334 囚われる
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『ほむら……』
義勝が、俺の名を口にする。
『ルーク!』
ローズが、私の名を叫ぶ。
『……………………フレア』
最後に誰かが、あの子の名を呼ぶ。
大切な人たちの顔が浮かんでは消えていく。
夢を見ているのだと、夢の中で気づく。
もう二度と会えないと思っていた人たちと、生まれ変わって会うことができた。元気そうな姿、見ることは叶わなかった笑顔、知らなかった本音……そういうものに触れる度、こんな奇跡が起きたことに感謝した。死んだら全てが終わりだ。わかっていたはずなのに、私は自ら生を手放した。
「…………ごめん」
目頭が熱くなる。涙が頬を伝ったと同時に、私はゆっくりと目を開けた。
「ん…………んん?」
見覚えのない、暗い場所にいた。
ここは……どこだ? 私は……。何だ? 何があった? 確かシドを追いかけて……それから煙がむわむわぁっとなって、気を失って……。視界がだんだんはっきりする。私はゆっくりと上体を起こした。頬にざらざらした砂がついている。それを払い落としながら、どうやら地面の上に転がされていたのだと理解する。頭がまだクラクラする。どんな毒の煙を吸わされたのだろう。
「ッ……!」
鉄格子が、見えた。ギクッと体が強張る。でも、間違いない。どうやら狭い檻の中に入れられているらしい。冷たい鉄格子を掴んで力を込めた。……ダメだ。ビクともしない。いつもならこれくらいくにゃりと押し曲げられる自信があるのに。
……嫌な予感がする。とてもとても嫌な予感がする。この感覚に覚えがあった。自分の体がどうしようもなく使えなくて、思い通りにならなくて、とんでもなく弱くなってしまう……。治癒の力を使おうとしても、やっぱりうまくいかない。これが怖かったから、レインにこっそり頼んでおいたのに。私がフレアの姿に戻る時のために、全然痛くないあの素晴らしい薬を作ってほしい、と…………。
「はあ……」
ため息を吐きながら喉を擦った。喉仏が、ありません。
うおおおおおおい……ノアさんよ……勘弁してくれ、本当に。君は一体何を考えているんだ? どうっっっしてこんなことをしてしまう? どうしよう本当にどうしよう。冗談じゃなくこの状況はまずい。ああああああ……ルベルやジークがものすっごく怒ってるところが想像できる。なぜこう後先考えずに動いて状況を混沌とさせてしまうのか、と。
「……フレアに、なってるなあこれ」
鏡がなくてもわかる。手足が細くなって胸が膨らんで、髪が背中まで流れている。これは間違いなくフレアの姿だった。つまりあの毒ガスには私の姿を元に戻す効果があった。そうだそうだ、以前ノアが前世回帰薬……前世回帰毒? それでルークになってしまった後元の姿に戻す薬を私にくれてそれを使った時体がめっちゃ痛くて――――ああもうややこしい! とにかくフレアからルークになる時はアルコールを混ぜるわ、ルークからフレアに戻る時は激痛を感じるようにするわ……散々だ! もうちょっとまともなものは作れないのか? 作れるけど敢えて面白がってるんだよな? レインはあんなに服用しやすい薬作ってくれたのに!
「これは……どう、すれば……」
ノアの意図がわからない。どうしてシドを利用したのかもわからない。
だがこの状況……ある意味フレア・ローズ・イグニスが囚われているという私の嘘が現実になったようなものか……。万が一レオンたちに見つかってもまあ、そこは何とかうまいこと考えるか? 何て言ったらいい? そもそも助けてもらえるかどうかもわからないが……。消えたルークのことはどう説明すればいい?
「あ」
そこまで考えたところで、気づいた。服が。服が一緒だ。しっかりルークの服を着込んでしまっている。当然と言えば当然だが、まずいな。前回は囚人みたいな服に着替えさせられていたからバレなかったけど……
「これ着てたら私がルークだってことにレオンが気づくか? 自警団や騎士たちにバレるのもまずいな」
逃げる力を失い、命の危機とも言えるこの状況で自分の正体がバレることを心配するのもどうかと思うが、一度気づいてしまうとこのことばかり気になってしまう。フレアが実はルークだったなんて、自警団からしたら騙されたということになるだろう。うん、やっぱりバレるのはとてもまずいぞ。助けたい人がいるということに関して嘘を吐いた訳ではないが、シドのこともどう説明してよいやら。
「どうする? どうするどうするどうする?」
そもそもどれくらい経った? 私はどれくらい気を失っていた?
途方に暮れ、取りあえずやれることを、と上着を脱いだ。シャツ……だけだったら別にルークの服だとはバレないか? いやだが男物のシャツを着込んでいるというのもおかしいか? ズボンはぶかぶかだ。これは脱いでしまった方がいいか? しかし下着も当然ながら男物だぞ。ああ、どうすれば……。
その時、足音が聞こえた。私はビクッと体を震わせて、檻の奥にゆっくりと移動した。心臓がドクドクと脈打つ。犯人はきっとノアだ。さすがにいくらノアとは言え、私フレアの貞操を奪おうなどとはしないと思うが……思いたい、のだが。
ランプの火が揺れる。
その灯りに、照らされたのは…………
「……ルーク?」
「!!!」
豊満な肉体、たぷたぷの顎、鋭い目つき、真っ黒な髪……
「義勝!!!!!」
「ッ!? ほ、ほむッ……ほむら!?」
灯りに照らされた人物は、碓氷義勝……いや、カイウス・ファートゥムだった。
「よかっっっっっった! お前が来てくれて!! ノアじゃなくて本当によかっっっっった!」
「? ? ? な、何だ? 何が起きてる? ほむら? ほむら……いやルー……ちょっと待ってくれ、何だその姿は!? 俺はルークがここにいると……聞い……」
私は檻の前まで体を引きずって鉄格子を掴み、義勝の顔を見上げた。
「頼む! 助けてくれ! お前の助けが必要なんだ!」
「そ、それは、その、あ、ああ、わか、わかっ――――」
「神様仏様義勝様~~!! どうか俺を助けてくれ!! 頼む!!」
「わわわわかったと言っているから落ち着け!!! ここ、これは一体全体どういう状況だ!? 何が起きている!? なぜその……その姿ッ……」
「変えられちゃって困ってるんだよ! 毒っつーか薬っつーか吸っちゃってさ……あ、それにシド! あの子は大丈夫かな。あの子も吸い込んじゃったかもしれないんだが……」
その時、おずおずと言った様子で義勝の背後からシドが現れた。
「シド! 大丈夫か!? 調子は悪くないか!?」
彼はコクンと頷いた。ああよかった。顔色も悪くないし肌つやも良さそうだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった……。なかなか刺激的な煙だったから君まで苦しんでいたらどうしようかと」
「……鳩尾」
「ああ! 強烈な一撃だったな。君には才能がある。足も速いし力も強い! 驚いたよ」
鳩尾に一撃をくれたのがシドなら、ここまで私を運んだのもシドなのだろう。引きずったのか背負ったのかは知らないが、私の体に大きな擦り傷や打撲がないところを見ると背負って運んだのだろう。小さな体でここまで運んだことも驚愕に値する。
ニコッと微笑むと、シドはビクついて義勝の背後に隠れてしまった。どうやらシドは義勝にとても懐いているらしい。悔しい。
「はあ……。毒……毒か。ノアの毒か。それでそんな姿に……? なんじゃそりゃ。そんなことがあり得るか?」
「あり得てるんだから仕方ないじゃないか。俺もビックリだ。そもそもどうしてノアがこんなことをしたのかわからない」
「俺が聞いた話では……ノアが人を使ってシドに依頼したらしい。お前が俺を唆して利用しようとしているとか何とか。だから当分の間ここに閉じ込めているように、と。最近自警団に入ったばかりの若い男で金髪碧眼のルークという名前。お前しかいないだろう。だから取りあえず助けに来たんだ。まさかお前が本当にまんまと囚われているとは思わなかったが……。お前、ノアに何をしたんだ? 相当怒りを買ったらしいな……」
ノアめえぇぇ……。カルマから戻った時のノアは不機嫌そのものだった。
『はあ……ほんと最悪。殺す』
ノアの言葉を思い出す。
『僕を信用するって? その余裕、ムカつくね。……君の考えているようには進まないよ、ルーク。……ああ、決して進ませない。今僕を殺さなかったこと、後悔するといい』
それでこんなことしたのか? シドを巻き込んで? ルークの姿にしたのが自分の力によるものならさっさと戻してしまって何もできないようにしようと? ただ面白がっているという線もあるな。本当に全く……。まあ何とかなりそうだからよかっ…………いやいやいや、ここから出ることはできるとして、どうやってルークの姿に戻るんだ? レインはどこまで薬作りが進んでいる? 問題は山積みだ。こんなことで立ち止まっている暇なんてないと言うのに。私はこめかみの辺りを押さえた。
「なあ……ちなみに皇帝はこのこと知らない、よな?」
「ああ、もちろんだ。皇帝の方はノアと連絡が取れないと毎日イライラしている。この場所のことも知らないだろう。……シドの様子がどうもおかしいから問い詰めたんだ。そしたらお前をここに運んだと。この子はお前がその……悪い奴だと思ってやってしまったが、反省している」
シドはぎゅっと義勝の服を掴んだまま背後に隠れて顔を見せない。そうしていると年相応の男の子という感じがする。……よかった。シドがそうやって甘えられる相手が、一人でもいて。
「シドのことは怒っていないよ。義勝を守ろうとしたんだろう? もしかして俺が義勝宛てに書いた手紙も読んだのかな」
「手紙?」
「ああ、ノアが先に帝国についたらお前に渡してもらおうと思ってた。お前との関係がわかるようには書いていないぞ? 誰に読まれても大丈夫な内容ではある。帝国への批判やら、お前はどう思っているんだとか、まあそういうことを書いたかな。厳しい内容にはなったかもしれない。間違いなく俺が書いたとわかるように前世の言葉もちょっと使った。そしたらほら、お前もいろいろ考えてくれるだろ? それでお前が俺に巻き込まれる覚悟ができた頃に尋ねようと思ってたんだ」
「巻き込まれる前提なのか、俺は」
「断固拒否されたら諦めたさ。昔のようにむりやりは引きずり込まない。それは約束する」
それより、と私は義勝の上着を指さした。
「なあ、取りあえず返事は後でいいから、その上着くれないか?」
「……は?」
「ルークとフレアが同一人物ってバレるのはまずいんだよ。お前女物の服持ってないよな?」
「持ってる訳……ないだろう」
「じゃあ取りあえずこの服脱ぐからさ、下着の上にその上着着るわ。お前の上着ならめちゃくちゃデカイし体隠せるだろ。ワンピースみたいになってさ。そうすれば男物の下着も見えない。よし、服を奪われてお前に上着もらったってことにしよう」
「ッ!? ちょちょちょ、ちょっと待て! 何脱ぎ始め……おい!! よせ!!」
「うるさいな。ルークだとバレるような痕跡は残しちゃだめなんだって。ルークの格好したフレアとかすごい怪しいじゃん。ルベルたちは今頃俺を探しているだろうし……多分すぐに見つけてくれるだろう。うちの子たちは皆優秀なんだ。まあ別にルベルたちは知ってるからいいんだが、どうしてもバレる訳にはいかない人たちがいてだな……。よーし、服はこの端っこに全部隠して見えないようにして……」
「別にここから出た後着替えればいいだろ!? それ今やることか!?」
「あ、確かに」
パチクリと瞬いて義勝を見上げた。下着以外全部脱いでしまった後に。義勝の白い肌は真っ赤に染まっている。私から顔を背け、シドの目を手で隠していた。見てはいけません、と言うように。首を傾げると、視界が一瞬にして真っ暗になった。
「ぶっ」
「もういいさっさとそれを着ろ!!!!」
鉄格子の隙間から上着を投げつけられたらしい。おお、しっかりした良い生地の上着だな。ロングコートみたいな。さすが皇子! よしよしと思いながら羽織った。それから「着たぞ!」と声を掛けても、義勝はしばらく「こいつは……昔から……本当に……クソ……」私のことを無視して何かブツブツ呟いていた。確かに服なんて後回しにして義勝についていけばよかったなと反省はするがまあそんなに時間がかかった訳でもないんだからいいだろう。鉄格子に指を絡め「お~い、大丈夫か~?」声を掛けていると、ようやく義勝がこちらを振り返り、鍵を出して開けようとしてくれた、その時――――……
「―――――――――碓氷義勝!!!」
声が、響いた。
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