの好みのタイプって……あれよね?」
「そうそう、確か金髪よ。どうしよう、やっぱり私も染めようかしら」
…………何?
金髪?
ひそひそと囁かれる噂話に僕は戦慄した。金髪の女性がタイプ……だと? そんなの……そんなのどう考えても……
フレアに一目惚れしてしまうじゃないか!!
じわりと冷や汗が流れる。
ローガンは確かフレアの従兄弟、だったよな。フレアは母親にそっくりだったはずだ。金髪も母親譲り。もしやこいつ……初恋の人がフレアの母親とかなんじゃないか? それで金髪の女性が好みとか? あり得る。十分あり得るぞ。さすがに年齢的にそう深く関わったことはないだろうが、フレアの母親の見目が好みならやはりフレアに一目惚れしてしまう。それだけは、それだけは何としても阻止しなければ……!!
きっとフレアは従兄弟の存在に喜ぶだろう。家族のような繋がりを求めるかもしれない。それ自体は……悪いことじゃない。むしろ良いことだ。良いことだが……これ以上ライバルを増やされるのは僕が困る!
「……おい、ローガン、一つ言っておく」
「何だ」
僕はローガンを睨み付けた。できるだけ威厳が出るように。ローガンは訝しげに眉を寄せた。
「いいか、今、僕たちが探している女性は……僕の婚約者だ」
「元、婚約者ね~。いつまでもしつこく婚約者面してたら嫌われるよ~?」
呆れたような声が上から振ってきた。レインがうんざりした顔で僕の背後を通り過ぎていったところだった。黒パンをバリボリ囓る音が遠ざかっていく。ローガンは哀れむような視線を僕に向けた。やめろ、そんな目で僕を見るな。
「い、いいか、とにかく、僕にとって大切な女性だ。お前は、絶対に、近寄るな」
「……は?」
「金髪の、美しい女性だ。お前が一目惚れする可能性がある。だから絶対に近寄るな。わかったな!」
はっきりそう告げると、シン、と静まりかえった。ディランが口をパクパク開けたり閉めたりしてあわあわしている。どうした、何をそんなに慌てている、と僕は眉を寄せた。声には出さなかったが、その口の開け方で「じ、ら、い」と言っているのはわかったが、意味がわからない。地雷? 爆発でもするのか?
「お前……そんなこと気にしていたのか」
呆れたようにローガンが息を吐き、僕から視線を逸らした。
「そんなこと、とは何だ。重要なことだ」
特にお前のような色男は油断ならないから言っている。
「不安そうな顔をして何を考えているのかと思ったら……。くだらない。心配せずとも、俺が誰かを好きになることはもうない」
「絶対は言い切れないだろ」
「絶対、だ」
頑なな響きがあった。昔はいたのだと思わせた。昔はいたが……今はいない。そしてその人を忘れることは永遠にできないのだと、そう言っているようだった。ここにいない、誰かに想いを馳せている。孤独だと思った。こいつは、まるで……ルークやローズに先立たれ、独りぼっちになった頃の僕のようだ。
「お前は……」
「……見つかるといいな」
ローガンがぽつりと零した。ほんの僅かに、表情が柔らかくなった、ような気がしたのも一瞬で…………荒々しく扉が開けられ、ルベルが駆け込んできた。何かあったのだ、とすぐにわかった。
「ジーク!! ルークが――――――……!!」
嫌な知らせは、いつも突然もたらされる。
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