326 【乱蔵】 背負う



 来た道を辿りながら、屋敷に戻る。辺りは真っ暗なまま、人の気配はない。街は何もかも死んだように静まりかえっていた。ここら辺はまだ金持ちエリアだ。治安の悪いところは賑やかなもんだろうなと思う。






「……う~ん……ねむ……」


「ったく、お前なあ……」


「ごめん。でも眠い。限界」


「俺がいなかったらどうやって帰るつもりだったんだ」


「気合い。……気配探りまくってたら疲れたんだ、想像以上に……。ほら、最後出る時にさ、ちょっと危ない時があっただろう。それがよくなかった。結構焦った……。それにみたらし団子食べすぎた……美味だった」




 ババア……いや、ルークでいいか。こいつは皇宮を無事に脱出してしばらく経った頃、急に「眠い。背負って。お願い」と俺の背中にしがみついてきた。こんなことされちゃそのまま引きずっていく訳にもいかねえ。結局、俺が背負って屋敷に戻ることになった。


 普段体力お化けのくせに、こんなガキみたいな事態になると誰が思う? 昔ババアに背負われたことはあったが、俺が背負ったことなんてあったか? 絶対ねえと思うんだが。元々掴み所がなくて、隙だらけのようでいて隙がなく、何を考えているかわからない奴だった。






「はあ…………私は、何度鬼になればいいのだろうな」






 ぽつりと零した言葉に至っては、意味がわからなかった。




「鬼だぁ? 何の話だ」


「義勝は義理堅い奴だ。そして私に負い目がある」




 そこにつけ込んだのさ、と奴は笑った。酷く辛そうなのが、顔を見なくても声を聞いただけでわかった。




「……負い目?」


「うん……昔の話だ。だがまああの頃はもっと酷かったなあ。むりやりだからな、むりやり。強制的。嫌がるあいつを強制的に政の世界に引きずり込んだんだ、はっはっは」




 笑っているが、笑っていない。




「ならば今回は、“むりやり”ではないか。うん、そういうことにしておこう」


「……別にお前が気にする必要はねえだろ。あいつがあの話に乗ったとしても、それはあいつが決めたことだ。存外、誰かに期待されるのを待ってたって可能性もあるぞ」


「はは、どうかなあ」




 ルークは腕に力を込めた。おいやめろ、俺の首が絞まる。殺すつもりか。






「……物事がもっとシンプルだったら良かったんだけどな」




 ぼそりぼそりと言葉を零す。俺の肩に顔を押しつけながら、本当のガキみてえに。ルークが喋る度に僅かに息が肩に触れて、それが妙にくすぐったい。




「例えば、一人めちゃくちゃ悪い奴がいたとして、そいつを倒せば皆幸せになれる。もう誰も悲しむ者はいない。……それくらい簡単なことだったらいいんだけどな。皇帝を廃位させたとしても、その後この国をまとめるのは全く別の話、酷く困難な道になるだろう」


「まあ……だろうな」


「だとしたら悪なのは私たちかもしれない。私たちにとっての悪は、間違いなく皇帝であったはずなのに。何とややこしい話だろうな。そう、それに今の皇帝だって、誰にとっても悪という訳じゃない。彼が皇帝であるが故に、良い思いをしている者も確かにいるだろう。その者たちにとっての皇帝は、間違いなく善だ」




 良い思いねえ……。大勢の人間を踏み台にして幸せだってんなら、そいつらも皆クズじゃねえのか。そう言うと、「そうとも限らないさ」とルークは笑った。






「難しいものよな。何かすると必ず傷つく誰かがいる。だが傷つくことを恐れていては何も得られない。誰も救えない」






 言葉に力がない。救えない、という言葉が嫌に重く耳に残る。まるで自分を責めているような響きだった。腹の中が気持ち悪い。んな訳あるかって怒鳴りたくなる。お前は救ってきただろ? 大勢の人間に希望を与えてきただろ。生まれ変わっても、お人好しのままあちこち走り回ってきただろうが。




 俺は、こいつの――――ババアの若い頃を知らない。体中に残っていた傷の理由も知らない。あの激動の時代に、こいつが誰とどんな風に生きてどんな決断を下してきたのかを、俺は何も知らない。知っているのは、多分…………あの義勝って奴だけなんだろう。






「チッ」






 思わず舌打ちした。……ああクソ、すげえムカムカする。楽しそうに義勝と話してた時のことを思い出すとどうも胸が気持ち悪ぃ。口調もいつもと違ったしな。あれが心を許してるってことか。それとも特別ってことか……。


 大体相手の反応もいちいち癪に障った。自分が大切な人間に選ばれたと知るやニヤニヤを必死で抑えようとしてたがバレバレだからな、あのクソ饅頭め。ルークを見る時は酷く優しい顔をしてやがったし、無茶な話にも行動にも理解を示してやがった。まるで自分はあいつの全てを受け入れられる、とでも言うように。


 …………クソ、義勝の顔を思い出すといらいらが収まらねえ。ありゃどう考えても気があるだろうが。


 ルークはどう思ってんだ? あれだけ気を許してるってことはやっぱこいつもあいつのことが好きなのか? 生まれ変わってもお互い記憶があってお互いわかり合っててお互い誰よりも相手のことを大切に思ってるってか? ハッ、そりゃまあ良いことだ。それが運命ってやつなんだろうよ。






 醜い気持ち悪い感情が腹の中でぐるぐるとぐろを巻いている。


 それを堪えるように、俺は歯を食い縛った。


















「クソ…………あんな奴のどこがいいんだよ。あんな饅頭より――――――」






 










 思わず吐き出してから、咄嗟に言葉の続きを飲み込んで立ち止まった……何だ今の。今、何て言った? 何て思った? これじゃまるで俺が…………






「………………。ナシだ、今のナシだ。おいババア、聞いて――――――」


「ぐう」






 焦りながら声を掛けると、ルークはいつの間にかすやすや気持ちよさそうに寝てやがった。……こんのクソババア。人の気も知らないで…………。いや知られたら困るからこれでいいのか。いやいやちょっと待て、違う、俺は別に知られたら困る気持ちなんてない。気の迷いだ。相手はババアだぞ。しかも今は男だ。お嬢のことだって俺は別に恋愛感情なんて持ち合わせちゃ――――――












『今はアランなんでしょ? そう呼んであげた方がいいかしら?』




 アランでも乱蔵でも、好きな方で呼べばいいと返した。




『じゃあ乱蔵でいいわ。慣れてるし、何か、ホッとするし』




 あの時……


 


『この名前を呼ぶたびに、あの世界も確かにあったんだって思えるから。……あんたに、記憶があって良かった』




 お嬢が、そう言って笑った時。俺はあいつに何をしようとした?












 ……心臓が煩い。


 やめろ。思い出させるな。やめろやめろやめろ――――……




 そう思うのに、あいつの声がまた蘇る。










『では、これは優しい孫からの贈り物ということでありがたく受け取ろう』




 簪を渡した時、正直苛ついた。


 優しい孫? 違う。俺はそんなんじゃない。そういうものじゃ――――……






『ありがとう乱蔵。大切にする』




 柔らかな金の髪を赤い簪でまとめた。


 あの時の笑顔を思い出すと、胸が嫌にざわつく。














 ずっと味方でいようと思っていた。


 何があろうと受け入れるし、逃げてえってんなら逃がすし、できることなら何だって力になる。菓子くらいいくらでも作ってやる。幸せそうな顔を見たらそれで何もかもどうでもよくなる。


 それは……そこに、深い意味なんてねえ。その顔を見るのが好きだからだ。こいつの行動が面白いからだ。昔貰ったもんを少しは返すためだ。ただそれだけだ。そう、思っていたのに。








 この気持ちは何だ? 俺は、こいつを――――――――……








「…………ッ、違う。ぜっっっってえ違うからな!!」


「んん……? みたらし団子の海ぃ……」


「てめえ夢の中でも団子食ってんのか!? つーかなんだ団子の海って気持ち悪ぃ!」


「ふわふわ……饅頭の魚……」


「………………はあ」






 でけえため息を吐いた。……ダメだ、もう考えんな。俺も眠い。眠くて眠くて訳わかんなくなってやがる。さっさと帰ってさっさと寝るぞ。そしたら翌朝にはまともな思考ができるようになってるだろ。






 俺は足を速めた。


 願わくばこの火照りきった頭に誰か冷水でもぶっかけてくれと思いながら。

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