第10話 頬を濡らす


 あーあ……。




 つくづく運のない人生。


 十歳でこれってどんだけハードモードの人生なのよ。


 これからどうなるのかしら。いつかはやっぱり処刑? いっそそうなる前に逃亡でもしようかな。




 適当に使うことにした部屋に入って、鍵を閉めた。明かりもつけずに、ただぼんやりとベッドに横になる。膝を抱えて小さくなると、まるで自分が年相応の幼い子供のような気分になった。




 こんな時はぱーっとお茶でも飲んで、みたらし団子でも食べれば元気になるんだけど……。


 ……私ってば、今世で食べたことのないものを欲してしまうなんて。前世に頭が浸食されているわね。ああ……でもあのもっちり甘い団子が、今無性に食べたくて仕方ない……。この世界ではまだ見たことがないけれど、国を離れれば売ってあるかしら?




 コンコン。




 ノックの音がしたけど、私は無視を決め込んだ。


 無理矢理入ってこようったって無駄だからね。鍵は閉めてあるんだから。




「あの……フレア様」




 ルカの遠慮がちな声だ。


 相変わらず弱々しい。でも、今は不思議とイライラを感じない。




「……何よ」




 返事しちゃった。まあいっか。ルカだし。






「その……公爵様も、反省されて……」


「嘘ね」


「う、嘘では……」


「嘘吐くの下手くそ」


「ご、ごめんなさい……」




 すぐに認めないでよ。何しに来たの? この子。




「あの……今日は、本当にありがとうございました」


「……あんたは」


「え?」


「あんたは、私が犯人だって思わないんだ?」




 ルカが息をのむ気配がした。




「思わないですよ!!」




 思いも寄らない大声で、私の方がちょっと驚いた。腹から声出せるのねって。




「あ、ご、ごめんなさい。大声だして……でも、ほんとに、僕は……僕は、フレア様の言葉に救われたんです。お母様も同じだと思います」


「私はただ癇癪を起こしただけよ。あの言葉にお礼なんて間違ってると思うけど」


「そんなこと……ないです。僕は、とても嬉しかった」




 変な子。


 そんなことわざわざ言うためにここに来たの? くっだらない。




「……もうどっか行って。私がどんな人間かわかってるなら、もう近寄らないで」


「フレア様は……優しい御方です」


「違うわよ。とんでもない勘違い」


「そんなことないです。僕は、僕は、フレア様のようになりたいと思いました。フレア様のように……強く、真っ直ぐな人になりたいです」




 だから、大きな勘違いだってば。私がそんな真っ直ぐな人間なわけないでしょ。性根がひん曲がってるのは自覚してるわ。今更直すつもりもない。


 私が何も返さないからか、扉の向こうでルカがもじもじしている気配を感じた。




「じゃあ……また明日。あの、一緒に食事を取れるの、楽しみにしてます」




 


 待って。






「……待って」




 小さなかすれた声だった。だから彼には届かなかったと思ったけれど……ルカは「はい」と返事をした。届いてから、少し後悔する。何も言わなければ良かったかもって。








「……そうだ、ペンダント。あんたが、探してた」


「! はい」


「見つけたの。渡すの忘れてたから」




 少し躊躇ってから、私は扉の鍵を開けた。ちょっとだけ隙間を作って、ペンダントを外に突き出す。




「あ、ありがとうございます……!!」




 顔を見なくても、彼が感動しているのがわかる。


 馬鹿みたいにわかりやすい子。人の良さがにじみ出ているっていうか……私とは大違い。


 扉を少し開けたまま、閉じることも忘れてそのまま彼の言葉を聞く。




「大切なものなんです。間違いなく僕のものです。ありがとうございます!」


「……素敵だったから、このまま盗もうかと思ったくらい」




 怒るだろうと思ったのに、ルカはおかしそうに笑った。




「フレア様なら、いいですよ。命の恩人ですから」




 嘘つき。




「……お人好し」


「フレア様だって……とてもお人好しです」


「だから、違うってば。そんなんじゃない。そんなんじゃ……」






 ただ、呪われているだけ。


 前世の呪いに縛られているだけ。優しさなんかじゃない。






「そのロケットの中には……何があるの」


「何も。小さな姿絵が入るようになっていて、いつか僕に大切な人ができたら入れるといいって。お母様に」


「……随分ロマンチックなのね」


「ですよね。ちょっと恥ずかしいです……」














 ……いつか




 


 いつか、誰かにとっての“特別”になりたい。


 


 愛されてみたい。無条件に。


 唯一無二になりたい。誰かにとっての、他の何者よりも一番の存在になりたい。あなたが一番好きだと言われてみたい。たった一人に、生涯をかけて愛されてみたい。




 男でも女でも子供でも老人でも構わない。


 どんな歪な愛の形でも構わない。




 ただ普通に好かれているだけじゃ意味がない。


 誰かにとっての特別で、一番の存在になりたい。






 前世ではかなわなかった。この様子じゃ、今世でもかなわない。昔より性格がひねくれた分、今世の方が難易度は相当高いでしょうね。そもそも、そんな不確かなものに縋り付くくらいなら……






 最初から諦めるが、吉。




 父親の件で、十分わかっていたことじゃない。








「……フレア様?」






 何よ、と返そうとしたのに、言葉にならなかった。


 あれ? と不思議に思って俯くと、ぽたぽたと滴が垂れていった。






「…………え?」




 なんで、こんなもの。




 悔しい、辛い、悲しい、虚しい。


 胸の中がぐちゃぐちゃで……本当に、十歳の子供になってしまったかのようで。


 感情を制御できない。一度決壊した涙は溢れて止まらなかった。






「なん、で……」


「フレア様? どうされ……」




 扉の隙間から、ルカの顔が見えた。


 綺麗なその目が、驚愕に見開かれている。








 泣き顔を見られた。










 …あーもう、最悪。




 私は無言で扉を閉めて、ベッドの中へと駆け寄り、頭から毛布を被った。






「あ、あの……」






 か細いルカの声がするけれど、無視。


 寂しいけれど、辛いけれど、頼ったりなんかしない。頼るもんか。いくらルカが優しい子だったとしても、あの父親とは違うと言っても……彼が私だけを見てくれることなんて絶対にないし、家族になんてなれやしないんだから。






 枕に顔を押しつけているうちに、私は眠っていた。


 寝ぼけ眼で起きると、外はまだうっすらと暗い。カーテンの隙間から外を覗くと、陽が上り始めていた。


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