324 忍び込む
気配を消して、ベランダに出た。
準備は万端。なあに、ちょちょっと侵入してちょちょっと話をつけて、ちょちょっと帰るだけの話。そんなに大したことじゃない。西支部のお掃除と料理作りにさすがに今日は疲れてしまったが、眠るのはもうひと仕事終えてからだ。
「――――――またこっそりお出かけか」
「げ」
あらら。
まさかそんなところにいるとは。
乱蔵は屋根の上から軽やかにベランダに降りてきた。
「どうも怪しいと思ったら案の定だな」
「ははは……お前の目は誤魔化せんなあ」
「けっこう疲れてんじゃねえのか。俺に気づかなかったババアが、この先お出かけなんてして大丈夫とはとても思えねえが?」
「おやおや、手厳しいことだ」
確かに乱蔵に気づかなかったのは痛かったな。だけど居ても立っても居られないし、行動は早い方がいいだろう?
「で? どこに行くつもりだ」
「皇宮」
驚かれるかと思ったが、乱蔵は全然驚かなかった。やっぱりな、とでも言いたげにため息を吐いただけだ。
「……戻ってこねえつもりか?」
「まっさか~。朝方には戻ってくるさ。ちょっと侵入してちょっとお話してすぐ帰るよ」
「そんなお気軽に行くところじゃねえだろ、皇宮ってのは。捕まったら殺されるぞ」
「大丈夫大丈夫。何とかなるなる」
「…………はあ」
乱蔵はぐしゃぐしゃ髪を掻きむしった後、「……俺も行くぞ」と言い出した。いやそれは――――と断ろうとした口を、乱蔵の手に塞がれた。
「むぐっ」
「ダメだっつってもついていくからな。それともここで俺を気絶させるか? そう簡単にはやられねえぞ俺は。気絶する前に少しばかり騒ぎを起こせば、ルベルや王子サマも飛んでくるだろうな?」
それは勘弁願いたい。
「むう。……むへほへはふぉ」
「ついていっても文句言わねえか」
「むふむふ」
コクコク頷くと、乱蔵は手を離した。ぷはあっと息を吐いてから、騒がれる前に気絶させようかなと悪い考えが頭を過ったけれど、明日になって皆に言われるのも嫌だなと思ってやめた。
「黙って何でも一人でやろうとするのはお前の悪い癖だぞ」
「す、すまん……。でもその……事情があってだな、相手の了承が得られるまでは、あいつのことを皆に話すのはどうだろうと思ったんだ」
「了承?」
会いに行く時点で巻き込む気満々ではあるけれど、一応巻き込み許可を貰わないと。相手は政とは無縁の楽しいスローライフを目指してる訳だから、巻き込むってことはつまり、それを奪うって訳で……。
「……しかし、いつもの乱蔵なら何も言わずに見過ごしてくれそうなものだが……」
「やめたんだよ、そういうのは」
「え?」
「見過ごした結果牢屋に入りやがっただろうが。……後悔してんだよ。どんな野暮用が、どんな理由があったとしてもだ、あの時何がなんでも引き止めるかついていくかすりゃあ良かったってな。あんなことになるなんて誰も思わねえだろうが」
ああ、確かあの時もこんな風に乱蔵に気づかれたんだった。イグニス邸が炎上し、ルークの記憶を取り戻して全てを悟ったフレアは、断罪されるためにアクア邸をこっそり抜け出した。その時抜けだそうとしたのに唯一気づいたのは乱蔵だった。あの時、彼は私の後を追わなかった。まさか自分から牢屋に入りに行くなんて、乱蔵とて思いもしなかっただろう。
「その……あの時は本当に――――」
「謝るな。そんなことしてもらいたいわけじゃねえ。……で? 何のために皇宮に行くんだ。誰に会うつもりなんだよ?」
「本当はもうちょっと後にするつもりだったんだ。だがよく考えたら、ノアが私より先にシノノメ帝国に戻れる訳がないなと思ってな」
「? どういうことだ?」
手は打ったつもりだったんだが、自分の方が先に帝国につくことをすっかり忘れていた。もしノアがヴェントゥス公爵の瞬間移動のような魔術を使えるならもう帰っているだろうけど、その可能性は薄いように思う。魔術に長けた彼だが、ジークの神子の力を戻す、神戻しの儀を行ってそう経っていないのに、瞬間移動の魔術なんていかにも大変そうな魔術ができるとは思えない。まあ、そもそも瞬間移動の魔術なんてあるのか知らないが。
つまりこれは私の誤算だった。
私の方が早くこの国に来てしまったが故に、今ノアの手元にあるはずの手紙は……まだ彼に届いていないということになる。
「だから直接会いに行くのさ。結局、それが一番手っ取り早い」
――――――――――――
――――――――――――――――――
「……よし、あっちだ。行くぞ乱蔵」
「…………おお」
気配を探りながら暗闇の中を進んだ。さすが皇宮ともなるとあちこちに衛兵が見張っていてやりづらいことこの上ない。しかしまあ、私の障壁という程でもないがな。
「なんでわかるんだよ……」
「前に教えただろう。こう……ハッとしてパッとしてグワッと」
「できるか」
と言いつつ、この暗闇の中私にしっかりついてくる乱蔵はさすがなものだ。案外私がいなくても乱蔵なら一人で皇宮に忍び込むこともできるのではないかと思う。
「壁の手前に罠が仕掛けられているな。敷地内に物騒なものだ。乱蔵、気をつけろよ」
「わかってる。なあ……お前、どうして弱いフリなんかしたんだ」
「弱いフリ? ああ、団長にか」
壁をぴょんぴょんよじ登りながら、「何となく」と曖昧な答えを返した。
「本当は最初から話しておくつもりだったんだが、思いのほか料理や掃除で私の有能性は示せた訳だし、実は喧嘩が得意なことは奥の手として隠しておこうかと」
「……得意どころじゃねえだろ」
「まあ嘘は吐いていないぞ? 剣も鍛錬もあまり好きじゃないと言っただけだ」
「絶対勘違いしてただろうが」
宮殿の壁を登り切ってから、ベランダに入った。うん、ここで間違いない。窓は閉まっているが、そう複雑な鍵穴ではなかった。
「開けるか?」
「いや……あちらさんが警戒している。ここからでいいだろう」
コンコン、と軽く窓を叩いた。ベランダの奥で、あいつが僅かに反応したのがわかった。
「俺だ。開けてくれるか?」
「…………どうして」
「お前と話がしたくてな。この場所がわかった理由が気になるか? 俺ならどこにだって忍び込めるって、お前なら知ってるだろ」
「…………」
ガチャリ、と鍵の開く音がした。
カイウス――――いや、義勝と呼ばせてもらおうか。私にはその方がしっくりくる。義勝はさっきまで寝ていたのだろう、寝間着姿で髪もボサボサ。眉間に皺を寄せて私を見ながら、小さくため息を吐いていた。
「……早く入れ」
「ああ、悪いな」
「…………こいつは」
「俺の相棒だ」
「…………嘘だろ。これがあの……義勝……?」
乱蔵は部屋に入った後もしばらく義勝を凝視して動かなかった。おはぎが以前義勝に変身したことがあったからな、まさか現世の義勝がこんな柔らかなそうな体になっているとは思いもしなかったらしい。
「相変わらず良い体をしているな! 義勝!」
「嫌味か」
「いやいや、本気で言っているぞ。その腹といい顎といい頬といい、思わず触ってみたくなる。餅のようで気持ちよさそう――――」
「用件は」
「はあ、相変わらずせっかちな男だな。はるばるこんなところまで来たというのに」
「皇宮に忍び込むなんて何を考えている。もしバレたら極刑だぞ。……お前がヘマをするとは俺も思わないが……あまり危険なことをするな。こっちの身が保たない」
「すまんすまん」
そう言いながら、義勝は水差しから水を注いで出してくれた。
「で? 用件は?」
「取引しよう、義勝」
「取引?」
私は懐からあれを取り出した。
この取引を必ず勝利に導くブツ。義勝ならばきっと欲しくて欲しくて堪らないであろう、ブツを。
義勝の目が僅かに見開かれた。――――クックック、予想通りだ。
「それは……」
「こいつにお会いするのは生まれて初めてか? そう……皆大好き、乱蔵特製あまじょっぱいタレをた~っぷりかけたみたらし団子さ!!」
僅かなランプの光しかない暗い部屋の中でも、私の愛してやまないみたらし団子はキラキラと輝きを放っていた。さあ早く食べてくれ、是非味わって食べてくれと誘惑するように。
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