327 【ジーク】 這いつくばる



「ふわあ……ねむぅ」


「…………はあ」




 ルークと乱蔵は二人揃って欠伸を噛み殺していた。ルークは確か昨夜、さすがに疲れた眠いと言ってすぐに部屋に戻っていたはずだが……。 




「どうした? 疲れが取れなかったか?」


「え? ああうん、ちょっとな」




 曖昧に笑って、「もう年かなあ」とじじ臭いことを口にする。これは何か隠しているなと思わず睨み付けると――――






「あ~もしかしてぇ、夜の営みでもしてたとかぁ~?」


「「ぶふッ」」


「んな訳あるかあ!!」




 レインが爆弾を放り込み、それに乱蔵が食い気味で反応し、その合間に何名かが紅茶を噴き出し大惨事となった。レインはケラケラ笑っているが、前髪の隙間から見える目は全然笑っていない。むしろ冷え冷えとして殺気に満ちている。




「だって二人して寝不足ってそういうことじゃないのぉ~? ねえどうなの~~?」


「んな訳ねえっつってんだろがッ……!! ぶち殺すぞてめえぇ……!!」


「殺せるもんなら殺してみろよ蜘蛛太郎。踏み潰してやる」


「誰が蜘蛛太郎だ!!」


「お前以外いるわけないだろ蜘蛛助」




 二人がバチバチして今にも取っ組み合いを始めそうな隣で、ルークは暢気なものだった。ふわあ、ともう一つ欠伸をして、「二人は仲がいいなあ、良いことだ」と信じられないことを言っている。




「あれのどこが仲良しだ……」


「おいルーク! お前まさかあのアランとか言う男と浮気なんてしてないだろうな!?」とレオン。


「へ?」


「クリスタがいながら浮気なんぞしていたら串刺しにしてやる……!!」


「いやいやいや、ちょっと待て何の話だ。浮気? 串刺し?」


「違うんだな!? どうなんだ!?」




 少しは落ち着け、レオン。ルークの顔を見ろ、こいつまだ半分くらい夢の中だぞ。レオンはイグニス家とクリスタのことになるといろいろ面倒くさい。


 大体ルークと乱蔵の間に何かある訳がないだろう。ルークにはローズという女性がいるんだぞ。今のこいつはフレアであってフレアじゃない。だから…………ん? ちょっと待て、フレアだったらどうなんだ? フレアだったらこいつは…………。そもそもこいつは初対面の時からフレアに気安く接してまるでストーカーのようにつきまとっていなかったか? それはつまり……やはり…………




「違え。俺は違う、こいつはババアで男で……違う絶対に違う絶対に絶対に――――」


「おい何をブツブツ言っている乱蔵」


「チッ……なんでもねえよ!!」


「貴様、殿下に無礼な――――!」


「だーーもううるせええ黙ってろ坊ちゃん!」




 乱蔵とレオンが喧嘩を始めた。煩い。……いや、もう余計なことは考えるな。僕は紅茶を飲み干した。ルークと乱蔵に何か起きる訳もないし、乱蔵がもしフレアに懸想しているならその時はしっかり極刑すればいいだけの話だ。




 そんなことより、僕は僕の成すべき事を成す。そのことだけに集中しろ。今日は二日目だ。自警団が本当に信頼に足る、役に立つ連中か、この僕がしっかりと見定めてやる。


















 そう意気込んでから僅か数時間後……。




「これ以上面倒事を増やす前に今すぐ帰れ。いいか、これが最後の命令だ」


「何、だと…………?」




 僕はローガンに最後通告を叩きつけられていた。何の嫌がらせか、ウィルは西支部へ出張となり、その代わりローガンが僕らに指示を出すことになっていた。団長命令らしい。あの団長、覚えていろよ。その結果がこれだ。鍛錬をしていた団員たちも、ルカやレオンたちもぴたりと固まり、こちらを凝視している。僕は濡れた雑巾を手にローガンを睨み付けた。




「何が不満だ。普通に床を磨いてやってるだけだろう!」


「どこが問題かわからないところが問題だ。お前は床を磨いてるんじゃなくただグチャグチャに濡らしているだけだろう。お前、一体何だったらまともに働けるんだ? 雑用はどれもこれもダメ、鍛錬もしたくない、そのくせプライドだけは一丁前。それでもどうしてもここにいたいと言うなら、まずは別の場所で出直してこい。悪いが、うちは戦力にならない奴を置いておくほどの余裕はない」


「…………ッ」




 グサグサと心に突き刺さる。何か言い返してやろうと思ったが、言葉が出ない。全部事実だった。僕が逆の立場でも同じことを言っただろう。そう思うと何も言い返せなかった。レオンが怒ってローガンに突っかかろうとするのを止め、僕は至って冷静に、雑巾を手に持ったままローガンの隣を通り過ぎた。




 置いていたバケツの中に雑巾を入れ、乾いた雑巾を手に取る。膝をついて、濡れた床にそれを押し当てた。






「……帰れと言ったはずだが」


「濡れたら乾いた雑巾で拭けばいいだけだ。……それくらい僕でもわかる」


「滑って転んで頭を打って死なれても困る」




 そんな間抜けな死があったものか! と思ったが言い返せない。ついさっき何もないところで転んで額を打ちそうになったところをローガンに助けられたのは他でもないこの僕だ。


 僕は取りあえずローガンの言葉を無視して、ゆっくり手足を動かした。転ばないように、失敗しないように。そう、最初から早く終わらせようとしたのが間違いだったんだ。僕はルークにはなれやしないのに。ゆっくりやればきっと僕でもできる……はずだ!






 これが僕の必勝法だ。どうだ恐れ入ったかとローガンを睨み付けると、あいつは眉間に皺を寄せたまま、ふいと視線を逸らした。






「…………。好きにしろ」




 


 ため息を吐いてどこかに消えていく。レオンが慌てて俺の所に駆け寄ってきた。




「もう雑用はいいのでは? 私としては、でん……ジークはただ様子を見てくれているだけで十分……」


「やると決めたことはやる。このまま馬鹿にされたままで終われるか」


「しかし……」


「ジーク、ムリはしないで。後は僕らがやっておくよ」




 レオンに続きルカまで。彼らからすれば、一国の王太子が床に這いつくばっているところなんて見たくもないだろう。神子と崇めてきた相手だ。それはわかる。だが本当の僕は、そんな神聖なものとはほど遠い。嘘ばかり吐いてアカツキ王国を騙してきた。兄さんの言葉が本当なら、僕のこの体に流れる血は、僕の祖先は、アカツキ王国の罪人だった。本当ならこうして這いつくばっているのがお似合いの人間なんだ。……神子の力だって、もうなくなってしまったんだから。




「いい。お前らはお前らのやるべきことをやれ。自警団の様子を探るのはこれをやりながらでもできる」


「で、ですが……」


「私もお手伝いしますね!」




 サクラが雑巾を手に膝をついた。




「一緒にやりましょう! やり始めたことを途中でやめるのは嫌でしょう?」




 邪気のない顔でニコニコ微笑まれて、思わず視線を逸らした。




「……別に。あそこまで言われて苛ついているだけだ」


「ピカピカにしてローガンさんをビックリさせましょうね!」


「ではジーク、俺も手伝います!」


「僕も」


「やめろ、僕一人でいいと言っている! いいと……おい! 聞け!!」




 結局誰も僕の言うことを聞かなかった。サクラを皮切りに、レオンやルカまでわらわらと雑巾を手に集まってくる。レインの姿はないのが幸いか。あいつにまで同情されるのはご免だ。




 周りの人間の仕事のスピードが速いために、掃除はあっという間に終わった。ゆっくりを心に刻みつけて仕事していた僕は今回初めて何一つ仕事を増やすことなく……つまりミスすることなく終えることができた訳だが、もし一人でやっていたらまだ当分終わることはなかっただろうなと思うし、いくらゆっくりやっていてもスタミナ切れで何かミスをやらかしていたかもしれない。




 僕は掃除道具を抱え、道具置き場に向かうことにした。もちろん一人で十分な量だ。だが、こんな時でもこいつらは……。




「疲れたでしょ? 休んでるといいよ」


「さっさと片付けてきますね!」


「お茶でも淹れさせましょうか? 喉が渇いたのでは?」




 僕は奴らから問答無用で道具を奪った。




「これくらい僕一人で持って行ける! お前たちは団員と手合わせでもしていろ!」


「本当に大丈夫?」


「腕がプルプルしてますよ?」


「ジークにこんなものを片付けさせる訳にはいかない! ここは私が!」


「いいと言っているだろう!! ならば命令だ、僕から離れろ!!」




 怒鳴りつけると、「ムリしないでね」「後で一緒に走り込みと腕立て伏せやりましょう!」「何かあればすぐに私をお呼び下さい!」……ええい鬱陶しい。どいつもこいつも、まるでルークじゃないか。僕はなんだかんだ一人でも何とかなる。時間がかかっても途中でスタミナが切れても、これくらい普通に…………。








 しばらく歩いてから、立ち止まった。背中にあいつらの視線を感じる。まだこっちを見ているのを感じながら、僕は、小さく呟いた。














「……………………ありがとう。…………助かった」














 聞こえていなければいい。そう思いながら逃げるように足を速めた。耳が熱くて燃え上がりそうだった。








――――――――


――――――――――――




 掃除道具入れは地下の汚いところにあった。他の備品やら何やらもそこら中の棚にまとめて突っ込まれている。これは一体どう管理しているんだ? 何とも言えず嫌な臭いが漂っていて、僕は鼻を摘まみながら団員を探した。




 最初に見つけたのは強面の図体のデカい団員だった。




「おい、聞きたいことがある。掃除道具入れ、あれはどうなってる? 備品入れも。責任者は――」


「うるせえな。そんなの知らねえよ。新入りは黙って掃除してろ」




 その団員は酷く面倒くさそうに僕を見下ろし、シッシッと手を払うような動作をして去って行った。








 …………僕の極刑リストに、名前も知らない男が一人加わった瞬間だった。


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